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2008年11月30日 - 2008年12月6日

2008年12月 6日 (土)

吉田徹『ミッテラン社会党の転換──社会主義から欧州統合へ』

吉田徹『ミッテラン社会党の転換──社会主義から欧州統合へ』(法政大学出版局、2008年)

 リーダーシップ、というと、“カリスマ”的・属人的な性質に還元して権力関係を一方向的に捉えてしまう向きもある。だが、本書で言うリーダーシップとは、リーダーとフォロワーとの相互作用の中で一定のヘゲモニーが確保されていく双方向的な関係概念として用いられている。フランス社会党の政策転換においてミッテランの果たした役割を明らかにすることが本書の目的だが、こうしたリーダーシップ概念に基づくため、彼自身のパーソナルな資質は捨象され、党内政治力学の機能的な分析に焦点が合わされている。

 第五共和制におけるドゴール派優位の下、様々な思想的背景を持った勢力の寄り合い所帯として出発した野党・社会党。ミッテランは、「社会主義プロジェ」という共有原理に基づきながら政権交代という目標に向けて各派閥の均衡点に自らの立ち位置をおくことで求心力を発揮した(「取引的リーダーシップ」)。しかし、政権獲得の後、経済情勢の悪化に直面する。政権幹部は緊縮策をとるのに対して、一国社会主義的な政策志向を持つ党内の“古代人”は反発。すでに大統領という制度的な権力の座にあったミッテランはEMS(欧州通貨制度)離脱という新しい政策価値を提示して、双方の対立関係を別の次元に向けて解消しようとするが(「変革的リーダーシップ」)、現実的な政策知識を持つドロールやモーロワなどのフォロワーはついてこず、失敗。経済的要因を重視するアプローチからは、この時のEMS残留という決断は経済情勢の悪化に押されてのこととされるが、対して著者は、それでは1981~83年までグズグズしていたことの説明がつかない、むしろ従来型の「取引的リーダーシップ」の非決断によって遅れていたのだと指摘する。

 いずれにせよ、ミッテランは「取引的」「変革的」、二つのリーダーシップで失敗した。彼はこれ以降、特定のフォロワーをあてにはせず、状況に応じて政治的リソースを流動的に組み替えながらさまよう「選択操作的リーダーシップ」に切り替えたのだという。その際の理念的な道具として浮上したのが欧州統合というテーマである。ミッテランは欧州統合の立役者として評価される。しかし、それは政治的求心力確保のための手段なのであって、彼自身が当初から欧州統合という理念を持っていたわけではない。その意味ではあくまでも結果論に過ぎないと著者は指摘する。

 リーダーシップという一つの関係性概念を軸にすえた政治分析モデルを駆使した研究としてとてもおもしろい。日本の野党(旧社会党や現在の民主党)についても同様の分析視角を通したらどんな議論ができるのだろうか? フランスと日本とでは政治風土が違うと言ってしまえばそれまでだけど、むしろその政治風土的相違が浮き彫りになればいいわけだし、比較政治論としてちょっと興味ある。

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2008年12月 5日 (金)

池谷薫『蟻の兵隊──日本兵2600人山西省残留の真相』『人間を撮る──ドキュメンタリーがうまれる瞬間』

 池谷薫『蟻の兵隊──日本兵2600人山西省残留の真相』(新潮社、2007年)は、軍人恩給の支給を求めて国を提訴する元日本兵たちから説き起こされる。日本の敗戦後も現地にそのまま部隊が残留したケースがいくつかあったことは知られているが、山西省残留部隊もその一つ。将官たちの間で戦後日本復興のための戦力温存、資源確保を目的として部隊残留を画策する動きがあり、他方、中国側の軍閥・閻錫山には八路軍と戦うため日本の精鋭部隊を手元に置いておきたいという思惑があった。閻は日本の陸軍士官学校出身であり、反共主義という点でも利害は一致。だが、全日本軍には帰国命令が出ているし、何よりも戦い疲れた兵士たちは一刻も早く故郷へ帰りたい。それにも拘わらず、上意下達の組織文化を利用して、有無を言わさず“自発的に残留”させた。

 共産党との内戦に駆り出された彼らのうち500名以上が戦死、その他は捕虜となって帰国できたのは昭和30年代になってから。すでに高度経済成長が始まっている時期だ。日本にようやく帰国してから驚く。“自発的”に除隊して“勝手に”残留した→民間人である→従って、元軍人としての恩典はない。シベリア抑留者は帰任するまで軍人としての身分が認められていたのに。戦争が終わったのに、好きこのんで戦い続けたわけではない。国家の論理に人生を振り回された彼らの憤懣はどこにぶつけたらいいのか?

