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2009年3月29日 (日)

ピーター・ブロック『戦争報道 メディアの大罪──ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったのか』

ピーター・ブロック(田辺希久子訳)『戦争報道 メディアの大罪──ユーゴ内戦でジャーナリストは何をしなかったのか』(ダイヤモンド社、2009年)

 ユーゴ内戦が激化し始めた頃、モスレム人難民のうちひしがれた姿を報道写真で見かけ、セルビア強硬派への芳しからぬ印象を私も持っていた覚えがある。たとえば、多数の死傷者を出したサラエボの市場での爆発事件。ところが、これはボスニア政府の自作自演だった可能性が高く(死傷者にはセルビア人も含まれていたし、そもそもセルビア勢力は協定により撤退しつつあり、砲撃は物理的に無理だった)、そのことは現地の関係者や専門家は気付いていた。しかし、メディアはセルビア勢力の仕業だと断定、国際世論の動向を大きく決めてしまった。その後も、セルビア人側が被害を受けた事件の扱いは極度に小さく、セルビア人犠牲者の写真にモスレム人とキャプションをつけるなどの誤報も相次いだ。本書はそうした一連の偏向報道を一つ一つ具体的に検証する。著者自身、バルカン半島の取材を長年続けてきたが、偏向報道のあり方に異議を唱えたため、マスメディアの主流派からバッシングを受けたという。

 犠牲者はすべてモスレム人やクロアチア人、犯人はセルビア人という単純な二分法がジャーナリストたちの頭を占めていて、そうした“正義感あふれる”思い込みが事実関係の歪曲につながっていた。ユーゴ内戦勃発の当初、セルビアのベオグラードは報道対策に消極的だったのに対し、クロアチアのザグレブはプレスリリースに熱心だった。彼らはバルカンの複雑な歴史的・文化的背景を知らなかったため、ザグレブの情報の裏を取ることもなく鵜呑みにして、セルビア=悪というイメージを自ら作ってしまった。これがボスニア内戦まで尾を引き、そのイメージに反する事実は無視するという自己検閲につながってしまった。

 ボスニア政府が腕の良いPR会社に依頼したのに対し、セルビア側は遅れをとったことが国際的イメージで決定的な差をもたらしてしまったことは高木徹『戦争広告代理店』(→こちらを参照のこと)で取り上げられていた。両書とも、メディア・リテラシーを身につける上で貴重な問題提起が示されている。セルビア人、クロアチア人、モスレム人のどれが良い悪いと決め付けることが出来ない複雑さについては、たとえば、佐原徹哉『ボスニア内戦──グローバリゼーションとカオスの民族化』(→こちらを参照のこと)を以前に取り上げたことがある。

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