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2009年4月 7日 (火)

黄俊傑『台湾意識と台湾文化──台湾におけるアイデンティティーの歴史的変遷』

黄俊傑(臼井進訳)『台湾意識と台湾文化──台湾におけるアイデンティティーの歴史的変遷』(東方書店、2008年)

 台湾アイデンティティーの変遷を通史的に整理した論文集。簡にして要を得た見取り図を提供してくれる。時代区分でみると、
①明清時期(鄭成功~日清戦争):中国大陸から移民→大陸での出身地別の帰属意識→互いに抗争しており、まとまった台湾意識は乏しかった。
②日本統治期:日本による支配・差別→被支配者としてのまとまり→民族意識及び階級意識としての「台湾意識」が現われる。
③光復期(1945~1987年):50年にわたる大陸との断絶、国民党の腐敗、外省人側の優越感→台湾人/外省人=被支配者/支配者という二分法の中で台湾意識(いわゆる、省籍矛盾)。
④ポスト戒厳令期(1987年~現在):閩南人、外省人、客家、原住民をひっくるめて長年同じ島に暮らしてきた事実、大陸との相対的関係→「新台湾人意識」。

 日本統治期において、特に知識人には文化的アイデンティティーとして中国への「祖国意識」を持つ傾向が見られた。そこには日本人による抑圧への反発という契機もあった。しかし、見たことのない「祖国」→抽象的な理想化→現実を知ると幻滅、とりわけ二・二八事件が決定的となった。日本人もしくは外省人の優越的地位→抑圧された側の抗争論述として「台湾意識」が形成された点に大きな特徴があると言える。

 現代台湾については、①農業社会→工業社会への急激な転換、②教育の普及、③戒厳令解除以降の政治的民主化、こうした点を背景に、華人社会としては初めて「個体性」の覚醒(良い意味でも悪い意味でも個人主義)が見られるとも指摘される。

 空白の主体としての「新台湾人意識」という指摘に興味を持った。「新台湾人」と言っても実質的な内容はない。しかし、空疎なスローガンだからこそ、中台統一派も台湾独立派もそれぞれの解釈から異なる意味を読み込んでこの言葉を使っているという。異なる読みの余地を残しながら同じ言葉を使っているという点で、前回取り上げた林初梅『「郷土」としての台湾──郷土教育の展開にみるアイデンティティの変容』(東信堂、2009年)の指摘を思い出した(→こちらを参照のこと)。実質のないスローガンというのは本来なら否定すべきものとは思うが、考え方を切り替えれば、言葉のシンボルとしての機能が対立する立場を曖昧なままに統合していける、少なくともその可能性があり得るというところが非常に面白い。

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