 なお、この部隊の司令官は閻錫山の取り計らいで戦犯指名を逃れて帰国、きちんと特別恩給ももらっている。閻自身も台湾に逃げた後、国民党政権の行政院長も務めた。

 池谷薫『人間を撮る──ドキュメンタリーがうまれる瞬間』(平凡社、2008年)は、「蟻の兵隊」も含め、著者自身がドキュメンタリーを製作した背景を語る。一人っ子政策の矛盾や国境地帯の担ぎ屋たちのバイタリティーなどのテーマも目を引くが、興味を持ったのは、第一に「蟻の兵隊」の奥村和一が、かつて自らの手で中国人を殺害した現場を訪れたときのこと。加害の体験を思い返すのはそれ自体苦しいことだろうが、“日本兵”に戻ってしまうシーンが印象的だった(適切なたとえかどうか分からないが、スティーヴン・キング『ゴールデンボーイ』を思い浮かべた。好奇心旺盛な少年が、いやがる元ナチの老人に「人を殺すってどんな感じ?」と問い詰めているうちに、それまで怯えていた老人が昔の記憶を思い出すにつれて徐々にナチ時代の身のこなしを取り戻し、支配関係が逆転してしまうというサイコホラー)。それから、「延安の娘」で、捨てられた農村の娘が、北京に暮らす親に会ったときのぎこちなさも忘れがたい。

 語りづらそうなシーン、一触即発になりそうなシーン。常識的にはそこでカメラをとめるだろうところでも、むしろそこにこそドキュメンタリーを撮る緊張感を見出している。ひょっとしたら、残酷なことなのかもしれない。『人間を撮る』というタイトルを見たとき、なんか芸がないなあ、と思った。しかし、単にこんなひどいことがあったという報告に終わらせるのではなく、被写体となったその人自身の抱えた思いの機微を深く汲み取ろうとしている点で、まさに人間を撮ろうとしている。「蟻の兵隊」「延安の娘」とも評判は知っていたのだが未見。今度、探して観てみよう。

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2008年12月 4日 (木)

番線!

…と聞いてピンとくる方、ギョーカイの方ですね。今の職場に入ったばかりのとき、「書店さんから注文があったらバンセンをメモしといてね」と言われ、そのバンセンなるものの正体も知らず、取りあえず言われた通りにしてました。久世番子『本棚からぼた餅』(新書館、2008年、非売品)でバンセンという呼び名の由来を初めて知った次第。

 著者→出版社→取次→書店・図書館、という本の動くサイクルを一通り知る上でとっかりとなる本としては次の2点がおすすめ。まず、佐野眞一『誰が本を殺すのか』(上下、新潮文庫、2004年)。出版・書店関係者で読んでない人はまずいないでしょう。もうひとつは、久世番子『暴れん坊本屋さん』(全3巻、新書館、2005~2006年)、『番線──本にまつわるエトセトラ』(新書館、2008年。ちなみに、『本棚からぼた餅』はこれを買った人だけ応募して入手できる。私は知人に借りて読みました)。“番線”なんてタイトル、この時点で読者を限定してます。内輪ネタ満載。マンガだからと言って侮れません。たとえば、取次のめんどくさいシステムとか面白おかしく説明してくれて勉強になります。本好きのみなさんも是非読んで、書店さんの苦労に感謝しましょう。

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楊威理『ある台湾知識人の悲劇──中国と日本のはざまで 葉盛吉伝』『豚と対話ができたころ──文革から天安門事件へ』

楊威理『ある台湾知識人の悲劇──中国と日本のはざまで 葉盛吉伝』(岩波書店・同時代ライブラリー、1993年)

 葉盛吉は台湾出身、旧制二高、東京帝国大学医学部を経て、1945年の日本敗戦を機に台湾に戻るが、国民党の白色テロによって逮捕、1950年、処刑された。旧制高校時代からの友人であった著者が、彼の遺した日記をもとに、ある台湾知識青年の揺れる思索のあとをたどる。

