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2008年2月24日 - 2008年3月1日

2008年2月29日 (金)

筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治──軍部大臣現役武官制の虚像と実像』

筒井清忠『昭和十年代の陸軍と政治──軍部大臣現役武官制の虚像と実像』(岩波書店、2007年)

 明治憲法で規定された政軍二元体制の下、昭和初期の軍部、とりわけ陸軍の政治的影響力は極めて強かった。具体的には、軍部大臣現役武官制を伝家の宝刀のように振るい、自分たちの言うことを聞かなければ陸相候補を推薦しないと脅しつけていたというのが定説であり、私自身もずっとそう思っていた。ところが、そうした理解には根拠がないと本書は主張し、個々の内閣の成立・崩壊事情を検証しながら定説を覆していく。眼から鱗が落ちるようにスリリング、とても面白い研究書だ。

 広田弘毅内閣成立時に、陸軍は二・二六事件という不祥事をおこしたにもかかわらず強硬な要求を突きつける。この内閣において現役武官制が復活するのだが、逆に言えばこの制度があろうとなかろうと、陸軍は自分たちの主張を押し付けることができた。現役武官制復活の背景としては、二・二六事件に関わって予備役に入った皇道派の将軍たちの復権阻止という目的があった。つまり、二・二六事件のような不祥事を繰り返さないよう陸軍内部の一元化を目指した粛軍の一環であり、ここでは軍人の“政治化”を苦々しく思っていた陸軍次官・梅津美治郎がイニシアチブを取った。

 宇垣一成内閣構想の流産は現役武官制の威力を発揮した一例とされる。彼はかつて陸相在任中に四個師団削減という大リストラを断行したため、陸軍の大先輩ながらも極めて不人気、陸軍全体から反対の大合唱があった。陸軍上層部は宇垣には特に忌避感はなかったようだが、中級幕僚以下の反対がすさまじく、これでは現役武官制があろうとなかろうと、組閣はできなかった。

 宇垣の組閣失敗を受けて林銑十郎に大命降下、石原莞爾の意向を受けた満洲組の十河信二・浅原健三らが暗躍した。この背景には、林を担いで“国家革新”を目指す陸軍中堅幕僚たちの策動があり、これに対して陸軍上層部は三長官(陸相・参謀総長・教育総監)推薦による陸相選出で彼らの動きを抑え込んだ。ここでもやはり梅津がイニシアチブをとった。石原派は引き下がり、林内閣は無策となって間もなく倒れる。

 近衛文麿は自らの意志で板垣征四郎を陸相にピックアップした。阿部信行内閣では三長官会議で多田駿を陸相候補と決めたにもかかわらず、天皇直々の指名により畑俊六が陸相に就任。この背景には天皇の陸軍への不信感があり、畑は「陸軍は陛下から信用されていない」と訓示して陸軍省内の反発を買ったという。いずれにせよ、陸軍の意志とは別の次元で陸相が決まっている。

 米内光政内閣での畑陸相の辞任も現役武官制が威力を発揮した一例としてよく取り上げられる。しかし実際には、近衛新体制待望論がマスコミの煽りたてによって高まる中、米内は陸軍に責任を押し付ける形で政権を投げ出したと解釈される。生真面目な畑が真っ青な顔をしているのに対し、米内は余裕綽綽だったというのが印象的だ。

 こうした検証を通して、陸軍の政治進出を軍部大臣現役武官制で説明してしまう歴史の見方は一面的に過ぎると著者は言う。もちろん、陸軍の政治責任は免れないものの、こうした歴史観はむしろ宮中関係者(とりわけ近衛文麿)やマスコミの責任を相対的に低くする役割を果してきたのではないかと指摘している。

 首相の座を狙う将軍たちや石原莞爾のような“政治軍人”の異端児が様々な動きを展開する一方、そうした風潮に対して梅津美治郎は「軍人は軍人としての本分を守るべきで政治に野心を持ってはいけない」と考えて粛軍を進めていた。また、武藤章にしても、彼は陸軍の主張を通すべく根回しに動いていたことから“政治軍人”の典型例と考えられているが、彼は政治家や官僚に対しては厳しい態度を取ったものの、一方で中堅以下の将校たちが暴発しかねないのを何とか押さえ込もうと努力していた(二・二六事件があったわけだから実際に可能性はあった)。政治家への厳しい態度は中堅幕僚たちからの突き上げを受けてのことであり、両者の板ばさみになってかなり憔悴していたらしい。陸軍といっても一枚岩ではない。多様な人物群像の交錯を描き出している点でも本書は面白い。

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2008年2月28日 (木)

