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2009年2月22日 (日)

フランク・ティボル『ハンガリー 西欧幻想の罠──戦間期の親英米派と領土問題』

フランク・ティボル(寺尾信昭編訳)『ハンガリー 西欧幻想の罠──戦間期の親英米派と領土問題』(彩流社、2008年)

 意外と気付かれていないが、ハンガリーはドイツと同様に第一次・第二次両世界大戦の敗戦国である(両国の置かれた事情は全く異なるが)。第一次大戦ではオーストリア=ハンガリー二重帝国の一員として参戦した。敗戦、二重帝国解体後はトリアノン条約によって領土を大幅に削減されてしまう。これはあまりにも不当であるという世論が渦巻き、失地回復のための条約改正が政治課題となった。この失地回復という目標やソ連の脅威などの要因から親ナチス派が台頭する。

 他方、国家元首のホルティ・ミクローシュ摂政を中心とした政治指導層は、東のソ連・西のドイツという二大勢力の狭間にあって如何にハンガリーの独立を維持するかに腐心していた。彼らの外交政策にはハンドリングの難しい矛盾がはらまれていた。英米の支持によってソ連・ナチス双方からの脅威に対処しようと望む一方で、ナチスの援助によって回復した領土を失いたくないとも考えていたし、何よりも英米側はハンガリーをさほど重要視していなかった。こうしたギャップを埋めようと奮闘したホルティ側近の政治家・外交官・言論人たちの動向を本書は跡付ける。とりわけ、ナチスへの配慮から英米への接近をおおっぴらにはできなかったため、文化外交を通して英米側にアピールしようとした努力に焦点が当てられる。

 結局、ナチスに対する面従腹背の外交路線は破綻してテレキ首相は自殺、ハンガリーは日独伊三国同盟に加盟して第二次世界大戦に巻き込まれる。1944年にホルティは親英米派の登用によって巻き返しを図るが、ドイツ軍によって占領され、ホルティは摂政の座を追われた。『ハンガリー・クウォータリー』誌のバログはユダヤ人であったため殺され、反ナチス的な政治家たちも次々と逮捕・処刑された。

 なお、当時のハンガリーは立憲君主政。ただし、ハプスブルク家の復活はあり得ないとして、海軍提督出身のホルティが摂政となっていた。彼はかつて侍従武官としてフランツ・ヨーゼフ帝の側に仕えていたことがあり、難局にぶつかるたびに「フランツ・ヨーゼフならばどのように振舞ったろうか」と常に自問していたという。

 戦間期のハンガリー政治史については、アントニー・ポロンスキ(羽場監訳、越村・篠原・安井訳)『小独裁者たち──両大戦間期の東欧における民主主義体制の崩壊』(法政大学出版局、1993年)に1章が割かれている。

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