 皇民化政策によって葉も当初は日本人になりきりたいという思いがあったようだが、東京に留学し、中国人留学生との出会いから中国人意識に目覚める(台湾出身の留学生は高円寺に多く住んでいたらしい。そういえば、侯孝賢監督「珈琲時光」で、主人公のフリーライターが台湾出身の音楽家・江文也の名残りを訪ね歩くシーンで高円寺が出てきた記憶があるのだが、そういう背景があるのか)。ただし、葉の心理的機微は複雑だ。彼は日本人であることと、台湾人=中国人であることとを両立できないかと自問する。真に台湾人であるためには“大東亜戦争”に協力すべきだとまで記しているが、これを現在の価値観から非難しても意味がない。戦時下、日本人たれと周囲からも内面的にも強迫観念に駆られ、それでもなりきれない自身のアイデンティティをいかに定位するのか、そうした真摯な精神的せめぎ合いをこそ汲み取るべきだろう。

 1946年4月になって彼は台湾に戻る。ようやく中国人として生きていけるようになったと思うのも束の間、国民党による腐敗した社会状況に愕然とする。彼は共産党に接近するが、理論ではなく、現実の問題から左傾したのだと著者は指摘する。いわゆる親日的な気分にしても、共産党へのシンパシーにしても、いずれも当時の国民党の腐敗・苛酷な政治弾圧への反発→国民党ではないものを求める感情という点で実は同じ根を持っていたことがうかがえる。

楊威理『豚と対話ができたころ──文革から天安門事件へ』(岩波書店・同時代ライブラリー、1994年)

 葉盛吉の評伝を書いた著者・楊威理自身の自伝。彼もやはり台湾出身で、二高で葉と出会って以来の親友だが、日本の敗戦後、楊は大陸へ渡り、謝雪紅たちの台湾民主自治同盟に参加する。彼らは、台湾は大陸から切り離されていた時期が長く、かつ社会的・経済的に大陸よりも先進的であるという特殊性を踏まえ(現在のアナロジーで言うと香港のような位置付けだ)、共産党の指導を前提としつつも、その枠内での台湾の高度な自治を求めていた。

 しかし、大陸に渡った台湾人にもまた苦難の道が待っていた。反右派闘争、そして文化大革命と続く中、楊の場合には、①日本への留学経験あり→日本のスパイ、②台湾出身→国民党のスパイ、③台湾民主自治同盟に参加→祖国分裂主義者(謝雪紅はすでに失脚)、④図書館長→走資派、と難癖をつけようと思えばいくらでも糾弾される材料はあった。そうした中、楊はそれなりに賢く立ち回って、一時は“革命幹部”ともなったようだが、人間関係としての上下も、政治的立場としての右左も頻々と逆転する文革の混乱の中、彼も労働改造に送られる。文革が終わって名誉回復はされたものの、今度は天安門事件。旧制高校時代の親友たちのネットワークで楊は中国を脱出して日本に落ち着く。本書には、文革中に槍玉に挙げられた他の台湾出身者のこともちらほら出てくる。台湾に残っても、大陸に行っても、いずれにしても政治の闇から逃れられなかった難しさ。

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2008年12月 3日 (水)

「帝国オーケストラ」

「帝国オーケストラ ディレクターズカット版」

 事実上、ナチスの宣伝部隊と海外からは受け止められるようになってしまった栄光のベルリン・フィル。当時を知る高齢の元楽団員や遺族へのインタビューに記録映像をまじえて構成されたドキュメンタリーである。音楽は政治に対して純粋に中立を保てるのか、音楽家自身の主観としては良心的たろうとしても、その無邪気な楽観こそが政治利用されるスキになりかねない危うさ、そうした問題を問いかけてくる。

 ベルリン・フィルはフルトヴェングラーの下で歴史上一番の黄金期を迎えていた。しかし、独立採算の楽団運営へのプライドとは裏腹に、国内経済の低迷状況の中、経営難に陥っていた。宣伝相ゲッベルスは財政支援を決定、“第三帝国”に買収されることになる。

 楽団内でブイブイいわすナチ党員に他の楽団員は眉をひそめていたが、かといって、ユダヤ人の同僚4人が追放されるにあたり彼らは何も言えなかった。いまの地位を失い、音楽が続けられなくなることが恐かったからだ。むしろ、早めに国外脱出できた点ではまだ良かったのかもしれない。両親のいずれかにユダヤの系統があって立場的に曖昧だがフルトヴェングラーの尽力で何とか楽団に残れた人がいるのだが、いつ強制収容所に送られるかと毎日怯えながら暮らし、この恐怖感は人格形成にも深刻な影響を与えて一生ついてまわったという。なお、このときに追放されたうちの一人、シモン・ゴールドベルクは日本で天寿を全うしている。