マルクス・アウレーリウス『自省録』

 マルクス・アウレーリウス(神谷美恵子訳)『自省録』(岩波文庫、1956年)を手に取り、むかし傍線を引いた箇所を拾い読みしながらつらつらと考えたこと。

 “私”なるものが自明であるとみなすのが現在の我々の思考習慣だから、とりあえず、この前提を踏まえて話を進める。“私”なるものの領域を仮定して境界線を引いてみる。一般に“自由意志”と呼ばれるのは、この線の内側に生起する諸々の感情を指すのだろう。しかし、外なるものと同様、この内なるものもまた“私”自身のつくったものではない。与えられたものである。誰がくれたんだか知らないが。内なる必然と外なる必然、両者がぶつかり合ったあわいにかろうじて“私”なるものがぼんやりと浮かび上がっている。

 時折、こうせねばならない、という思いに体が衝き動かされることがある。内なる必然を貫徹させようとして外的な環境にぶつかっていくとき、おそらく“自由”という言葉を使っても違和感はないと思う。外なる脅威にたじろぐと、やましさを感ずる。やるべきことをやっていないのだから。しかし、外なるものの力は圧倒的で、自分の力ではどうにもならないことがある。そんなとき、どうすればいい? 内なる必然と外なる必然とを共に受け入れればいい。つまり、戦って、成り行きに任せ、死ぬべきならば死ねばいい。それだけのこと。

君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。ところがその判断は君の考え一つでたちまち抹殺してしまうことができる。また君を苦しめるものがなにか君自身の心の持ちようの中にあるものならば、自分の考え方を正すのを誰が妨げよう。同様に、もし君が自分に健全だと思われる行動を取らないために苦しんでいるとすれば、そんなに苦しむ代りになぜいっそその行動を取らないのだ。「しかし打ち勝ち難い障碍物が横たわっている。」それなら苦しむな、その行動を取らないのは君のせいではないのだから。「けれどもそれをしないでは生きている甲斐がない。」それならば人生から去って行け。自分のしたいことをやりとげて死ぬ者のように善意にみちた心をもって、また同時に障碍物にたいしてもおだやかな気持をいだいて去って行け。(137~138ページ)

外的な原因によって生ずることにたいしては動ぜぬこと。君の中から来る原因によっておこなわれることにおいては正しくあること。これはとりもなおさず公益的な行為に帰する衝動と行動である。なぜならこれが君にとって自然にかなったことなのだから。(155ページ)

 やるべきと思うことをただやればいいのだから、内なるもの、外なるもの、どんな形を取ろうとも必然を拒絶する必要はない。

自分に起ることのみ、運命の糸が自分に織りなしてくれることのみを愛せよ。それよりも君にふさわしいことがありえようか。(115ページ)

君が自分の義務を果すにあたって寒かろうと熱かろうと意に介すな。またねむかろうと眠が足りていようと、人から悪くいわれようと賞められようと、まさに死に瀕していようとほかのことをしていようとかまうな。なぜなら死ぬということもまた人生の行為の一つである。それゆえにこのことにおいてもやはり「現在やっていることをよくやること」で足りるのである。(81ページ)

 結局、自分に与えられたものにその都度一生懸命取り組んでいくという以上のことは何も言えない。何か具体的な目標を成し遂げる、完成させるというレベルのことではなく、一瞬一瞬の取り組みそのものが自分に与えられた義務なのだから、いつまで生きようが死のうが本質的に関係ない。

 内なる必然に衝き動かされたものがたまたま“私”という形を取るにしても、それをあたかも固定的な実体を備えたものであるかのように思いみなし、その保存を図ろうとするところに近代的な個人主義の倒錯がある。そうやって固執されたものは、所詮、ゴーストに過ぎない。

今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること。(24ページ)

 “真理”という言葉を使って探し求めたくなるものは、どこか違う世界にあるのではない。たったいまここに存在するということ自体に“真理”がある。だから、あとはよく考えるだけ。

哲学するには、君の現在あるがままの生活状態ほど適しているものはほかにないのだ。このことがなんとはっきり思い知らされることか。(184ページ)

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2008年2月27日 (水)

松本健一『近代アジア精神史の試み』

松本健一『近代アジア精神史の試み』(岩波現代文庫、2008年)

 本書のオリジナル(中央公論新社、1994年)も手もとにあるのだが、加筆補訂があるようなので改めて読んでみた。

 近代日本におけるアジア主義をどう捉えるかというのは極めて難しいテーマである。思想的内実として多義的、曖昧であり、そうしたところから、日本の過去を肯定するにせよ、侵略戦争の正当化に使われたとして論難するにせよ、それぞれの論者の得手勝手なイメージで語られやすい。

 19世紀、帝国主義のパワーゲームが東アジアにまで及び、植民地化の危機に直面した当時の人々は様々に対策をめぐらす。それは同時に、我々の一体何を守るのか?という問いかけをもたらした。アジア主義という思想運動についてできるだけ価値中立的に述べようとするなら、その特徴は西欧文明からの衝撃に対するリアクションとして表われた自己認識の諸相という点に求められるだろうか。

