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2009年4月11日 (土)

川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』

川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』(講談社選書メチエ、2009年)

 第一次世界大戦の結果、今後もし先進国の間で戦争が起こるとすれば、それは全国民を巻き込む激しい総力戦になるであろうという認識が一般に共有されていた。戦争抑止のため国際連盟、軍縮会議、不戦条約などの努力がなされてきたが、その効果についてはどのように考えられていたのだろうか?

 浜口雄幸は肯定的であった。国益の伸張手段を軍事力に求めるのではなく、経済的な国際競争力を強化して輸出市場の拡大を目指した。その点で、内政における金解禁政策、産業合理化政策、財政緊縮政策、そして外交面において国際協調の観点から軍縮を進める方針はすべて連動していた。中国に対しても、軍部が進める分離工作によって中国側の反感をいたずらに買うのではなく、むしろ中国の主権を尊重して輸出市場として経済的な協力を図るべきだと考えていた。

 対して、永田鉄山は国際協調に懐疑的であった。永田にしても、国際連盟・国際法の確立によって平和が実現できるのであれば本来その方が望ましいとは考えていた。しかし、そうした制度・規範を裏付ける制裁手段が現実には存在しない。もし紛争が起これば、国際規範に実効性がない以上、自力救済を図るしかない。総力戦という時代認識を踏まえ、高度国防国家構想を模索、軍事力整備のため資源を求めて満蒙・華北領有の方針を示した。

 国際関係論の分析視角で言うと、浜口はリベラリズム、永田はリアリズムと分類できるだろう。対外認識というのは、政策形成のロジックを組み立てる前提である。この前提となる認識のあり方における相違が、結論として導出される政策を大きく左右する。本書は浜口・永田という二人を、それぞれの政策形成ロジックのいわば理念型に仕立て上げることで、昭和初期における日本の政治方針の分岐点がすっきりと整理されており、興味深く読んだ。

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