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2008年2月17日 - 2008年2月23日

2008年2月21日 (木)

井上井月という人

 『つげ義春作品集』(日本文芸社、1998年)を読んでいたら、「蒸発」という作品に気持ちがひかれた。

 眼が虚ろで影のうすい古本屋の主人。空気のようにフワフワとした印象。彼は自らを“無用の者”というが、いわゆる“拗ね者”意識とはちょっと違う。この世の無常をどこか悟ってしまい、物事のなりゆくままを淡々と受け入れていくような感じ。「まあ、私はほんの一時的にこっちに、この世に来ているだけですから…」というセリフがある。たまたま生まれて、たまたまここにいるだけのこと。仮寓の自覚。

 彼は、郷里の先人だからといって『漂白俳人 井月全集』という本を語り手(おそらく、つげ本人)に渡す。ページをめくりながら井上井月という人物を思い描き、それがおのずと古本屋の主人の姿に重ね合わされていくという話。

 井月──“せいげつ”と読む。幕末から明治にかけて信州、伊那谷に実在した俳人らしい。伊那谷といえば、今は加島祥造がいる。英文学者だが、最近は老子についての本を書いている。そういうタイプを引きつける土地柄なのか。意図して“仙人”的な雰囲気を出しているところにいびつなコマーシャリズムを感じて私は好きじゃないけどね。

 井月はある日ひょっこりと伊那谷に現われ、そのまま居ついたらしい。素性はよく分からない。風貌は冴えないものの、その深い学識と達筆な書に村人は驚いた。俳句の宗匠として尊敬されたが、酒を呑んでは家々を泊まり歩き、やがて疎んじられるようになる。最後は枯田で糞まみれになって死んだ。

 心ない村人から邪険にされ、子供たちからは「しらみ井月、乞食井月」とはやしたてられ、石をぶつけられても意に介さない。決して怒らず、ニコニコと穏やかな表情ですべてを受け入れる。つげ作品だからじっとりとした暗さがあるのは当然だが、その中でも不思議な清涼感に印象付けられた。

 早速、井月に関する本を書店で探した。俳句鑑賞に重きを置いた内容の本が2冊ばかりあったが、あいにく私は俳句に興味はない。江宮隆之『井上井月伝説』(河出書房新社、2001年)は小説仕立ての評伝で読みやすそうだったので買い求めた。井月と多少関わりのあった人から彼の俳句を教えられた芥川龍之介が興味を持つシーンから説き起こされる。小説なのでかなりイマジネーションでふくらまされているようで、どこまで井月という人物を写したものなのかは分からない。

 井月のようなタイプはいつの時代でも人知れず、いる。人に知られることを望んでいないし、また関心もない。そんな彼が人の気持ちを不思議と引きつけるのはなぜだろう。各自が心中に抱えている妙にこわばったプライドやら何やらを無意味と思いつつ捨てられない、そんな不自然さを薄々自覚しているからだろうか。

 漂泊という点では種田山頭火も思い浮かぶ。彼もまた井月に思い入れがあったらしい。しかし、江宮氏も指摘するように、山頭火の自我への強烈なまでのこだわりは、井月とはまた異質なものだ。

 すべてをかなぐり捨てて純粋に透明になった状態、自他の別が消え去った心境。憧れつつも、難しい。なろうと思ってなれるものではないし、なろうという意図そのものがまた強烈な自意識としてこわばり始める。世間になずんだ生活なら、それもまた受け入れていけばいい。否定するのもまた無意味。すべては今ある自分のあるがままに生きて死ぬだけ。そう考えれば、誰でも井月と同様の心境になれるはず。あえて井月を意識したポーズをとる必要はないし、そんな意識はむしろ間違っていると思う。

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2008年2月20日 (水)

吉野孝雄『文学報国会の時代』

吉野孝雄『文学報国会の時代』(河出書房新社、2008年)

 あの作家は大政翼賛会にいた、この詩人は戦争協力の詩を書いた──うぶな頃の私などもそういった類いのことを知るたびに、怪しからん、と驚いていたものだ。ところが、そのうちこう考えるようになった。当時と今とでは考え方に大きな断絶がある。戦争を絶対悪とするのは必ずしも通時代的に普遍的な価値観とは言えない。もちろん、現代の我々(私自身も含めて)からすれば戦争協力は決して褒められた行為ではない。しかしながら、時代の渦中にあった人々に対して、戦争協力したかしなかったかという点で評価の一線を引いて欠席裁判をするような論調というのは、所詮、後知恵の傲慢に過ぎないのではないか。本書にもそうした嫌味が鼻につく。

