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2009年4月28日 (火)

萩原延壽・藤田省三『瘠我慢の精神──福沢諭吉「丁丑公論」「瘠我慢の説」を読む』

萩原延壽・藤田省三『瘠我慢の精神──福沢諭吉「丁丑公論」「瘠我慢の説」を読む』(朝日文庫、2008年)

 明治新政府に仕えた旧幕臣の勝海舟と榎本武揚。「瘠我慢の説」でこの二人の出処進退を批判して「三河武士の気概を忘れたのか!」と叱咤する福沢の苛立ちは、彼の封建主義批判と比べて違和感があるかもしれない。幕末・明治期、対外的な危機意識を抱いた日本にとって最重要な課題は、とにかく独立を維持することだった。福沢諭吉の有名なテーゼ、「一身独立して一国独立す」。一身独立とは、今風には“個の自立”とも言えようが、ニュアンスがだいぶ異なる。利害打算とは異なる次元でこれだけは絶対に譲れないという自分の中の一線を守って筋を通す、そうした毅然とした態度を福沢は「瘠我慢」と表現している。

「…自国の衰頽に際し、敵に対して固より勝算なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽し、いよいよ勝敗の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくは死を決するかは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり。即ち俗に云ふ瘠我慢なれども、強弱相対して苟も弱者の地位を保つものは、単に此瘠我慢に依らざるはなし。啻に戦争の勝敗のみに限らず、平生の国交際に於ても、瘠我慢の一義は決して之を忘る可らず。」
「…瘠我慢の一主義は、固より人の私情に出ることにして、冷淡なる数理より論ずるときは、殆ど児戯に等しと云はるゝも、弁解に辞なきが如くなれども、世界古今の実際に於て、所謂国家なるものを目的に定めて、之を維持保存せんとする者は、此主義に由らざるはなし。」
「内に瘠我慢なきものは、外に対しても亦然らざるを得ず。」(「瘠我慢の説」)

 福沢の政府観は基本的に社会契約説に立っているが、政府が権力を恣に勝手なことをし始めたならば、それに立ち向かわねばならない。西南戦争で賊軍とされた西郷隆盛を福沢は「丁丑公論」で擁護する。出版条例があったので公にはされなかったが、「日本国民抵抗の精神を保存して、其気脈を絶つことなからしめんと欲するの微意」によって書き残した。

「凡そ人として我が思ふ所を施行せんと欲せざる者なし。即ち専制の精神なり。故に専制は今の人類の性と云ふも可なり。人にして然り、政府にして然らざるを得ず。政府の専制は咎む可らざるなり。」「政府の専制、咎む可らずと雖も、之を放頓すれば際限あることなし。又、これを防がざる可らず。今、これを防ぐの術は、唯これに抵抗するの一法あるのみ。世界に専制の行はるゝ間は、之に対するに抵抗の精神を要す。」(「丁丑公論」)

 本書は萩原延壽と藤田省三による対談(と言っても、萩原は病床にあって、その発言は藤田の代読によるが)によって、福沢の「丁丑公論」「瘠我慢の説」の意義を語る。巻末には本文や参考資料も収録されておりとても便利。萩原は、「一身独立して一国独立す」の根幹として、「瘠我慢」→「抵抗」「独立」「私立」の精神を読み取り、藤田は「自己の尊厳」、「国の同権」を支える精神、対決の精神、指導者の責任倫理を指摘する。なお、福沢は「瘠我慢の説」を事前に勝・榎本の両名にも見せて承諾を得ているという。当時のフェアプレイ精神も興味深い(両名からの手紙の返信も本書に収録されている)。

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