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2009年1月11日 (日)

伊福部昭のこと

 ここのところ、伊福部昭「ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ」という曲にはまっている。ピアノや木管楽器の小刻みなリズムに光が瞬くようなイメージを感じたのだが、何となくオリヴィエ・メシアン「トゥランガリーラー交響曲」の「星々の血の喜び」という楽章を思い浮かべた。リトミカ・オスティナータというのは執拗な反復律動という意味、まさにミニマリズムの美学だ。この曲のピアノ連弾版もあるそうだが、スティーヴ・ライヒ「ピアノ・フェイズ」のような感じになるのだろうか。旧満州国・新京音楽院の招きで大陸に渡った際、熱河の寺院で仏像を見た経験からインスピレーションを得たらしい。一つ一つの仏像は貧相なものだが、その大量に充満している様子に圧倒され、反復律動のイメージにつながったという。

 伊福部は、1936年、21歳のとき、「日本狂詩曲」でチェレプニン賞を受賞。北海道の片隅に暮らす無名の一青年が一躍楽壇で脚光を浴びた。チェレプニン賞というのは、亡命ロシア人貴族の音楽家アレクサンドル・チェレプニンがアジアの若手音楽家発掘のため私財を投じて設けたコンクールである。伊福部のメロディーは荒々しい。日本の楽壇で受け止められていた西洋音楽的洗練とは無縁である。日本側の担当者には、彼の曲の型破りなところを危惧してそのままパリへ送ることにためらいもあったらしいが、むしろこれが受けた。とりわけ第二楽章「祭」など聴いてみると、その激しさが体の芯からふるわせるようで私も大好きだ。リズムにのって無意識のうちに手が動いてしまう。その頃、パリの楽壇はイゴール・ストラヴィンスキー「春の祭典」が巻き起こしたショックをすでに経験済みで、音楽シーンは次の段階に移っていた。伊福部もストラヴィンスキーを意識している。「春の祭典」が放った、キリスト教以前のロシアにおける異教的イメージ。ソリッドな“近代”に対する前衛が古層的なものと結びつく、つまり、前衛と古層とが手を携えて“近代”を挟撃するという精神史的なドラマに私は興味がひかれている。伊福部もそこにシンクロしているように私には思われてくる。

 伊福部の父親は北海道の音更で村長をしていたが、他の高圧的な役人とは違ってアイヌの人々と親しく接していたという。昭もまた幼少からそうした付き合いにまじり、アイヌの文化に馴染んでいた。彼らにとって詩、踊り、音楽は人間感情の混沌としたものの発露として不可分一体のもので、伊福部自身も音楽だけを特別に切り分けるという意識はなかったそうだ。中学校にあがり、国家の文化政策としての音楽教育は理屈っぽくて違和感があったという。レコードで西洋音楽にも触れ始め、民族によって音楽というのはこんなに違うものかと実感したらしい。中学生の頃から兄弟や友人たちと音楽活動をしていた。北海道帝国大学林学科に進学、卒業後は林務官となったが、ちょうどその頃に、音楽仲間の三浦淳史(後に音楽評論家)のすすめで書いた「日本狂詩曲」がチェレプニン賞を受賞した。翌年、来日したチェレプニンから特別レッスンを受けたが、しばらくは本職と作曲との二足のワラジをはく。

 1945年、日本の敗戦時、彼は病床にあった。厚木飛行場に降り立ったマッカーサーを迎える軍楽隊が、戦時中に伊福部が海軍の依頼で書いた(やっつけ仕事だったらしいが)「吉志舞」を演奏するのをラジオで聴き、驚いたという。戦後は膨大な数の映画音楽を作曲したが、とりわけゴジラのテーマ曲は、伊福部の名前を知らない人でも耳に馴染んでいる。脚本を読み、そのアンチ・テクノロジーの思想に共鳴したようだ。監督の本多猪四郎、円谷英二らとは意気投合し、その後も多くの怪獣映画で一緒に仕事をしている。なお、北海道時代からの親友・早坂文雄もやはり映画音楽で活躍し、黒澤明作品で有名だ。

