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2009年2月14日 (土)

トム・レイス『オリエンタリスト』

Tom Reiss, The Orientalist: Solving the Mystery of a Strange and Dangerous Life, Random House, 2005

 クルバン・サイード(松本みどり訳)『アリとニノ』(河出書房新社、2001年)という小説がある。舞台はカスピ海沿岸、石油のにおいがたちこめる街バクー。ムスリムの青年アリとグルジア人貴族の美少女ニノ、いわばコーカサス版『ロミオとジュリエット』といった趣きのロマンスである。第一次世界大戦やロシア革命を背景に、コーカサスの複雑な民族関係、さらにはキリスト教とイスラム教、ヨーロッパとアジア、近代と近代以前、こうした対立構図も、二人が運命に翻弄される姿を通してストーリーに織り込まれている。1937年にウィーンで刊行されて以来、欧米ではロングセラーとなっているらしい。

 だが、この小説よりも、作者自身の数奇な生涯の方がはるかにエキサイティングだ。

 クルバン・サイードというのはオーストリアの男爵夫人エルフレーデ・エーレンフェルス(Elflede Ehrenfels)とエサド・ベイ(Essad Bey)の二人によるペンネームだが、実質的にはエサド・ベイの手になる。Tom Reiss, The Orientalist: Solving the Mystery of a Strange and Dangerous Lifeは、このエサド・ベイなる人物の謎に包まれた波乱の人生を、関係者のインタビューや時には当時の秘密警察のファイルなども用いながら解き明かそうとしたノンフィクションである。

 エサド・ベイ、もとの名をレフ・ヌッシムバウム(Lev Nussimbaum)という。1905年、石油で一財産をなしたバクー(現アゼルバイジャンの首都)のユダヤ人家庭に生まれた。第一次世界大戦、ロシア革命と続く混乱の時代、ヌッシムバウム一家はトルキスタン、イラン、アルメニア、グルジア、トルコと転々と逃げまわり、コンスタンティノープルからヨーロッパへ渡る(なお、レフがまだ幼かった頃に自殺した母親は共産主義シンパで、若き日のスターリンとも面識があったらしい)。コンスタンティノープルではオスマン帝国の黄昏を、イタリアではローマ進軍直前の黒シャツたちを、ベルリンではドイツ革命やスパルタクス団の武装蜂起による混乱を、それぞれ目の当たりにした。

 レフはドイツでロシア人亡命者の子弟向けの学校に入学したが、何人かの親友はできたものの、周囲にはあまり馴染めなかったようだ。孤独な彼の心は、“オリエント”への興味に吸い込まれるように引き寄せられ、ベルリンのトルコ大使館(まだオスマン帝国解体直前だった)でイスラム教に改宗した。これ以降、レフはエサド・ベイと名乗る。彼が学校を卒業した頃のドイツはワイマール文化の爛熟期に入っていた。“オリエント”に関する豊富な知識と文才を駆使してレフは20代の頃からジャーナリストとして活躍、とりわけ彼のムスリムであることを誇張したパフォーマンスは多くの人々の耳目を引きつけた。

 ナチスの政権掌握後もレフのユダヤ人としての出自は公になっておらず、旺盛に執筆活動を続けた。むしろ、ユダヤ人であることがばれるまで宣伝省の推薦図書リストに彼の著作も載っていたほどだ。しかし、離婚スキャンダルでドイツ文芸家協会を除名され、ウィーンに移る(ここで『アリとニノ』が出版された)。しかし、1938年、オーストリアもナチス・ドイツに併合されてしまい、レフは自分の本を出版できるところを求めてイタリアへ行く。イタリアのファシズムにはもともと反ユダヤ主義の要素はなく、ファッショ体制に反対しない限りユダヤ人も受け容れられていたらしい。だが、ムッソリーニがヒトラーと同盟を組むと、イタリア国内でも人種法が制定され、ユダヤ人の立場は難しくなった。レフは病に倒れ、知人の尽力でサレルノ近郊の保養地ポジターノで療養生活を送ることになる。ウィーンに残った父アブラハム・ヌッシムバウムは1941年にトレブリンカへ送られ、殺された。病床にあったレフは父からの手紙が途絶えたことに気持ちを焦らせながら、1942年にこの世を去る。

 レフはなぜイスラム教に改宗したのか? 本書で論点の一つとして示されているユダヤ人のオリエンタリズムというテーマに興味を持った。今でこそパレスチナ問題をめぐってユダヤ教とイスラム教の対立関係が目立つが、もともとヨーロッパにおけるイスラム研究に先鞭をつけたのはユダヤ人だったという(背景としては、ユダヤ人=非ヨーロッパ人=オリエントという、時には差別的なニュアンスも混じった構図を、プラスのものとして受け容れたユダヤ人もいたらしい)。シオニストの中でもマルティン・ブーバー(Martin Buber)、オイゲン・ヘフリッヒ(Eugen Hoeflich)といった人たちには、ユダヤ思想とイスラム思想の根柢に共通したものを見出し、それは広くアジア一般につながるものだと考え、西欧近代の限界(具体的には凶暴な全体主義が登場した)を超えるものとして積極的に意義付け、ユダヤ人の役割をそこに求めようという志向があったことを本書は指摘している(何となく日本における“近代の超克”を想起してしまうが)。こうした志向性をレフの生い立ちそのものが体現していた、少なくともそのような自覚を彼は持っていたらしい。“西”と“東”の対立を超えていこうという考え方は『アリとニノ』のテーマになっている。

 西欧による“オリエント”への偏見が内包された知的構造についてエドワード・サイードが“オリエンタリズム”というキーワードを通して問題提起して以来、こうした問題に現代の我々は割合と敏感になっている。コーカサス出身のユダヤ人として自身のアイデンティティーをヨーロッパではないもの=“オリエント”に求めようとしたところには、この“オリエンタリズム”的な幻想による逆規定があったのかもしれない。しかし、政治的な右翼と左翼、帰属意識としての“西”と“東”、どれかでありそうでいて、実はどれでもない、おとぎ話的な幻想の世界にすがりつこうとしてでも、どこかに自分の場所を求めつつ、結局どこにも身の置き所がなかった彼の苦衷そのものが、悲劇として目の離せない迫力を放っている。

 レフの謎めいた人生に興味をかきたてられるばかりでなく、コーカサスからヨーロッパまで20世紀初頭の様々な世界史的大事件を一人の人間で目の当たりにしたというケースはそうそうないだろう。本書を非常に面白く読んだが、主人公は日本ではマイナーだから、翻訳出版しても市場性は見込めないんだろうなあ。

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