亀山郁夫『大審問官スターリン』
亀山郁夫『大審問官スターリン』(小学館、2006年)
私はハチャトゥリヤンのバレエ組曲「スパルタクス」の叙情性と激しさとを併せ持った素直なメロディーが結構好きなのだが、このバレエ、史実とは異なってスパルタクスは最終的に勝利する。“正義は勝つ!”みたいな勧善懲悪の単細胞思考、だから社会主義リアリズムなんてのはクソなんだと軽蔑するだけで私は済ませていた。
ところが、本書の指摘で目からウロコが落ちた(103―104ページ)。「要するに、社会主義の勝利というヴィジョンのもとで現実を描き出さなくてはならないというのである。」夢想された未来を基準として現在を作り変えるという考え方で、それは“なせばなる”的な精神主義にもつながるし、歴史の改竄も平気で正当化される。もちろん、リアルな現実世界において社会主義が勝利するとは限らない(それどころか大失敗)。ここには根本的な矛盾への自己欺瞞があるが、「その意味で、社会主義リアリズムの信奉者は、リアリストであるよりも、むしろ、未来を予見する幻視者のメンタリティの持ち主であったといえる。」超歴史的な未来のユートピア、それは一体どんなものか? 「端的にいうなら、スターリンが描く未来の夢をどれくらい共有できるか、それこそが、すべての価値基準になったということである。」まさにスターリンの“大審問官”たる所以である。
「自由の身でありつづけることになった人間にとって、ひれ伏すべき対象を一刻も早く探しだすことくらい、絶え間ない厄介な苦労はないからな。しかも人間は、もはや論議の余地なく無条件に、すべての人間がいっせいにひれ伏すことに同意するような、そんな相手にひれ伏すことを求めている。なぜなら、人間という哀れな生き物の苦労は、わしなり他のだれかなりがひれ伏すべき対象を探しだすことだけではなく、すべての人間が心から信じてひれ伏すことのできるような、それも必ずみんながいっしょにひれ伏せるような対象を探しだすことでもあるからだ。まさにこの跪拝の統一性という欲求こそ、有史以来、個人たると人類全体たるとを問わず人間一人ひとりの最大の苦しみにほかならない。統一的な跪拝のために人間は剣で互いに滅ぼし合ってきたのだ。」(ドストエフスキー[原卓也訳]『カラマーゾフの兄弟』上、新潮文庫、1978年、488-489ページ。本来なら亀山郁夫訳の光文社古典新訳文庫版から引くべきなのでしょうが、あいにく手もとにないもので)
絶対全能なる権力者と、それに比べればけし粒のような文学者・芸術家たち。その非対称的な関係の中で翻弄された群像を本書は描き出していく。芸術家たちにはもちろん身の安全を図るという具体的な問題もあったが、そればかりでなく、スターリンによって体現された(と思われた)ロシアの全体性へ積極的に同一化しようというモメントが働いていたケースも見られる。スターリンはそうした“すり寄り”をもサディスティックに容赦なくたたきつぶしていくのだが、それでも人々はスターリンにすがりつこうとする。異様な光景である。
また、スターリンには“オフラナ・ファイル”に記された帝政秘密警察への協力という忌まわしい過去が露見することへの恐怖による屈折もあった。こうした辺りも含め、人間心理の不可思議な機微と政治とが絡まり合った凄惨なるドラマとして興味深く読んだ。
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