 近所の盆踊りとか民謡は分からないのにベートーベンやらモーツァルトなら分かるというのは不自然だ、そういうのはただの教養主義で格好つけているだけで、本当は何も分かっていないんじゃないか、と伊福部は言う。ドイツ・フランス・イタリアといった西欧音楽の主流圏に留学して音楽をやっても意味がない、むしろ、ポーランド・チェコ・ハンガリー・ユーゴスラヴィア・ルーマニアなどのドーナツ圏の国々が自分たちとは文化の異なる西欧音楽を如何に消化したのか、そこをこそ日本は学ぶべきだとも言う。伊福部の音楽に漂う土俗性は時折“民族楽派”とも呼ばれるが、彼はことさら日本にこだわっているわけではない。ただ、自分の感性に正直に作曲したい。意図的にでっちあげたものなんて所詮、虚構だ。自分の感性に馴染むものに、たまたま生まれ育った日本なり、北海道なりの土着的なものがにじみ出てくるというだけだ。民族的と言っても、アイヌやギリヤークなど北方諸民族も含め、むしろユーラシア的な広がりを持っているところが伊福部の魅力だ。日本なら日本という特殊性を通過して共通の人間性に到達する、それが理想だとも彼は語る。

 伊福部家の家学として『老子』を昭は幼少時から父親によってたたき込まれたという。「『老子』の第三十八章に、「上徳は徳とせず、是を以て徳有り」とあるんです。上徳とは、徳の非常に高いことを意味します。徳をほどこしても、ほどこしたぞ、ほどこしたぞといえば、それはもう徳ではない、ということなんです。それと同じように芸術も、芸術的だ、芸術的だ、芸術品だという意識をもってすれば、それはもう芸術ではない。芸術だか何だかわからないうちに生み出すものが芸術なんだというふうに思っております」(木部与巴二『伊福部昭──音楽家の誕生』262ページ)。一切のことわりを取り払ったとき、表現すべきものが自ずと表われてくる。私自身、早くから老荘思想に馴染んでいたので、こういう感性を持っている人は信頼できると思っている。

 木部与巴二『伊福部昭──音楽家の誕生』(新潮社、1997年)は、伊福部自身の語りを織り込みながら、日本の敗戦直後、伊福部が職業音楽家として立つまでの軌跡を描き出している。戦後の伊福部の活動については、小林淳『伊福部明の映画音楽』(ワイズ出版、1998年)が伊福部の手がけた映画音楽のクロノロジーという形で整理している。同じく小林淳『伊福部明──音楽と映像の交響』(上下、ワイズ出版、2004年)は伊福部の純音楽と映画音楽との関わりを個別の曲ごとに詳細に論じている。片山杜秀『音盤考現学』『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング、2008年)も随所で伊福部に言及しているほか、CD「伊福部昭の芸術」シリーズにもライナーノーツとして片山による伊福部からの聞き書きや論考がある。

 伊福部については以前にも少し興味があってCDも何枚か持っていたのだが、最近、江文也について調べ始めて(→こちらを参照)、江を見出したチェレプニンに関心を持って、彼は同時に伊福部も発掘していたことから再び伊福部音楽を聴き始めたという流れ。チェレプニンについては、Ludmila Korabelnikova, tr. by Anna Winestein, Alexander Tchrepnin: The Saga of a Russian Emigré Composer, Indiana University Press, 2008を取り寄せたのでこれから読むところ。

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コメント

私、思想は相容れないが黛敏郎の涅槃交響曲とか、けっこう好きなのよね。武満のノベンバーステップスも、初めて聞いたときは「うちひしがれ」ました。
たとえば、あの戦争に厳しい目を向けても、「海ゆかば」を聞いたら何だか泣けてくる。革命京劇「紅灯記」がオモシロイと思うと同じ感覚ですね。

投稿: Mセンセー | 2009年1月23日 (金) 23時31分

 つい先日、手持ちのCDを詰め込んだ箱をゴソゴソ探っていたら、黛敏郎「涅槃交響曲」も出てきました。昔買ったのをすっかり忘れていました…(どんな曲だったかよく覚えていない)。伊福部も交響頌偈「釈迦」なる曲を作っていて、しっかりパーリ語で歌ってます。そういえば、チベットの声明のCDも持ってまして、あのグロテスクなまで人間離れした低音は結構好きでした。
 武満は「弦楽のためのレクイエム」とか好きです。生前、一度だけナマ武満を間近に見たことがあります。ある現代音楽の演奏会へ行ったら、たまたま彼が目の前を通りかかったというだけですが。
 「海ゆかば」は、この曲の存在は知っていても、実は聴いたことがないんですよ。聴く機会というのがなかなかありませんので。
 …それにしても、先生もよくマイナーなものまでご存知ですね。驚いたというか、呆れたというか(笑)

投稿: トゥルバドゥール | 2009年1月24日 (土) 00時11分

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