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2008年12月7日 - 2008年12月13日

2008年12月12日 (金)

佐原徹哉『ボスニア内戦──グローバリゼーションとカオスの民族化』

佐原徹哉『ボスニア内戦──グローバリゼーションとカオスの民族化』(有志舎、2008年)

 ボスニア人、セルビア人、クロアチア人。宗教を異にし、方言的な差異があるにしても基本的には文化的同質性が高い。しかし、第二次世界大戦でのナチス・ドイツ軍の進出をきっかけに民族的暴力の波が全土に広がり、クロアチア人のウスタシャ、セルビア人のチェトニクの応酬で血みどろの殺し合いが繰り広げられた。こうした民族対立に唯一反対したのがチトーのパルチザンであった。彼らにも必ずしも問題がなかったわけではないが、戦後のユーゴスラヴィアはパルチザン神話に基づき、国民的連帯感の損なわれるのを恐れてかつての記憶を封印することで成り立った。

 戦後ユーゴは、第一に非同盟主義をとって東西双方とほどほどの関係を保ちつつ、第二に経済的意思決定を下へと分権化・ローカル化して経済を活性化させていた。このため、共和国・自治州は実質的には独立していたが、チトーの権威と古参党員たちの横の連帯意識によって、とりわけ民族共存という理念がイデオロギーとして作用することで体制は維持されていた。ところが、1980年代後半以降、経済のグローバル化が波及し始めてユーゴ国内にも変革圧力が強まり、政治構造が流動化する。旧来的なチトー主義者はこうした情勢に対応できず、その間隙をつく形でスロヴェニアのクチャンやセルビアのミロシェヴィッチなどのような新世代エリートが台頭、彼らは政治権力掌握の手段として民族主義者と手を組んだ。各共和国の分離要求が高まり、とりわけ三民族がモザイク状に入り混じったボスニア-ヘルツェゴビナは無秩序な混乱状態に陥ってしまう。

 本書はボスニア内戦の進展をたどる中で、セルビア人、クロアチア人、ボスニア人、三者それぞれが行なった残虐行為が詳細に分析される。民族紛争というと、価値観の折り合いがつかないところに問題点を見出したくなる。また、“悪い”セルビア人が“かわいそうな”ボスニア人に対してジェノサイドを行なったという図式的な見方が一時マスメディアを中心にはびこっていたが、その一面的な誤謬はすでに指摘されている(たとえば、高木徹『戦争広告代理店』→こちらを参照のこと)。本書によると、残虐行為の動機にしても行動様式にしても、三民族とも実は全く同様のロジックをとっている、つまり、三民族とも同じ価値観を共有していたところに問題の本質があると指摘されている。

 旧ユーゴの体制が機能不全に陥ってしまった混乱状況の中、各地で様々な地域エゴが噴出し始めたのがそもそもの発端である。ただし地域ごとに事情は様々で、民族や宗教はあくまでも諸要因の一つにすぎず、本来的には民族紛争として一般化できる性質のものではなかった。しかし、人々の不満をたくみに吸い上げるべく一部の政治指導者が民族主義的な言説を利用し、民族紛争・宗教紛争という外被がかぶせられることになった。すなわち、第二次世界大戦における「ジェノサイドの記憶」を覚醒させ、情報操作によって「集団的記憶」=民族意識に高めていく。三民族とも、「自分たちこそがジェノサイドの被害者だ」という被害者意識を宣伝していた点では全く共通している。住民の不安はかきたてられ、「ジェノサイド」の恐怖から逃れようと結束、自衛のためという名目の下で「敵」とみなした相手への残虐行為も含めて政治動員される。いったん社会が無秩序状態に陥ってしまうとそれまで抑えられていた様々な不満や、時には私的な残虐な欲望までもが暴力として表出する。こうした暴力が自衛のためという大義名分の下で正当化されてしまい、政治指導者はそれを利用して自らの権力基盤強化を図る。デイトン合意では三民族の領域を分割することで棲み分けが期待されたが、しかしこうした枠組みを固定化してしまうことでむしろ民族主義者の権力を温存するメカニズムになってしまったと著者は指摘する。依然として「ジェノサイドの脅威」を口実とするアイデンティティ・ポリティクスは継続されているという。

 “民族”なるものの本質に排外主義や暴力性が潜んでいると単純化できるのではなく、複雑な要因の絡み合いの中から人間集団の差異化→相互反目の負のスパイラル→それが“民族紛争”“宗教紛争”という衣をまとう、こうしたプロセスが明瞭に描き出されている。“民族”概念の流動性、時には恣意的な操作対象となりかねない危険性はよく指摘されるところだが、その具体的なケース分析として説得力のある研究だと思う。

