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2009年4月 6日 (月)

三上章『象は鼻が長い』

 街の語学者、三上章(1903~1971年)。金谷武洋『主語を抹殺した男 評伝三上章』(講談社、2006年)で著者は三上文法と出会った衝撃をつづっている。たとえば、「好きです」→「I love you」→「私はあなたを好きです」。この不自然さは一体何なのだ! 英語の基本文型はSVOであり、必ず主語がないと文は成立しない。だから、たとえば「10時です」→「It is ten o’clock」というふうに意味のないitが要求されたりする。だけど、そんなのあくまでも英語側の事情にすぎない。問題は、日本語を説明するのに、西欧語的なSVO式の文法理論を借用して不自然な日本語文法をつくってしまったこと。三上の結論──日本語に主語はない。「主語専制の外国式よりも補語の共和制」。

 三上章『象は鼻が長い』(くろしお出版、第10版、1979年)をひもとく。「象は」というのは西欧語的な主語ではなく、題目の提示、つまりこれからこんなテーマについて言いますよという態度を表わす。この着想を軸にして日本語文法を説明していく。西欧語文法理論をそのまま移入して事足れりとしてきた学界本流に対する闘争心だけでなく、漢文口調が日本語の自然な流れを阻害しているという問題意識も目に付いた。いま自然に使っている日本語のありようを、妙な借物理論なんかで汚さずにありのままに見つめていこう、そうした点で三上は国学の系譜を受け継いでいるようにもうかがわれた。

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