 たとえば、吉田松陰の“国体”論にせよ、朝鮮半島では崔済愚の“東学”にせよ、ヨーロッパという他者を目の当たりにしてはじめて自己認識の契機が生まれた、その努力と言えるだろう。さらには、ガンディーの“非暴力抵抗”にしても、近代=西洋の物質的文明原理に直面して、自らの土着的思想の伝統の中から汲み上げられた抵抗の原理として受け止めることができる。それは、西欧近代思想の文脈で言う(すなわち、我々戦後日本人の言う)ヒューマニズムや平和主義とは全く異質なものだ。ガンディーの思想的意義に日本でいち早く注目したのは大川周明だが、欧化を受け入れつつある日本で伝統の核心は何かを問い続けた彼ならではの慧眼である。

 もちろん、こうした反応は各国各様であって一つにくくってしまうには無理がある。それに、松本さんのお書きになるものを読むたびに思うのだが、テーマがなかなか掘り下げられず、ラフ・スケッチ程度に終わってしまっているという印象も否めない。しかしながら、西欧の衝撃→抵抗→自己認識の契機という反応の取り方で共時的体験を持ったアジア諸国について比較考察する大きな枠組みを叩き台として作ってくれた点で本書は興味深い。

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2008年2月26日 (火)

「ラスト、コーション」

「ラスト、コーション」

 1930~40年代の上海、香港。租界ではヨーロッパ風の街並がモダンな雰囲気を醸し出す一方で、日本軍の不穏な影で緊張感がみなぎっている。民族も背景も異なる雑多な人々が入り乱れる中、野望、陰謀、憎悪、その他諸々の思惑が交錯する都市。政治や歴史観の問題はとりあえず抜きにして、ドラマの舞台としてこの上なく魅力的だ。

 香港の大学生クァン(ワン・リーホン)たちは抗日愛国演劇を企画、素人ながらも熱演したチアチー(タン・ウェイ)の大好評もあって観客の反応は良かった。しかし、激しさを増す戦火をどうにもできない彼らの気持ちはジリジリと焦る。そうした時、クァンの同郷人のツテで、日本の傀儡・汪精衛(兆銘)政権の特務機関責任者として辣腕を振るうイー(トニー・レオン)に接近する機会が得られた。イー暗殺のため、大富豪夫人に成りすましたチアチーが送り込まれる。

 原作は張愛玲(アイリーン・チャン)の短編小説「色・戒」(南雲智訳『ラスト・コーション 色・戒』集英社文庫、2007年、所収)。原作では、映画でいうとラスト近く、宝石店のシーンが中心だが、映画ではそこに至るまでのプロセスを大きくふくらませている。濡れ場がかなり際どい。ゴクッと生唾を飲み込む音が隣に聞こえないかと心配しつつ、中国映画も今やここまでやるのかと驚いた。

 猜疑心が強く慎重なイーの懐に入り込むため、チアチーも単に演技というレベルを超えて、自らの心を殺して本気にならねばならない。しかし、イーが心のバリアを外していることに気付いた途端、彼女の感情に一瞬の変化が萌した。それは彼女の破滅であり、同志に対する裏切りをも意味するのだが…。このたった一瞬をリアルに映像に写し取るためと考えれば、延々と続くストーリーも激しいベッドシーンも説得力を持つ。

 これだけストーリーをふくらませるなら、イーの人物造型にもっと奥行きがあってもよかったのではないか。彼はいわゆる“漢奸”である。民族の裏切り者として憎まれている立場をよく自覚している。そうした人物ならではの屈折したニヒリズムが浮き彫りになればチアチーとの絡みにもさらに凄みが出たように思う。トニー・レオンのダンディなシニシストといった趣きはさすがに絵になるものの、彼の甘いマスクはある種のどす黒さをかき消してしまう。

 ワン・リーホンの理知的にすずやかな表情が目を引いた。何かで見たことがあると思っていたら、「真昼ノ星空」(中川陽介監督、2004年)で鈴木京香の相手役となった青年だ。

 以前、中国文学者・藤井省三さんの本を読んでいたら、学生の頃に張愛玲の名前を出したら中国人留学生から笑われて釈然としなかった、というエピソードがあった。彼女は通俗小説で知られるが、中国語圏では根強いファンがいる。先日、台北の書店を回った時にも、「ラスト・コーション」上映に連動させているという理由もあろうが、あちこちの特集コーナーで平積みされていた。張愛玲、汪精衛政権とくると胡蘭成の名前が思い浮かぶが、イーに彼の姿が重ね合わされているかどうかは分からない。

【データ】
英題:Lust, Caution 中文題:色・戒
監督:アン・リー
2007年/アメリカ・中国・台湾・香港/158分
(2008年2月24日、日比谷、シャンテシネにて)

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