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2009年4月12日 (日)

デイヴィッド・リーフ『死の海を泳いで──スーザン・ソンタグ最期の日々』

デイヴィッド・リーフ(上岡伸雄訳)『死の海を泳いで──スーザン・ソンタグ最期の日々』(岩波書店、2009年)

 MDS(脊髄異形成症候群)、つまり血液のガンの宣告を受けたスーザン・ソンタグ。ジャーナリストでもある息子が彼女の死までの様子をつづる。もちろん、あのソンタグのことだ、よくあるお涙ちょうだい的な闘病記とは全く異質である。人によって読み方は色々とあろうが、生き続けることへの執着が凄絶だ。

 事実を理解して対処する、そうした“理性”的な能力への自信があるからこそ、ソンタグはこれまでの人生を乗り切ってこられた。その意味で、知識=希望と言える。しかし、今回は事情が違う。ありのままの現実=死なのである。彼女はそれでも生き続けようと情報を集め、最先端の医師を探し、そしてもがく。ニュー・エイジ思想や仏教に傾倒する友人たちが“悟り”を説くが、そんなものは一切拒絶する。“理性”という次元を超えてしまった徹底した“理性”主義。逃れようのない現実にぶつかったとき、それを直視しようとする“理性”は時に過酷であり、残酷である。

 彼女の生き続けることへの執着は、マイナスの意味を帯びたいわゆる“執着”の醜さというのとはちょっと違って、そうせざるを得ない彼女自身の性(さが)なのかもしれない。スピリチュアルな慰めなんてものが所詮は現実逃避の自己正当化に過ぎないことを考え合わせると、彼女の生への執着は、変な言い方だがむしろ潔くすら感じさせる。そのもがきのよって来たるところをおそらく彼女自身はっきり理解していたであろう、そしてその苦しみを引き受けていたという点で。もちろん、どちらが良い悪いという話ではない。死をめぐる問題について、今の私には断案がつかない。

 それにしても、訳文がひどいねえ(苦笑)

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