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2009年1月10日 (土)

テンギズ・アブラゼ監督「懺悔」

テンギズ・アブラゼ監督「懺悔」

 “偉大なる”独裁者ヴァルラム・アラヴィゼが死んだ。人々が悲嘆にくれる中、埋葬されたはずの彼の遺体がアラヴィゼ家の玄関先で見つかる。埋め直しても同じことが繰り返されたので警察が張り込み、捕まった女性ケテヴァン。法廷に立たされた彼女は無罪を主張、ヴァルラムによって消された両親のことを回想しながら彼の敷いた体制の矛盾を告発する。傍聴していたヴァルラムの孫トルニケは衝撃を受け、あくまでもヴァルラムを正当化する父との間に生じた葛藤からは、抑圧的な政治体制の負の遺産を如何に清算するかの困難が浮き彫りにされる。

 制作年度は1984年となっているから、ゴルバチョフ政権登場直前の時期だ。テーマはやはり重いので楽しい映画と言うわけにいかない。ただし、映像的にところどころシュールな演出が見られ、決して無粋な政治映画になりさがってはいない。2時間を超える長さだが、散りばめられたメタファーを一つ一つ考えながら観ていけば退屈はしないと思う。分かりやすいところから言うと、ヴァルラムの黒シャツ(=ムッソリーニ)にチョビヒゲ(=ヒトラー)という姿からは旧共産体制をファッショとイコールで結び付けているのが分かる。ケテヴァンへの精神鑑定要求には旧ソ連において反体制活動家をいわゆる精神医学的処置によって静かに抹殺してきた過去をうかがわせるし、天秤を持った女神に目隠しされているシーンからは法の正義など棚上げされていたことが示される。ヴァルラムの遺体をめぐるエピソードには、真実を掘り起こすべきという主張と、独裁者の“亡霊”が復活しかねない懸念とが重ね合わされているのか。ヴァルラムの背後にぴったり寄り添う変てこりんな二人組を見て、カフカ『城』の登場人物を思い浮かべた。

 岩波ホールのパンフレットにはいつも台本が掲載されているのでありがたい。巻末の過去上映作品一覧を見ると、グルジア映画が結構ある。ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督「若き作曲家の旅」とエリダル・シェンゲラーヤ監督「青い山」は学生の頃に観に行った覚えがある。グルジア映画祭というラインナップだった。前者はコーカサスの野山の風景が印象に残っているし、後者は寓話的な風刺劇で意外と面白かったように思う。

 ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督「ピロスマニ」は1978年に上映されている。高野悦子の手記によると、岩波ホール上映作品の中でも人気の高かった一つらしい。私がピロスマニを初めて知ったのは、昨年、渋谷の文化村で開催された「青春のロシア・アヴァンギャルド」展(→こちらを参照のこと)でのこと。他の作品はともかく、ピロスマニの印象が非常に強く、すぐ彼の画集を買った。グルジアというとピロスマニが連想されるものなのか、岩波ホールでも映画のパンフレットと並べてこの画集が販売されていた。

 ソ連崩壊後、グルジアでは民族主義的な文学者のガムサフルディアが大統領に当選。以前は反体制活動家として逮捕された経験もある彼だが、権威主義的性格を強めて反発を受け、失脚。続くシェワルナゼも、かつての新思考外交の立役者としてのイメージとは裏腹に政権は腐敗し、やはり失脚。サアカシュヴィリ現大統領はロシア相手の危うい政治駆け引きが裏目に出て、軍事衝突を招いてしまった。この映画の最後近く、トルニケ青年が祖父の時代の責任を引き受ける形で自殺してしまうが、グルジアの政情不安定を見るにつけ、負の連鎖に終わりがないようで複雑な思いがする。ラスト、老婆が教会への道を尋ねるシーンで締めくくられる。荒廃した精神的状況に対するグルジア社会のもがきが示されているのだろうか。

【データ】
監督:テンギズ・アブラゼ
主演:アフタンディル・マハラゼ
1984年/旧ソ連(グルジア)/153分
(2009年1月10日、神保町・岩波ホールにて)

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