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2009年4月20日 (月)

戸部良一『日本陸軍と中国──「支那通」にみる夢と蹉跌』

戸部良一『日本陸軍と中国──「支那通」にみる夢と蹉跌』(講談社選書メチエ、1999年)

 日本陸軍の「支那通」、つまり中国問題のスペシャリスト、彼らは主観的には日中提携を模索しながらも、結果的にはむしろ正反対の行動を取ってしまったのはなぜなのかを考察する。

 彼ら陸軍「支那通」の方が外務省よりも深く中国に潜り込んでいたため、それが場合によっては二元外交を引き起こしてしまった。世代的に旧「支那通」と新「支那通」に分けられる。中国には近代国家を形成する能力はない、という認識は内藤湖南をはじめ当時の日本のシノロジストに多く見られ、それは旧「支那通」の基本認識となっていた。対して、新「支那通」は辛亥革命以降の中国ナショナリズムの動きに共感、彼らが近代国家を作り上げるのを手助けした上で日中提携を図ろうという意図もあったようだ。

 だが、やはり日本側と中国側とでは思惑が異なる。日本の大陸侵略に対する中国側の反発は厳しい。本書で焦点の当てられる新「支那通」の佐々木到一は済南事件で暴行を受け、危うく命を落とすところだった。日本に戻れば国民党のまわし者と言われ、中国では日本陸軍のまわし者と不信感を持たれる。期待を寄せていた国民党の蒋介石が特務機関を使って反対派を弾圧、党や軍を私兵化していることも国民革命の理想を失った旧態依然たる堕落だと彼は受け止め、旧「支那通」の認識レベルに戻ってしまう。佐々木は中国に裏切られたと感じた。中国をよく知っていたからこそ欠点が目につき、体感的な憎悪から対中強硬派に転じてしまった。もちろん、現在の後知恵からは一面的な理解に過ぎないと言ってしまえるが、対外的な認識の難しさを感じさせる。

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