チャールズ・キング『自由という幻影:コーカサスの歴史』
Charles King, The Ghost of Freedom: A History of the Caucasus, Oxford University Press, 2008
コーカサスの歴史を調べようとすると、あたかもジグソーパズルを解くような面倒くささに頭が痛くなってくる。現在、国際的に承認された独立国としてはアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの三ヶ国があるが(他にもいわゆる未承認国家やロシア連邦内の自治共和国などがある)、それぞれについて個別に通史的に勉強しようと思っても、必ず他の国の歴史と分かちがたく絡まりあっている。
本質主義的に「~民族」と一義的にくくることなど不可能で、人種的・文化的・言語的・宗教的・政治的に様々な条件が歴史的コンテクストに応じて組み合わさり、組み替えられながら、何となく“民族”らしきものが形成されているとしか言いようがない。その点で、コーカサスでの“民族”概念は状況依存的である。
近現代においてコーカサスはロシアの支配を受けた。バラバラだったこの地域はロシア支配下で制度的・経済的に統合され、ロシア経由で近代化の洗礼を受けた。そこには複雑な矛盾がはらまれていた。第一に、ロシア化政策に対する反発と同時に、ロシア文化への愛着もあったというアンビヴァレンス。それ以上に深刻な問題として、第二に、ロシアの支配下から逃れようにも、“民族”としての境界線が曖昧かつ錯綜している中、それはどこからどこへ向けての解放なのか? 誰にとっての解放なのか? どこに線引きをしても必ず紛争を招いてしまうという矛盾。“民族”の自由を渇求しても、悲しいことにその自由はどうしても形をなすことのできない困難──本書のタイトル『自由という幻影』(The Ghost of Freedom)はそうしたコーカサス地域が直面した不可避的な宿命を端的に表わしている。
本書は、ロシア帝国の南進が顕著となった十八世紀から、ソ連崩壊による独立・民族紛争の再燃した最近に至るまでコーカサス近現代史を概観する。ここでのコーカサス地域にはアゼルバイジャン・アルメニア・グルジア三ヶ国が独立した南コーカサスとロシア連邦内の共和国が密集した北コーカサスの両方を含む。文学作品からの引用があったり、歴史を彩る人物群像も取り上げたりとエピソードは豊富。たとえて言うと、中央公論社の新旧『世界の歴史』シリーズのように学術的なクオリティーを備えつつ読み物としても十分にたえる、そうした感じの歴史概説書として飽きさせずに読ませてくれる。
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