 フルトヴェングラーはユダヤ人演奏家を守ろうとナチスに抵抗したし、ヒンデミット事件ではナチスから非難もされている。それなのに、なぜ国外に亡命しなかったのか? 中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』(幻冬舎新書、2007年)は、この二人の確執を描くにあたりナチスの時代から説き起こすが、ヒトラーお気に入りというフルトヴェングラーの立場がますます泥沼にはまってしまう様子が興味深い。彼はナチスとは距離を取りながらドイツに残って音楽を続けるつもりだった。帝国音楽局副総裁(総裁はリヒャルト・シュトラウス)は辞任したものの、ドイツ国内にいるかぎり政治的に狡猾な彼らの手から逃げ出すことなどできなかった。なぜ残ったのか。彼はカラヤンの若き才能に嫉妬しており、自分がいなくなったらカラヤンがベルリン・フィルの後釜に居座ってしまうと恐れたのではないかと中川氏は推測している。

 フルトヴェングラーはともかく、楽団員たちに他にどんな選択肢があり得たのか。彼らを責めても意味がない。自分たちの置かれた立場の難しさ、それを振り返りながら捉え返していく語り口に興味を持った。

【データ】
原題:Reichsorchester
監督:エンリケ・サンチェス=ランチ
2008年/ドイツ/97分
(2008年12月1日レイトショー、渋谷・ユーロスペースにて)

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2008年12月 2日 (火)

「トウキョウソナタ」

「トウキョウソナタ」

 会社をリストラされた父はそのことを家族に言えないままでいる。次男がピアノを習いたいと言うが、金銭的なことを意識してだろう、父は理由も言わずに意固地にダメだとはねつける。自分の不甲斐ない立場を強く自覚しているからこそ、父親の権威という虚構にますますすがりついてしまう悪循環。

 能力主義によるリストラと失業者の群れ、先生の権威失墜と学級崩壊、米軍に志願した長男の語る平和国家日本の対米依存という矛盾、そしてこの映画の主題となるバラバラな家族…。途中まで観ていて、おいおい、こんないかにもって感じの陳腐なモチーフの羅列がこのまま続くのかよ、あまりに空々しくて居たたまれなくなりそうだ、と不安になってしまったのだが、強盗の登場のあたりから映画のテンポは急展開する。

 強盗に拉致されたのに、自ら率先して車を爆走させる母。清掃夫姿を偶然妻に見られて、プライドの傷つきのあまりわけも分からず走り出す父。父への反発から遠くへ行こうと無賃乗車して留置所に入れられた次男。今の自分ではないあるべき何か、ここではない未知なるどこか。家族という虚構、会社に枠付けられた自分という虚構、こうした意識のことさらな自覚化によって抑えこんでいたものをすべていったんぶちまけてしまう。ところが、突っ走ってふっきれたとき、ふと思う。自分は一体どこへ行こうとしているのか? かたくなにこれは虚構だ、本来の自分はもっと別な所にある、と思い込んでいた意識が崩れる。そのとき、今ここにいる自分、そして、その自分のいる家族をあるがままに受け入れていく。翌朝、疲れきった表情でみんな家に帰ってくる。ボソボソと朝食に箸を動かしながら、次男は「お父さん、変な格好」と屈託なく言う。父親も「そうだな」と軽く受け流す。同様に失業中だった彼の学生時代の友人が、見栄っ張りな性格のため夫婦心中をしてしまったのとは対照的に。

 私は「カリスマ」(1999年)を観て衝撃を受けて以来、大の黒沢清ファン。森を滅ぼしかねないカリスマという巨木、これを枯れないよう育てるのか、それとも森を守るために切り倒すのか。一つのために全体を犠牲にするのか、全体のために一つを犠牲にするのか。そういう無理やりな二者択一の設定に、人間たちは振り回されてしまう。どこかふっきれた主人公は「両方生きればいい、あるがままだ」と言う。荒涼とした映像の冷たさも相俟って、一種異様な世界観の強烈な印象がいまだに鮮明だ。

 黒沢清の映画ははっきりとした結論などつけず、観客に投げ渡すようにプツリと終わってしまうことが多かった。今回の「トウキョウソナタ」は希望の見える結末にしたかったとのことで、珍しく大団円へと収斂していく。「カリスマ」は、二者択一的な問いの虚構性をひっぺがしたとき、あるがまま→善悪ともつかぬデモーニッシュな凄みすら感じさせる→カリスマを予期させた。この凄みが無機的な映像で描かれているところに私は何とも言えぬ魅力を感じた。対して「トウキョウソナタ」では、“虚構の家族という意識”そのものの虚構性(ええい、我ながら回りくどい言い方じゃ)を剥ぎ取ったとき、落ち着くところに落ち着く、そういう意味でのあるがままへと落着する。おとなしくなったというか、成熟したというのか。黒沢清もそういう年齢なのか。