 本書は個々の作家たちの振舞いや発言についてはよく拾い上げているものの、では、文学報国会が具体的にどのような役割を果したのかが明確ではない。そもそも、文学報国会にどれほどの影響力があったのか、はなはだ疑問がある。つい最近、杉森久英『大政翼賛会前後』(ちくま文庫、2007年→参照)を読んだばかりだ。杉森が翼賛会文化部に勤めていた頃の回想録である。これを読んでみると、翼賛会の内部はグダグダ、看板倒れで組織としての態をなしておらず、そのだらけた雰囲気が杉森の筆致から伝わってくる。総花的に文学者たちの名前だけをかき集めた文学報国会にしたって、たいしたことも出来なかったのが実情だろう。なお、本書の参考文献に杉森書が含まれていないのが気にかかる。

 とは言いつつも、様々な人物が登場するので、「この人はこんな所にも顔を出していたのか」という感じに、私のような現代史オタクには興味深く読めた。今では忘れられた難読人名にも正確にルビがふってある。大切なことである。編集者の苦労がうかがえる。

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2008年2月19日 (火)

マイケル・イグナティエフ『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』

マイケル・イグナティエフ(中山俊宏訳)『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』(風行社、2003年)

 コソボが独立宣言を出した。セルビアとの協議離婚という形にはならなかったようだ。背景としては、第一に、コソボ内のセルビア系住民が少数派に転落し、かつての大セルビア主義への報復があるのではないかという懸念がある。第二に、14世紀、コソボの戦いでセルビア王国はオスマン帝国に敗北、スルタン・ムラト1世の暗殺に成功したものの、捕虜となっていたセルビア王も報復として処刑された。コソボはセルビア人にとって民族的記憶の土地となっており、そうしたナショナリズム感情が強く働いている。日本は米英仏と共同歩調を取ってコソボを国家承認する見込みらしいが、ロシア・中国をはじめ国内に分離独立運動を抱える国々からの反発も強く、前途多難である。

 内政不干渉、国境不変更などの原則に基づく主権国家をアクターとした国際政治のルールは1648年のウェストファリア条約によって基本的な枠組みが出来上がった。三十年戦争という血みどろの宗教戦争による惨禍の体験を踏まえ、国ごとに異なる宗派を奉ずることを容認して他国の宗教・価値観に対して口を挟まない、すなわち内政不干渉の原則による共存のシステムがそこには含意されていた。

 冷戦構造が崩壊した後に世界各地で噴出した民族紛争は、こうした主権国家システムを大きく揺るがした。つまり、一国家内で多数派が少数派に対して大量虐殺、場合によっては民族浄化を行なうという悲劇を目の当たりにしたとき、内政不干渉の原則を盾に取って放任しても構わないのか? 国連のガリ事務総長は積極的平和創造という方針に踏み込んだが、ソマリア問題で失敗した(→ソマリア問題の背景①の記事を参照のこと)。これに懲りた国際社会はルワンダ問題では動くことができなかった(→映画「ホテル・ルワンダ」の記事を参照のこと)。他方、旧ユーゴ紛争については欧米諸国は身近な問題として憂慮を示した。1999年、コソボ問題をめぐってのNATO軍によるセルビア空爆は人道的介入の問題を大きくクローズアップすることになり、たとえばハーバーマスが緊急援助のためには主権国家という枠組みを乗り越える必要があるという論点から空爆を支持したことは論争を巻き起こした。

 前置きが長くなった。本書『軽い帝国──ボスニア・コソボ・アフガニスタンにおける国家建設』はコソボ、ボスニア、アフガニスタンと三つの現場を歩いたルポルタージュを踏まえ、国家建設を軌道に乗せるためには実際問題として外部からの強制力が必要だという現実を示す。武力行使を含め、紛争を抑止してその後の支援を行なうにしても、大きな役割を果せるだけの覇権を有しているのはアメリカしかいない。この責任と困難とをアメリカは引き受けるべきだと著者は主張する。ただし、傲慢さ(ヒュブリス)と思慮深さとの間に均衡点を見出す抑制的な態度を取らねばならない。それは人道目的の一過的な覇権であるから“軽い帝国”(empire lite)と呼ぶ。

