小森宏美『エストニアの政治と歴史認識』
小森宏美『エストニアの政治と歴史認識』(三元社、2009年)
第一次世界大戦後、バルト三国は独立したものの、1939年の独ソ不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ協定)に基づき、1940年、ソ連に併合された。1991年に再び独立を果たしたが、誰を以てエストニア国民とみなすのかという微妙な問題に直面した。かつてはエストニア人の占める割合が九割と同質性が高かったが、ソ連時代にロシア人の移住者が増えていた。ソ連時代のエストニア社会主義共和国を継承すると考えれば、彼らもまたエストニア国民とみなすべきである。しかし、ソ連時代を不法な占領をみなし、1940年以前のエストニア共和国との連続性を強調するロジックをとって、彼らロシア人の存在は不当だとする考え方が強まったという。
多文化主義を建前としつつ、エストニア語の話者を以てエストニア国民と規定する法制化が行なわれ、この場合、ロシア人もエストニア語を習得すれば国民とみなされる(かつてはロシア語優位でエストニア語と共存→今度はこれを逆転させるという構図)。しかし、独立後の政治過程を考察すると、こうした法制上の問題にかかわらず、実際にはロシア人の存在そのものを不当と考え、この立場を正当化する歴史認識が背景にあると指摘される。
EU加盟についての国民投票をみると、賛成派も反対派もロシアの脅威を意識しているという。賛成派は、ロシアの脅威→EU加盟という考え方。反対派は、かつて独立を失った経緯を踏まえてロシアと協調すべきという考え方。EU加盟を果たして、ではヨーロッパ化が順調に進んだか。まず、マイノリティーとしてのロシア人の扱いが問題として残っている。それから、第二次世界大戦において、ナチス側に立ってソ連軍と戦った人々のモニュメントの問題→エストニアではユダヤ人が少なかったこともあって、ホロコーストの問題に鈍感→ヨーロッパと歴史認識を共有できるかどうかという問題も表面化したと指摘される。歴史認識のあり方とナショナル・アイデンティティーとが絡み合って現在の政治動向を左右しているのを描き出しているところが興味深い。
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