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2008年12月11日 (木)

金野純『中国社会と大衆動員──毛沢東時代の政治権力と民衆』

金野純『中国社会と大衆動員──毛沢東時代の政治権力と民衆』(御茶の水書房、2008年)

 文化大革命の捉え方にも色々とあるようだが、本書は、政治構造という外部条件だけでなく、一般の人々が歴史的過程の中で内面化した価値観、身体化された行為様式などの内在要因も視野に入れながらトータルで考えなければならないという問題意識に従って分析を進める。大衆動員に向けては、①組織インフラ、②個人を統合していく強力なシンボル(=毛沢東)、③社会変革を正当化するイデオロギー、といった条件が必要となるが、これらは文革に先立って、建国前後の反革命分子摘発から三反五反運動、反右派闘争、大躍進運動、社会主義教育運動と続く中で醸成されていたという。

 ここで注意すべきなのは、大衆動員には強制→黙従という抑圧的側面だけでなく、人々からの自発性も無視し得ないこと。その点で、社会主義イデオロギーの道義的生活規範化という論点に興味を持った。社会主義の難解な議論なんて一般庶民には分からない。むしろ、集団と個人、質素と贅沢、勤勉と怠惰、謙虚と自惚れ、こうした二項対立によって前者を肯定、後者を否定するロジックとして受け容れられた。批判集会での身内の動員、社会全体の軍事化(国民皆兵)、とりわけ階級闘争の重視→中道は許されない(小康思想の批判)→政治から距離を置くこと自体が許されない。自分の身を守るため、「革命」の大義の下、他人を暴力的に批判するモラリティーが定着した。こうして、一般の日常生活全体が政治舞台化された。

 党中央における路線対立→毛沢東が権力保持するための政治粛清が文革のきっかけではあっても、いったんインプットが入ってしまうと増幅的に作動する土壌が出来上がっていた。そもそも「反革命」「右派」といったレッテル自体が曖昧かつ恣意的なもので、その時々の状況に応じて政治的立場は流動的となる。批判・被批判の関係がクルクル逆転、身を守るため、自らの“革命性”を誇示するアピール競争が激化し、社会全体を巻き込んだ政治運動はますます急進化、党中央でもコントロールが難しい多重動員状態を呈することになる。ただし、国家が社会を完全に掌握したわけでも、私的領域が消滅したわけでもない。こうした政治運動は波状的で、それは将来の予想のつかない不安定さを意味したが、他方で社会に周期的な緩みももたらし、一つのガス抜きになっていたとも指摘される。

 本書で分析された事例は都市社会が中心で、農村も含めた検討はこれからの課題とのこと。大衆動員というキーワードを軸として政治と一般の人々の生活レベルとの相互作用を分析した政治社会学的研究として、建国期から文革期まで一貫したストーリーが組み立てられており、興味深く読んだ。

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小林秀雄「様々なる意匠」

 こないだ、川上未映子を読んでたら小林秀雄の名前が出てきて、そういえば池田のあっこちゃんも小林秀雄びいきだったなあと思い出して、全く別の関心でカール・マンハイム『保守主義的思考』を読んでたら、何やら頭ん中で化学反応おこして、小林秀雄「様々なる意匠」を不意に読みたくなった。それぞれのイデオロギーっていうか、ある思想枠組みの内在的連関や志向性を描写してみて、それを社会的事象との関わりの中で位置付けていく。そういう方法論としてマンハイムの知識社会学を理解したとして、小林秀雄の、マルクス主義やら芸術至上主義やら象徴主義やら何やらって当時の文壇を騒がせてた色んな“主義”を俎上に載せて、一つ一つの裏側意識を解剖していくやり方と何となく似てるなあって思った次第。何でこんな連想が働いたのかを強いて説明するとこういう次第ってだけで、別にマンハイムと小林の比較論をやろうとかアホなことは考えてません、あしからず。なお、以下の引用は小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』(新潮文庫、1962年)から。

 言葉は第一にコミュニケーションの道具。しかし、多少なりとも頭を使ったことのある人なら、価値中立的な言葉なんてあり得ないこと、言葉そのものが自律的な運動性を持っていて、うかうかしていると我々の思考そのものが言葉によって引きずりまわされてしまっていることに気付いていることでしょう。人間は「その各自の内面論理を捨てて、言葉本来のすばらしい社会的実践性の海に投身して了った。人々はこの報酬として生き生きした社会関係を獲得したが、又、罰として、言葉はさまざまなる意匠として、彼等の法則をもって、彼等の魔術をもって人々を支配するに至ったのである。そこで言葉の魔術を行わんとする詩人は、先ず言葉の魔術の構造を自覚する事から始めるのである。」(103ページ)

 批評家は、この作家は~主義、あの人は~主義、って感じに、主義というフィルターを通して、意匠の組み合わせによって評価したがる。人は形を通してしか何かを表現し得ない。だから、それを一つのパターンに類型化して把握することもできる。でも、仮に特定の意匠を通して表現されたものであっても、それを表現しようとした人にとっては、その人だけにしか語れない何かを語ろうという葛藤がある。

「人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である。この事実を還元すれば、人は種々な真実を発見する事は出来るが、発見した真実をすべて所有する事は出来ない、或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであろうが、彼の全身を血球と共に循る真実は唯一つあるのみだという事である。雲が雨を作り雨が雲を作る様に、環境は人を作り人は環境を作る、かく言わば弁証法的に統一された事実に、世の所謂宿命の真の意味があるとすれば、血球と共に循る一真実とはその人の宿命の異名である。或る人の真の性格といい、芸術家の独創性といい又異ったものを指すのではないのである。この人間存在の厳然たる真実は、あらゆる最上芸術家は身を以って制作するという単純な強力な一理由によって、彼の作品に移入され、彼の作品の性格を拵えている。」(96ページ)

 意匠は一般化できる。パターン化して把握できる。商品として流通することもできる。しかし、一人の作者にとっては絶対に一般化され得ない何か。それはのっぴきならない、宿命的なものだ。そしてこれは、単に芸術家という特殊な人種のことというのではなく、誰しも一人ひとりが自分の抱える何かと向き合うとき、すべてそうだとしか言いようがない。

 先日、川上未映子『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』(ヒヨコ舎、2006年)を読んで、随分と舞い上がった書き込みをしてしまったけど(→こちら)、読み返してちょっと気恥ずかしく感じつつも、それでもやっぱり「私はゴッホにゆうたりたい」ってあの詩がすごく好きなんですね。ゴッホという人がどんなにつらくても宿命的に絵を描かざるを得ない何か、そこに呼びかけていくやわらかい語り口にしみじみと感じ入ります。未映子嬢はこのあたりがよく分かってるんですね。この詩一つあるだけで、私は川上未映子びいきなのです。

 ゴッホについてはもう一つ、すごく好きな文章があります。岡本太郎です。『美の呪力』(新潮文庫、2004年)に収録された「夜──透明な渾沌」。未映子嬢にしても、太郎にしても、ゴッホの絵から感じ取るもの以上に、ゴッホという一人の人間が自分自身の宿命と向き合って、どうしようもなく絶望的なまでに生きようとした哀しさに誠実なものを見出している。そこに共感できるのです。

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2008年12月10日 (水)

カール・マンハイム『保守主義的思考』

カール・マンハイム(森博訳)『保守主義的思考』(ちくま学芸文庫、1997年)

・伝統主義的生活態度→進歩主義という契機→保守主義の成立(「この原初的保守主義的体験は、それが存在している生活空間のうちにすでに異種の生活態度と思考方法とが出現し、それに対するイデオロギー的防御において自己をはっきりとうち出さなければならないというときに、反省的となり、その特性を意識するようになる」[87-88ページ])

・進歩主義は可能的なものを求め、保守主義は具体的なものに固執する。歴史体験のあり方も含めた世界観が、各社会層の根本志向として凝集核→階級的に成層化した社会でのみ、伝統主義は保守主義に転化し得る(「具体的なものと抽象的なものとのこの対立は、そもそも体験の、環境の対立であって、思考の対立はただ第二次的なものであり、しかもこの論理的対立の近代的形態のなかには、ひとつの政治的根本体験が付着しているということを証示することによって、二つの体験典型がいかに鋭く社会的に機能化されているかという重要な点が明らかになる。近代世界の形成には、現存の組織を解体しようと努めるもろもろの社会層が存在することが必要である。彼らの思考は必然的に抽象的であり、可能的なものによって生きる。これに反して、保持と停滞化とに努める者の思考と体験とは具体的であり、既存の生活組織を踏み越えない」[50-51ページ]。「歴史体験の二つの仕方が次第に分極化し、社会的に異なった(潮流の異なった場所に立つ)層によって彼らの体験志向のなかに取り上げられたという独特の現象が問題なのである」[55-56ページ])