 現実にはアメリカといえどもフリーハンドではない。たとえばコソボ独立は承認できても、ロシアや中国という大国への配慮からチェチェンやチベットやウイグルの問題に口をはさむことはできない。そうした点を捉えて偽善的と批判し、アメリカのダブルスタンダードによって世界がかき回されていると非難するのが一般に進歩的知識人の常套句となっている。そもそも武力行使には無条件で反対するのが彼らの常である。その点でハーバーマスの議論は驚きをもって受け止められたし、本来、人権問題を専門としていたイグナティエフについても同様の反応があった。

 訳者解説によると、彼は人道目的ならば武力介入を肯定する立場からイラク戦争では渋々ながらもブッシュ政権を支持した。武力行使に無条件で反対するリベラル派とは袂を分かつことになったが、かといって国益よりも人道目的を優先させる点で保守派とも異なる。こうしたアンビヴァレントな立場は“リベラル・ホーク”(リベラルなタカ派)と呼ばれるらしい。政治はいつの時代でもリアリズムとイデアリズムとの葛藤の中で動いてきた。その矛盾を一身に体現している点で興味がひかれる。

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2008年2月18日 (月)

奥那須・北温泉に行った

 2月16日、土曜日。朝、目覚めると、また憂鬱な気分。ねっとりとした虚無感に首がゆるゆるとしめられているような不安が耐え難く、例によって、場所を移して気分を変えることにした。『るるぶ』の東京近郊温泉特集をパラパラめくっていたら、奥那須の北温泉という所に目がとまった。電話をかけると部屋は空いているそうなので予約。とりあえず洗濯と掃除だけして、リュックサックに本を適当につめこんで部屋を飛び出した。

 11:20、東京駅発、東北新幹線なすの255号に乗車。車中で川村湊『温泉文学論』(新潮新書、2007年)を読了。12:30頃、那須塩原駅で下車。観光案内所で北温泉までの行き方を尋ねる。バスは1日2本しか出ておらず、停留所からさらに30分以上は歩くらしい。「なにぶん、秘湯ですので…」という言葉に、歩く面倒よりも、ちょっとワクワクした期待が胸にふくらむ。近くの那須湯本温泉までならバスの本数はもう少しあるらしいので、そこから歩いていけるのかきいてみると、「今は雪が積もっているのでおすすめできません」とのこと。

 駅前はガランとしている。案内所で教えてもらった土産物店兼喫茶店のような店でコーヒーをすすりながら、青木冨美子『731──石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く』(新潮文庫、2008年)を読んで時間をつぶした。次のバスは13:55発、これを逃すとあとはない。

 バスは黒磯駅に寄ってから、那須高原を北上する。観光客を呼びこむためか、ヨーロッパ・アンティーク風やら、アメリカ・ウェスタン風やら、アジアン風やら、温泉地というにはそぐわない施設が目につく。キッチュ。この一帯を抜けると登り道の勾配が徐々に急になっていく。雪がパラパラと舞い落ち始めた。

 やがて、殺生石の前に出た。九尾の狐伝説は本来、中国のものだが、ここに結び付けられていたのを思い出す。横にある神社の前には、那須与一祈願の社という立て札があった。切り込んだ谷の下には湯本温泉。卵のくさったような臭いが漂っている。この辺りまで来ると、もう福島県境に近い。

 登るにつれて、積雪の厚みが増してくる。スキー場の近くまで来ると、本格的な雪降り。ちょっとした吹雪だ。チェーンがないのか、立ち往生している自動車の脇をバスはすり抜けた。旭温泉・北温泉入口という停留所で下車。もう一人降りたおじさんはジャンパーのフードを頭に引き上げてスタスタ歩いていった。折り畳み傘を持参してきたが、役には立たないだろう。滑って転んだ時に片手がふさがっていると危ないし。私もおじさんにならい、ダッフルコートのフードを引き上げ、雪道に踏み出す。

 降り積もった雪を手ですくってみると、手のひらにしびれるような冷たさだけを残してサラサラとこぼれ落ちた。粉雪はべとつかないので、降りかかっても不快感はない。まっさらで広々とした白い絨毯に足跡を残すのが何だか楽しい。踏みしめるたびに立てる、キュッキュッという音。子供の頃、この音が好きだったなあ。

 ふと立ち止まって、頭からフードをはずした。耳をすます。何も聴こえない。音を立てているのは自分だけ。雪を踏んでいた音や、自分自身がハアハアと息継ぎをする声がさっきまで耳にまとわりついていたので、立ち止まった瞬間にたちまち無音の状態が立ち現れるというのが実に不思議な気分だ。この白い静寂に溶け込んでいけたらどんな気分だろうと他愛ない空想にひたる。

