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2009年1月23日 (金)

ユリウス・クラプロートという人

…と言っても知っている人はあまりいないでしょうね。私も今日初めて知りました。いま、Charles King, The Ghost of Freedom: A History of the Causasus(Oxford University Press, 2008)という本を読んでいて、知らない人名が出てくるたびにwikipediaで検索してるんだけど、この人、どうやらジャパノロジストとしても知られている人らしい(wikiの記事はこちら。国際日本文化研究センターのサイトには彼についての講演要旨あり)。

 Julius Heinrich Klaproth (1783-1835)、ベルリン生まれ。若い頃からアジアの言語の専門家として注目されていたようで、サンクト・ペテルブルクのアカデミーによって1807年、コーカサスに派遣された。弱冠24歳のとき。上掲書では、コーカサスにまつわるオリエンタリズムとも言うべきイメージ形成にあたり、18世紀のギュルデンシュテット(Johann Anton Güldenstädt)とこのクラプロートの観察が源流となり、二人ともロシアでの知名度は低かったが、ブロネフスキなる人の著作によってそのイメージはロシアでも一般的となり、さらにプーシキン「コーカサスの虜」につながるという文脈だった。

 クラプロート、ギュルデンシュテット、二人ともドイツ人であったことに上掲書は注意を促しているが、そもそも言語学という学問が19世紀ヨーロッパで本格化した時代的雰囲気と符合する(詳しくは、風間喜代三『言語学の誕生』岩波新書、1979年を参照のこと)。①ドイツではナショナリズムの高まり→民族的源流はどこ?という問いかけ→印欧語族の比較研究、②イギリス・フランスの植民地拡大→とりわけインドの知識→印欧語族研究の進展、③未知なる領域への探究心→ロマンティストがホイホイ海外へ出かけていく、ざっくり言ってこんなところか。

 クラプロートはもともと中国語に興味を持ったようだが、さらには、満州語、チベット語、ペルシア語、クルド語、サンスクリット等々と様々な言語の研究に没頭した。博士論文はウイグル語の研究。日本語については、イルクーツクにいたシンゾウ(ロシア語名、ニコライ・コロティギン)なる人物から手ほどきを受けたらしい。林子平『三国通覧図説』をフランス語訳したり、琉球諸島の研究をしたり、シーボルトとも文通していたという。どんな人なのか詳しいことは分からないが、ユーラシア大陸を股にかけてほっつき歩いていたロマンティスト(勝手にそう思っている)がいたというのは非常に興味がひかれる。

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