ジョセフ・ナイ『国際紛争』『ソフトパワー』『リーダーパワー』
ジョセフ・S・ナイ(田中明彦・村田晃嗣訳)『国際紛争 理論と歴史』(第6版、有斐閣、2007年)はハーバード大学の講義に用いられた国際政治史・理論のテキスト。主要な理論枠組みを整理した上で、第一次世界大戦から現在に至るまでの国際紛争を具体例として分析の応用を示してくれる。どの視座をとるかによって事象の捉え方が様々に異なってくるのが実感され、複眼的な思考の訓練としても格好の良書だと思う。
静態的なパワーポリティクスに立つリアリズムや国際協調の理念性に偏るリベラリズムとは異なり、理念と現実との相互作用の中から政治的事象が形成されてくるプロセスを重視するコンストラクティヴィズム(構成主義)の立場からはソフトパワーという概念が重要となる(“理念”と言っても望ましい結果ばかりでなく、たとえばエスニックなシンボルの動員によって紛争が激化するケースもあるが)。
ソフトパワーという言葉は上掲『国際紛争』にも散見されるが、ジョセフ・S・ナイ(山岡洋一訳)『ソフトパワー──21世紀国際政治を制する見えざる力』(日本経済新聞社、2004年)はそれを具体的に論じている。他国をいかに動かすか? ハードパワーが軍事・経済力など物理的な影響力の行使、いわば“アメとムチ”によって誘導を図るものであるのに対し、ソフトパワーは他国も含めて共通の政治課題を設定し、そこに向けて他国にも自発的に望ませる形で味方につけていく影響力だと整理できる。文化(→他国をひきつける魅力)、政治的価値観、外交政策(→正当性の確保)といった要素がある。
たとえばイラク戦争においてアメリカは、テロ・核の抑止、さらにはアメリカの存在感が侮られてはならないという動機から武力行使に踏み切った点でハードパワーを使った。ただし、ネオコンの中東民主化構想にはソフトパワーとしての側面もあった。しかし、武力行使の正当性への疑問からアメリカのソフトパワーは弱められた。単独行動主義はソフトパワーにとってマイナスだという教訓をナイは引き出す。
ハードパワーであっても、“強国”というイメージそのものが魅力としてソフトパワーに転化することもあり得る。アルカイダの主張は一部の人々にソフトパワーとしての力を持った。日本の場合には、劇的な成長によって経済大国となったこと自体が一つのソフトパワーとなっている。他方、周辺諸国との歴史認識問題は、この論争の具体的な是非は別として、そうしたギャップのあること自体が日本のソフトパワーを弱めている。
本書の登場によってソフトパワーという言葉が先走っている観もあるが、ハードパワーとソフトパワーはどちらが良い悪いという性格のものではない。状況に応じて組み合わせるべきで、それをナイはスマートパワーと呼ぶ。ソフトパワーの行使において肝要なのは、一定の魅力ある政治課題を設定することにより他国をひきつけることで、それはヴィジョンを提示する側のリーダーシップの問題とつながる。
ジョセフ・S・ナイ(北沢格訳)『リーダーパワー──21世紀型組織の主導者のために』(日本経済新聞出版社、2008年)はそのリーダーシップ概念を政治という場面において論ずる。一方的な命令ではなく、リーダーとフォロワーとの関係性が重要であることは経営学・組織論の方でよく論じられているが、国際政治の場面においてはフォロワー側の文化的・政治的・社会的状況がリーダーの提示するヴィジョンに見合うかどうかが問題となる。つまり、フォロワー側の状況も見極めながらハード・ソフトを問わずあらゆるリソースを活用しなければならない。その点で、状況を把握する知性、つまりリーダー・フォロワー双方の置かれているコンテクストを読み解く能力がリーダーシップの核心に位置付けられる。
ナイはオバマ政権の駐日大使に内定している。2007年に超党派でまとめられた対東アジア政策についての提言、いわゆる「アーミテージ=ナイ・レポート」(The U.S.-Japan Alliance: Getting Asia Right through 2020→アーミテージとナイの連名で公表されており、こちらで読める。なお、アーミテージはブッシュ・ジュニア政権のパウエル国務長官の下で国務副長官、ナイはクリントン政権で国防次官補)にざっと目を通した。
ポイントは、①民主制・市場経済・言論の自由などの価値観を日米は共有しており、かつ日本は今後も経済大国であり続ける→日米同盟を基軸とすべき。②中国は国内的に不安定→共産党は支配正統化のためナショナリズム、またエネルギー問題→対外的な影響力を模索している。だからと言って、日米同盟による中国封じ込めという話ではない。むしろ、中国が暴発しないよう共通の価値基盤の中へと取り込み、中国も含めたトライアングルの関係にもっていく、そうすることで東アジアの安定化を図ろうという点に主眼が置かれている。ナイを駐日大使に起用したということは、中国をソフトパワーによって取り込んでいこうという外交方針をオバマ政権は持っていると言えるのだろうか。
| 固定リンク
「政治」カテゴリの記事
- 筒井清忠『戦前日本のポピュリズム──日米戦争への道』(2018.02.16)
- 清水真人『平成デモクラシー史』(2018.02.13)
- 橋爪大三郎『丸山眞男の憂鬱』(2018.02.11)
- 待鳥聡史『代議制民主主義──「民意」と「政治家」を問い直す』(2016.01.30)
- 中北浩爾『自民党政治の変容』(2014.06.26)
「国際関係論・海外事情」カテゴリの記事
- ニーアル・ファーガソン『帝国』(2023.05.19)
- ジェームズ・ファーガソン『反政治機械──レソトにおける「開発」・脱政治化・官僚支配』(2021.09.15)
- 【メモ】荒野泰典『近世日本と東アジア』(2020.04.26)
- D・コーエン/戸谷由麻『東京裁判「神話」の解体──パル、レーリンク、ウェブ三判事の相克』(2019.02.06)
- 下斗米伸夫『プーチンはアジアをめざす──激変する国際政治』(2014.12.14)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント