E・ラジンスキー『赤いツァーリ スターリン、封印された生涯』、I・ドイッチャー『スターリン 政治的伝記』
ヒトラーが独ソ不可侵条約を破ってソ連へ侵攻した折、スターリンはヒトラーの行動が予見できず(それどころか独ソ戦の可能性についての進言をすべて無視していた)無防備だった。自身の全能性に国民が疑問を持つことを彼は常に恐れていた。大戦中、アレクセイ・トルストイの戯曲『イワン雷帝』をびっしり書き込みしながら読んだ形跡があるという。試練に持ちこたえること、そして国家をまとめ上げるために“恐怖”を使うこと。スターリンの政治経歴を洗い始めると、彼の一挙手一投足ことごとくに粛清の影が透けて見えてくる。
エドワード・ラジンスキー(工藤精一郎訳)『赤いツァーリ スターリン、封印された生涯』(上下、NHK出版、1996年)は公文書館の史料をふんだんに駆使してスターリンの公私にわたって血にまみれた生涯をたどっていく。ラジンスキーは歴史家であると同時に劇作家でもあり、史料引用も織り込んだたくみな語り口によってスターリンの行動を、とりわけ絶え間なく続く粛清劇を再現していく。亀山郁夫『大審問官スターリン』でも本書に典拠を求める記述が随所で見られたから、スターリン研究の一つのスタンダードになっているのだろうか。
アイザック・ドイッチャー(上原和夫訳)『スターリン 政治的伝記』(新装版、みすず書房、1984年)は、トロツキー伝・レーニン伝と並ぶ三部作の一つ。ドイッチャーはかつてポーランド共産党員だったが、彼自身スターリニズムによってパージされてイギリスに亡命したという経緯があり、そうした体験がソ連の権力構造を解明しようという動機につながっている。スターリンを中心とした政治史が詳密につづられる。努めて客観的(悪く言えば無味乾燥)な筆致で、政治亡命者にありがちなプロパガンダ的要素はない。スターリン存命時から執筆に着手し、史料的制約も当然あったことを考え合わせると当時としてはかなり精度の高い研究だったのだろう。とりあえず興味を持った点を一つだけメモしておくと、グルジアにはもともと“パン・ロシア主義”と言うべきものがなかったのに、なぜスターリンは“大ロシア排外主義”とレーニンから批判されてしまうような態度を取ったのか?→ボルシェヴィズムの中央集権化志向→結果としてロシア愛国主義・膨張主義と同じ行動となった。
なお、冷戦期、中立的なソ連研究は左翼・反共派の双方から罵倒されていたらしいが、ドイッチャーはE・H・カーのソ連研究を早くから評価していたという。
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