 停留所から道は一つしかないと聞いていたので迷う心配はない。大きく蛇行するように山すそをすり抜けていく。現在は山の一部を切り崩してアスファルトで舗装された車道が通じているが、かつては山道が細々と伝っていただけなのだろう。

 突然、行く手に大きな建物が姿を現した。近寄ってみると、外装が崩れ、骨組みの一部が露出している。廃業したホテルのようだ。廃墟って、だーいすき。デジカメで何枚か撮った。ガラス窓の外れた部屋で、吊り下げられたままのカーテンが雪風にあおられヒラヒラと舞っているところに哀感がわく。

 道路の行き止まりは駐車場。ここからさらに山あいに降りる道が続いている。石段があるのかもしれないが雪が積もって分からない。滑って転びそうになり、オットットッ、と一人よろけ踊りながら、自分の意図とは関係なく勢いづいて駆け下りていったら、ようやく瓦屋根の建物群が視界に入ってきた。

 到着は16:00頃。宿の前には湯気の立つ温泉プールがあった。コートについた雪をはたき落としてから玄関に入る。中では囲炉裏に薪をくべて火が熾されている。暖かさが身にしみた。

 名前を告げて宿泊台帳に記入、部屋に案内してもらった。迷路のように複雑な構造で、祠なんかもある。戦前の地元企業のポスターが額に入れて置かれていたりして面白い。三棟の建物がつながっている。古い順に、安政、明治、昭和の築造。ものは試しと、安政期の部屋にした。確かにぼろいのだが、部屋としての違和感はない。江戸時代のものというのがかえって意外だ。コタツが嬉しい。1泊2食付で7,500円。当然ながら、携帯電話は圏外。

 この宿には何種類かの湯治場がある。基本的には男湯、女湯に分かれているが、家族湯、混浴もある。いや、混浴目当てじゃありませんよ、来るまで知らなかったんですから。それはともかく、さっそく浴衣に着替え、露天風呂、河原の湯に(もちろん、男湯に)入った。脱衣場から外に出ると、雪風が裸体に吹きつけ、思わず「さむー」と低いうなり声をしぼり出してしまう。先客はおじさん、二人。お二方とも缶ビールを持ち込んでほろ酔い加減。向かいには木々の生い茂った山が迫っており、眼前でせき止められた川がちょっとした滝になっている。谷底にはせせらぎ。耳を澄ませばかすかに聞こえそうだが、それをかき消すようにパイプから奔流するお湯の音。そして、ハラハラと舞い落ちる雪。肩までお湯にひたっていると、顔に当たる冷気が際立つ。のぼせることはなさそうだ。

 部屋に戻った。こたつにヌクヌクともぐりこみ、本をめくる。うーん、しあわせ~。一応、お勉強のための本も何冊か持ってきたんだけど、そんな気分になれない。小説を読むだけで終わってしまいそうだ。それもまた、よし。まず、宮本輝の短編集『胸の香り』(文春文庫、1999年)を読了。「道に舞う」という作品が好き。物乞いをしていた少女の凛々しい表情に引付けられた。

 夕食は18:00から大広間で。まあ、宿泊費を考えれば可もなく不可もなく。ご飯の炊き具合が変だったな。40人前後は集まっていたろうか、宿泊客は結構いる。年配の夫婦や家族連れに、若いカップルやグループも多くて、年齢層は幅広い。

 宿泊先の休憩広間にある本棚をチェックするのが私の習慣。なつかしい本がみつかると楽しい。ドラえもんを手に取ったら、台湾発行の中国語(繁体字)版。なぜか他にも中国語のマンガが多かった。私の知らない日本マンガの翻訳ものの間に台湾作家のマンガ作品も混じっていて、絵柄のトーンが同じだけに見分けがつかない。同様に、中国語の絵本シリーズがあった。やはり絵柄が似ているなあと思っていたら、別の場所に日本版のオリジナルも見つけた。アルファベットで表記された日本マンガの翻訳があったのだが、めくっても意味が全く分からない。ジャカルタ発行となっていたからインドネシア語か。