・進歩主義の平等主義に保守主義は反発、個人の自由と公のものとがぶつかる可能性→質的な自由、つまり立場的に異なる個人それぞれの内面的なものとして自由を捉え、外的関係としては秩序原理へ服すべきと考える→有機的共同体(民族精神)の中の個人という考え方

・質的自由としての内面性→生き生きとしたものを求める→ロマン主義→生の哲学
・歴史的な古い思考や体験の厚みにロマン主義は意味を求める→保守主義は、ロマン主義と結びつくことで生気を取り戻し、近代的基礎付けの次元へと高められた。
・「一度書き上げられたらそれっきりの形式」としての概念、しかし現実の存在や思考過程は流動的という矛盾→ロマン主義的保守主義者は、啓蒙主義的な思考パターンを固定したものとして捉え、これへの批判として、自分たちの思考パターンを動的なものとして提示しようとする。ただし、これによって「啓蒙主義の理性信仰が破壊されるのではなく、変容されるにすぎない」。「理性の活動、思索的活動に対する信仰は放棄されてない。思考のひとつのタイプ、すなわち、ひとつの原理から演繹する、固定した概念要素を単純に組み合わせる啓蒙主義思考だけが拒否されるのであって、ただこの啓蒙主義的思考に対して、できるだけ可能的な思考の平面が拡大されるのである。またその場合に、ロマン主義は(実際は無意識的に)、すでに啓蒙主義的世界意欲が完成しようと企てた、世界の首尾一貫した徹底的合理化という、かの路線を、よりラディカルに、そして新しい手段をもって、継承し先へ進める。」「なにが合理的であり、なにが非合理的であるかは、そもそも相対的である。あるいは、より正しくは──われわれはまずそれを明らかにしなければならないのであるが──両概念は相関的である。啓蒙主義的に一般化し、そして固定した体系化的な思考の支配する段階では、合理的なものの限界がこの〔合理的〕思考の限界と同一視され、これからはみだす一切のものは非合理的なものとして、生として、また啓蒙主義の立場からすれば、克服できない残滓として解釈されたが、「動的思考」の思想によって合理的なものの限界は一段と押し広げられ──そして、それによって啓蒙主義自体がみずからの手段をもってしてはそもそも解決しえなかったであろう、啓蒙主義的課題をロマン主義的思考は解決した」とされる(186-187ページ)。

・「世界を認識適合的な洞察する立場としては、生の哲学は、絶対化された合理性に魅せられている思考潮流に対する対抗者として、すべての隠蔽され合理化されている外被をとりはらい、しかも意識はただ単に理論的見地の模範だけを指向するものではないということをたえずわれわれに教える点で、含蓄の多いものである。それは「理性に適合的なもの」、「客観化されたもの」をたえず相対化し、部分化する」(211ページ)。

・マルクス主義もヘーゲル弁証法哲学の流れをくむ点で動的である。ただし、「内面化された「生の哲学」にとっては、この動的基盤が純粋「持続」、「純粋体験」などのごとき前理論的なものであるのに反して、ヘーゲルが「一般的」「抽象的」思考を相対化する基盤は、ある精神的なもの(高次の合理性)であり、プロレタリア的思考にあっては階級闘争および経済に中心がおかれた社会過程である。この方向をとってヘーゲルの流れはここで客観性に転位したのであった。」→「ブルジョワ的・自然法的思考に対する両面からの反対の現実概念でさえも、この思考に対する反対において形成されたものであり、運動性と動学とをその正確とした生概念がここに出現しそしてこの〔反ブルジョワ合理主義という〕起源とはっきりしたつながりをもちつつ、二重の形態をとって、生の哲学とマルクス主義との両現実概念が展開したということ」を指摘(216-217ページ)

 私は知識社会学についてきちんと勉強したことはないのですが、
・所与の生活環境に対してそれまで無自覚だった伝統主義的生活態度が、進歩主義的理念の登場によって、それとの対照によって自覚化され、一つの思想的立場を取るようになったときに保守主義が成立した。
・両者の思想的相違は、各自の置かれた環境的体験と結びついており、社会階層分化と連動している。
・保守主義はロマン主義と結びつき、概念的論理重視の進歩主義に対して、動態的な生き生きとしたものを求めた。これは、理論偏重傾向を常に相対化できる点では有益な視点をもたらす。
・この動的思考意欲という点では、形態は違えどもマルクス主義と共通しており、両者ともに20世紀においてブルジョワ的自由主義を挟撃する形になった。
取りあえず、マンハイムの議論からは以上の点を押えておけばいいのでしょうか。特定の思想的立場にコミットするというのではなく、それぞれの思考枠組みの因って来たるところをトータルで理解して、俯瞰できる立場にいったん自分を置いてみることで、議論の不毛なこわばりを解きほぐしていこうというところに知識社会学の勘所がありそうです。

