アルメニア史についてメモ
アルメニアの通史としては、ジャン・ピエール・アレム(藤野幸雄訳)『アルメニア』(白水社・文庫クセジュ、1986年)、佐藤信夫『新アルメニア史 人類の再生と滅亡の地』(泰流社、1988年)、中島偉晴『閃光のアルメニア ナゴルノ・カラバフはどこへ』(神保出版会、1990年)、藤野幸雄『悲劇のアルメニア』(新潮選書、1991年)のほか、北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』(明石書店、2006年)の関連箇所を参照のこと。藤野書が過不足なくまとまっており、入門書として一番読みやすい。
とりあえず頭に残ったポイントを書き出すと、
・アルメニア人のシンボルとなっているアララト山(ただし、現トルコ領)→語源的に古代ウラルトゥ王国に由来(母音変化により、ウラルトゥ→アララト)。
・後301年にキリスト教を国教化した最古のキリスト教国だが、太陽崇拝・アナヒータ(大地母神)崇拝など古代の風習も残っているほか、ゾロアスター教の痕跡も見られるらしい。
・エチミアジン大寺院にキリスト教のアルメニア大主教(カトリコス)がいて、メスロープ・マシュトツがアルメニア文字をつくった→ペルシア文化と訣別し、アルメニア人としての民族的一体感。
・11世紀以降、アナトリア中西部のキリキアへの移住が始まる→小アルメニア(キリキア)王国→十字軍と連携した。キリキアにアルメニア大主教が置かれたが、キリキア王国滅亡後も存続→エチミアジンと一種の分立状態。
・18世紀以降、ロシアの南下→1828年、ロシアとペルシアとの間でトルコマンチャーイ条約→現在のアルメニアの国境線がほぼ確定→アルメニア人はロシア領とそれ以外とに分裂。
・19世紀末、ハンチャク党(社会主義)、ダシュナク党(民族主義)などの結成→アルメニア人の政治活動活発化、権利要求の他、分裂したアルメニア再統合の主張も出てくる。
・オスマン帝国は、アルメニア人の活動はロシア帝国と手を結ぶのではないかと猜疑心→1894~96年、赤いスルタン・アブドュル=ハミト二世によるアルメニア人大虐殺。
アルメニア現代史で最も重大な事件はオスマン帝国による大虐殺である。「統一と進歩委員会」(いわゆる“青年トルコ党”)のエンヴェル陸相・タラート内相・ジェマル海相の三頭政治による舵取りでオスマン帝国は第一次世界大戦に参戦、1915年から国内のアルメニア人の“移送”(すなわち抹殺)を指示した。その状況は中島偉晴『アルメニア人ジェノサイド 民族4000年の歴史と文化』(明石書店、2007年)に詳しいほか、デーヴィッド・ケルディアン(越智道雄訳)『アルメニアの少女』(評論社、1990年)、マリグ・オアニアン(北川恵美訳)『異境のアルメニア人』(明石書店、1990年)は生き残った人の逃避行を生々しく描き出している。この虐殺にはアッシリア人も巻き込まれた。トルコ人やクルド人でもアルメニア人に救いの手を差し伸べた人もいたが、そうした行為は処罰の対象となったし、地方総督でも拒否した者もいたが、抗議の辞任や左遷、場合によっては処刑された。憎悪や憤怒による偶発的な虐殺というよりも、政府による指揮命令系統に従った虐殺として近代的なジェノサイドの始まりを意味した。ヒトラーが第二次世界大戦を仕掛けるにあたり、「今日、だれがあのアルメニア人虐殺なんて覚えているだろうか?」と語ったことはよく知られている。
オスマン帝国の敗戦後、青年トルコの三頭政治家はみな国外に逃亡したが、タラートは1921年にベルリンで、ジェマルは1922年にグルジアのティフリスで暗殺された(山内昌之『納得しなかった男 エンヴェル・パシャ 中東から中央アジアへ』岩波書店、1999年)。タラート暗殺犯のテフレリアンが裁判(アルメニア人への同情から無罪になった)にかけられたことに関心を抱いた国際法専攻の学生ラファエル・レムキンは後にジェノサイド防止条約の制定に尽力することになる(Samantha Power, A Problem from Hell: America and the Age of Genocide, Harper Perennial, 2007)。なお、アルメニア人によるトルコ人への復讐テロは1980年代まで起こった。
トルコにとってアルメニア問題はいまだにタブーとなっている。ノーベル賞作家オルハン・パムクがアルメニア人虐殺に言及して、国家侮辱罪に問われたことは記憶に新しい。背景の一つには、トルコ国内での歴史教育の問題がある。アメリカに行ったあるトルコ人政治学者が語るところによると、アルメニア人学生からアルメニア人虐殺問題について指摘されたところ、そもそもその問題について知らないために感情的にムキになってしまうらしい(中島偉晴『アルメニア人ジェノサイド 民族4000年の歴史と文化』)。
アルメニア教会がアルメニアのエチミアジンとキリキア(その後、レバノンのアンテリアス)とに分立していたことは、アルメニア人の国外亡命組織の派閥抗争にも暗い影を落とした。共産党支配下でエチミアジンの教会が荒廃する一方、オスマン帝国のジェノサイドを逃れてアメリカにいたトゥーリアン大主教(Archbishop Tourian、キリキア系)はソ連のアルメニア共和国と連携したが、これはソ連によって弾圧された民族主義政党ダシュナクからは裏切り行為とみなされ、トゥーリアンは暗殺された(Charles King, The Ghost of Freedom: A History of the Caucasus, Oxford University Press, 2008, 179-181)。ソ連崩壊後も、アメリカ帰りのアルメニア人ともともといたアルメニア人とでは政治主張(たとえばナゴルノカラバフ紛争についてなど)に温度差があるらしい。
最近のアルメニア情勢をめぐっては、廣瀬陽子『強権と不安の超大国・ロシア──旧ソ連諸国から見た「光と影」』(光文社新書、2008年)、『コーカサス 国際関係の十字路』集英社新書、2008年を参照のこと。
| 固定リンク
「近現代史」カテゴリの記事
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:七日目】 中薗英助『夜よ シンバルをうち鳴らせ』(2020.05.28)
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:六日目】 安彦良和『虹色のトロツキー』(2020.05.27)
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:五日目】 上山安敏『神話と科学──ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀』(2020.05.26)
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:四日目】 寺島珠雄『南天堂──松岡虎王麿の大正・昭和』(2020.05.25)
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:二日目】 橋川文三『昭和維新試論』(2020.05.23)
「歴史・民俗・考古」カテゴリの記事
- 【メモ】荒野泰典『近世日本と東アジア』(2020.04.26)
- 桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす──混血する古代、創発される中世』(2019.02.01)
- 平川信『戦国日本と大航海時代──秀吉・家康・政宗の外交戦略』(2018.05.28)
- 武井弘一『茶と琉球人』(2018.02.23)
- 王明珂《華夏邊緣:歷史記憶與族群認同》(2016.03.20)
「ロシア・コーカサス・中央アジア」カテゴリの記事
- 【七日間ブックカバー・チャレンジ:一日目】井上靖『敦煌』(2020.05.22)
- チャイナ・ミエヴィル『オクトーバー──物語ロシア革命』(2018.02.20)
- 【映画】「花咲くころ」(2018.02.15)
- 下斗米伸夫『プーチンはアジアをめざす──激変する国際政治』(2014.12.14)
- 横手慎二『スターリン──「非道の独裁者」の実像』(2014.10.12)
コメント