 フィリパ・ピアス(高杉一郎訳)『トムは真夜中の庭で』(岩波書店、1967年)を見つけた。大好きな本だ。なつかしくてなつかしくて、さっそくむさぼり読んだ。おじさん夫婦のアパートに預けられたトム。古時計が13時を打つと、裏庭に出る扉は半世紀以上の時を超える。そこで出会った孤独な少女ハティとの不思議な交流。時間の行き来がジグソーパズルのように緻密に構成されたストーリーが面白いというだけではない。ハティの立場になってみると、孤独をなぐさめてくれた原体験としての思い出、それが時が経ち大人になるにつれて薄れつつも、再び出会えた。時間を超えたつながり合いには、読むたびに涙腺がゆるんでしまう。やはり児童文学の名作だと思う。

 読み終えると21:00頃。再び河原の湯につかる。依然として雪はハラハラと舞い落ちており、時折、かすかに冷たい雪片が頬にあたる。雪が降っているのに、薄膜のような雲の後ろで輪郭のぼんやりかすんだ月がほんのりと明るみを見せている。他に人はいない。森閑とした中、ぼんやりと眼前の山を眺めながら、『トムは真夜中の庭で』の読後感を反芻した。

 連想的に、ふと思う。自分にとって、なつかしさを感じさせる原体験とも言うべきものが何かあるのだろうか。ひょっとしたら、“何もない”という空虚感そのものを肯定するという逆説的なスタンスを取らない限り、人生行路の基準点となるべきものが他にはあり得ないのではないか。有機的な人間関係から切り離された郊外住宅地に閉じ込められていたという生育環境は今から振り返ってもどうにもならない。

 暗い山を見ながら思い出す。そういえば、中学三年生の時、柳田國男の『遠野物語』や『山の人生』が好きだった。単に怪異譚というのではなく、怪しのもの、理解不能な現象が、身近な生活を取り囲んでいるという世界観にたぶん魅かれたんだと思う。人為的に構築された息苦しい空間ではなく、人知を超えたものへの想像力とおそれとが織り込まれた生活世界。暗い山を見ながら想像する。たとえば、この静けさの中、突然、「アーーー!」と山姥の声が響き渡ったらどんな気分になるだろうか。『遠野物語』にそんな話があったのが妙に頭に焼き付いていた。たった2行の簡潔な記述だった。それがまた新聞記事のようなリアリティーを感じさせた。そもそも、『遠野物語』は明治の近代化の波が押し寄せて明るみが暗がりを追い払いつつある時代、まだ闇の中の怪異を覚えている人々の語りを記録したものだ。

 しばらく湯につかっていると、頭の上にうっすらと雪が積もってきた。手で髪をかき分けると少し凍ったような強ばりがある。頭からお湯をかぶって溶かし流して、部屋に戻る。コタツにもぐり、次は池永陽『国境のハーモニカ』(角川文庫、2007年)を読了。在日朝鮮人や外国人労働者などエスニシティーの問題を題材としているが、意外とリリカルで嫌いじゃない。

 23:00過ぎ、天狗の湯につかりに行った。大きな天狗の面がかかっており、壁には願い事の書かれた絵馬がたくさん掛かっていた。ここは混浴である。人がいなさそうな頃合を見計らったつもりだったが、若い男性が二人いた。入ってみると、かなり熱い。長くはつかっていられないので10分ほどで退散。再びコタツにもぐり込み、自販機で買ったカップ酒を呑みながら沼田まほかる『九月が永遠に続けば』(新潮文庫、2008年)を読み始める。24:30頃、就寝。

 翌朝、7:00に目が覚めた。夜明けに起きて、露天風呂につかりながら明るみゆく様を見たいと思っていたのだが、仕方ない。7:30から朝食なので、それまでだけでも河原の湯につかることにした。脱衣場で浴場への扉に手をかけたら、素っ裸のおばさんが出てきて驚いた。男湯と女湯とではまた景色が違うらしく、見に来ていたようだ。おおらかである。

 朝食をすませ、しばらくコタツで読みさしの小説を手にヌクヌク。バスの時刻は9:30だが、雪道を歩くので早めに出るほうが良さそうだと判断、8:40頃に精算して、宿に別れを告げた。多分、また来ると思う。停留所まで意外とスムーズに歩けて、9:10頃には着いてしまった。雪がシンシンと降る中、ボーっと突っ立っているしかない。除雪車がフル稼働のようで、何台かが通り過ぎていった。

 バスは時間通りに来た。山を降りると、世界が違ったように雪がない。ふもとのバスターミナルでチェーンを外したバスに乗り換えた。黒磯駅に着き、10:25発の普通列車に乗車。帰りは時間にしばられていないので、在来線を乗り継いで帰る。13:30前に新宿到着。

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