【データ】
監督:黒沢清
脚本:Max Mannix、田中幸子、黒沢清
出演:香川照之、小泉今日子、小柳友、井之脇海、役所広司、津田寛治、井川遥、他
2008年/119分

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2008年12月 1日 (月)

国立西洋美術館「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」

国立西洋美術館「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」

 ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864~1916)はデンマークの画家。日本で紹介されるのは今回が初めてだそうで、私も今まで知らなかった。通勤電車内の広告ポスターで「背を向けた若い女性のいる室内」を見かけた。薄暗い青というかグレーのような色彩は一見地味なんだけど、不思議と透明感のある静けさに何とも言えず引付けられて、国立西洋美術館まで足を運んだ。

 北欧のフェルメールとよくたとえられるらしい。ハンマースホイ自身、フェルメールをだいぶ意識していたようだし、室内画の構図、窓から射し込む光の描き方など確かにフェルメールを彷彿とさせる。ただし、フェルメールの描く人物には豊かな表情が見られるのに対して、ハンマースホイの場合、人物はオブジェとして突き放すように配置されている。彼は自宅に引きこもって室内画ばかり描いていたそうだが、登場するのは妻のイーダ。どの絵を見ても、後ろ向きだったり、視線が違う方向に向いていたり。ベタベタした感傷を描き方として持ち込まず、適度な距離を取った緊張感。どこか、冷たい。だけど、その冷たさに、家具調度類など余計なものを取り除けた簡潔な構図、モノトーンの色彩感覚が相俟った静けさが、私にはこの上なく心地よい。

 国立西洋美術館での会期は12月7日(日)までなので、興味のある方はお急ぎを。

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2008年11月30日 (日)

赤坂憲雄他『民俗学と歴史学──網野善彦、アラン・コルバンとの対話』『歴史と記憶──場所・身体・時間』

赤坂憲雄『民俗学と歴史学──網野善彦、アラン・コルバンとの対話』(藤原書店、2007年)

・支配者=悪玉、民衆=善玉というかつての左翼的な図式的な枠組みが、天皇制の問題も含め、かえっても問題の本質を捉えられなかったのではないかという赤坂の問いかけ。天皇制が生活に根ざしたものからあるということを認め、そこから批判的に捉えなおさなければならないと網野は応答。
・柳田國男の一国民俗学は、日本の庶民の姿を、実際の差異にもかかわらず均質なものとして描こうとした。これは現在、国民国家批判の文脈において頻繁に取り上げられているし、赤坂自身、「いくつもの日本」をキーワードに東北学という形で国境という枠組みには捉えられない地域の多様性、その積み重ねとして日本→東アジアという見方をしようとしている。他方で、柳田の一国民俗学は日本という枠組みから外には出ない→侵略の契機はなかった、とも赤坂は指摘。

赤坂憲雄・玉野井麻利子・三砂ちづる『歴史と記憶──場所・身体・時間』(藤原書店、2008年)

・「抜け落ちた記憶」をどのように捉えるか。一つには加害体験の引け目がある。そればかりでなく、たとえば旧満州からの「引き揚げもの」の記録について、自分の子供を捨てざるを得なかった、集団自決で子供を殺したのに自分だけ生き残ってしまった、あるいはレイプされた、そういった本当に深刻な体験をした人が自ら語ることができるのか?
・世間の風潮を敏感に感じ取って、自分の記憶を微妙に修正したり、他人に置き換えて語ったりということもあるだろう。様々なレベルで、自らの体験を語れないことがたくさんある。しかし、語りやすいこと、語られたことだけが記録されて“史実”に組み込まれていく難しさ。
・最近、沖縄での集団自決の軍の関与を教科書の記述から落とされたことについて沖縄の人々が強く反発したということがあった。沖縄の人々には、自分のおじい、おばあの記憶を否定されたことへの反発があった、という指摘に興味を持った。感情的というレベルのことではなく、身近な人間関係における語り口が皮膚感覚レベルで受け継がれ、世代を超えて共有される記憶。記憶の語りの持つ重層的な複雑さ、そして豊かさ。

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