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2008年12月 7日 (日)

池内恵『イスラーム世界の論じ方』

池内恵『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2008年)

 第Ⅰ部はイスラーム政治思想をめぐる論文が中心、第Ⅱ部以降は時事評論的な文章を集めている。興味を持った論点をいくつか拾い上げてみると、

・イスラーム世界における政教関係をどう捉えるか? 啓示法=宗教、世俗法=国家とを2つの円で示し、従来の「イスラーム=政教一致」論はこの両者の重なる部分だけに局限した議論にすぎず、イスラーム世界の政治現象を総体として把握する視野とはなり得ていないと指摘。神→啓示法→ウンマという垂直的なイスラーム教徒自身としてあるべき心象風景を前提としつつ、現実におけるこの2つの円の重なり合った3つの領域をどのように画定し、どのように関係付けるのか、そうしたダイナミズムに宗教政治を捉える論点を合わせる。
・主流派の政治思想:政教の重なっている部分に着目→宗教的規範を拡大解釈して、理想と現実とのズレを最小限に縮めるよう読み替えながら現状肯定→各国政府の統治を正統化
・対して、現状批判的な政治思想:イスラーム原理主義の3形態
①2つの円を内包する全体社会から離脱して共同生活→自分たちだけの孤立的なウンマを目指す
②宗教の領域から政治の領域へと攻撃→少数の政治支配者が悪いとして、例えばサーダート暗殺
③宗教の領域以外のすべて(非イスラーム世界の含めて)を消滅させて国家=宗教=社会の状態を目指す→背教者とみなされた人々の暗殺、外国人観光客への襲撃、さらには九・一一事件
・以上は、理想的秩序についての宗教的規範を前提として、理念→現実の乖離というベクトルで考える方向性。対して、社会的・歴史的存在としての現実を前提として宗教的規範を相対化できた思想家としてイブン・ハルドゥーンを高く評価(以上、「イスラーム的宗教政治の構造」)

・デンマークのムハンマド風刺画問題をどう考えるか? 著者はイスラーム世界に触れてきた人間としてムハンマドの顔を描くことがいかにイスラーム教徒にとって深刻なことであるかよく認識しているし、他方で、世俗主義・自由主義の原則に基づく西欧社会にとって納得しがたいところも理解できるという。これは宗教対立ではなく、双方の価値原理のズレの表面化。「他者に寛容であれ、イスラームを理解しよう」とよく言われる。こうした言説には、近代的な自由主義の理念と相通ずるものが彼らにもあるはず、本来なら分かり合えるはず、問題をおこすのは一部の狂信者だけだ、という希望的観測が含意されている。しかしこうした楽観論は、たとえばテロなどで期待が裏切られるにつれて、ますます相手への偏見を強めかねない。むしろ、根本的な価値規範が両立しがたいという現実を直視するところから始めるべき。直視→敵対関係不可避というのではなく、だからこそ衝突を避けるための方策を考え続けなければならない。いまのところ、結論はない。

 自衛隊のイラク派遣、日本人人質殺害事件と続いたとき、これを中東の問題として捉えるのではなく、自衛隊派遣是か非か、とか、自己責任云々、という日本国内における議論枠組みに収斂してしまった時期があった。アメリカ批判、日本政府批判が初めにありきで、「イスラーム=犠牲者」と位置づけ、彼らになりかわって体制批判の議論を行なう日本の進歩的知識人。そうしたあり方を問題視するコメントを著者が示していたのをみて感心した覚えがある(この時の論考も本書に収録されている)。

 左にせよ、右にせよ、何でも内向きに矮小化してしまうような議論は本当にウンザリ。右は右で、中国批判初めにありきで、フリー・チベット、フリー・ウイグルとやっている輩がいるし。議論の枠組みそのものが対米依存、対中依存になってしまって、現地の事情が頭越しにされている。地に足のついた議論をするためにこそ、現地の事情を熟知した専門家の意見に耳を傾ける必要があるだろう。

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