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2008年9月28日 - 2008年10月4日

2008年10月 4日 (土)

髙山文彦『孤児たちの城──ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人』

髙山文彦『孤児たちの城──ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人』(新潮社、2008年)

 ジョセフィン・ベーカーといえば私にもそのイメージはすぐ思い浮かぶ。中学生のころ、『二十世紀全記録』という写真をふんだんに使った歴史図鑑が好きでよく眺めていたのだが、エキゾチックな顔立ちで乳房もあらわに踊っている彼女の姿が、まだウブだった私の目に強く焼きついていた。アメリカで混血児として生まれた彼女はパリでレビューの舞台に立ち、大成功をおさめる。第二次世界大戦ではレジスタンスに協力、戦後は人種差別撤廃運動に尽力。そして、フランスのある古城に世界中から孤児を集め、人種や宗教の別を超える理想王国を目指した──。

 同性愛、母子相姦、ひょっとしたら獣姦すらうかがえるようなジョセフィンの狂気。生い立ちに由来するのか、言い知れぬ憤怒。理想の裏にひそむどす黒さを見つめていくあたりはいかにも最近の『新潮45』好みだが(本書は同誌での連載をまとめたもの)、そうした彼女の狂気に翻弄された子供たちのその後をたずね歩く著者の筆致には真摯なものが感じられる。

 横浜で捨てられた日本人孤児のその後をたずねていくのがメイン・ストーリー。肌の浅黒さ、朝鮮戦争の最中という時代背景を考えると、黒人兵との混血児だったのだろう。澤田美喜のエリザベス・サンダースホーム経由でジョセフィンのもとに預けられた彼に、それ以前の記憶はない。出生も、人種や国籍も、ある意味で作られた記憶。虚構であってもそこに血肉の混じった記憶。アイデンティティーの埋めがたい揺らぎ。拾ってくれた煙草屋さん一家の親切のことを著者から初めて知らされて彼が動揺するところが印象的だった。

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2008年10月 3日 (金)

佐藤卓己『輿論と世論──日本的民意の系譜学』

佐藤卓己『輿論と世論──日本的民意の系譜学』(新潮選書、2008年)

 “輿論”(よろん)=公論(public opinion)は善悪・損得について理性的討議を通して合意形成を目指す意見であり、“世論”(せろん)=私情(popular sentiments)は美醜・好悪についての熱狂的な共感を相互確認するもの。メディア論的には、前者はコーヒーハウスでの議論、後者は街頭での大衆運動と理念化できる(後者については、日本だと山本七平いうところの“空気”が分かりやすい)。

 戦後、国語審議会が進めた漢字制限によって言葉の用法が混乱したケースは多々見られるが、“輿論”もまたその一つ。“輿論”と“世論”──戦前においてその意味するところは対極的であったにもかかわらず、“輿”の字が常用外とされて“世”があてられたため、両者の相違が曖昧になってしまったという問題点から本書は出発する。

 “輿論”と“世論”の対比を軸として、戦時期における世論研究から、戦後における憲法世論調査、安保紛争、東京オリンピック、田中角栄の捉え方、天皇崩御時の自粛現象、テレビ政治などの問題を俎上にあげ、それらをめぐる言説および国民感情のたどった道筋が整理される。“空気”は日本人の自立性のなさの表れだ、みたいな印象批評に傾かず、社会理論の枠組みをしっかり設定した上で議論を進めているので安心して読める。

 新聞社等の世論調査による単純化→自己成就予言的、という問題も確かにある。ただし、そうした“世論操作”への批判は正論ではあるが、糾弾するだけでは責任逃れの感あり、とも指摘される。では、各自で何ができるのか? “輿論”と“世論”の使い分けが大切だと著者は言う。つまり、目の前にある議論を、さらには自分自身の意見をも、このどちらに分類されるのかと常に自問していく。そうした思考ツールとしてこの枠組みは使える。基本的にはメディア史の議論ではあるが、個々のテーマについての分析は、読み手自身がこの思考ツールの使い方を追体験していく、いわば練習問題ともなっている。ぜひ一読をおすすめしたい。

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2008年10月 1日 (水)

角英夫『中国 夢と流転──庶民たちの改革開放』

角英夫『中国 夢と流転──庶民たちの改革開放』(NHK出版、2008年)

 中国社会の急激な変化、沿海部のきらびやかな繁栄ぶりは何となくイメージもつくが、内陸・農村部の事情については外の視点ではなかなか窺い知れない。敢えて農村問題にも目を向けてNHKのドキュメンタリー番組を制作したことのある著者は、かつて出会った人々のもとへ十五年ぶりにたずねていく。

 貧困指定地域から移民した家族のその後。改革開放の聖地と謳われた村の現在。とりわけ私が印象的だったのは、第一章、深圳へ出稼ぎに来た少女とそのボーフレンドの物語。

 農村人口の都市への緩やかな移行が政策として進められている(教科書的な連想で恐縮だが、19世紀ロシア、アレクサンドル2世の農奴解放令→農村人口の流動化→ロシアの産業化の進展、というプロセスを思い浮かべた)。都市と農村の格差、都市内部でも農民工の過酷な労働実態が問題となり、“和諧社会”を掲げる現政権も法整備等の対応を進めてはいる。しかし、結婚した二人、夫となった彼氏は政府の政策動向を的確に読み取ってチャンスをつかもうとするが、コネも学歴もない彼らに現実の壁は厳しい。

 「このままで終わりたくない」──「後悔しない人生、社会からの手応え…、言い表そうとすると陳腐に堕するが、それは「豊かさへの欲望」などと一言で片付けることはできない何かだろう。かつて農村に閉じこめられていた「個」が一斉に解き放たれ、チャンスを求めて彷徨しながら行き場を探している。」(80ページ)

 本書は、中国における社会問題とそれへの政府の施策もたどりつつ、同時に、こうした眼差しを通して、一人ひとりがどのように社会的動向と向き合おうとしているのかを描き出していく。少々感傷的なところも含めて説得力のあるノンフィクションだと思う。

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2008年9月29日 (月)

フロイトをネタに適当な雑談(いい加減だから読まなくていいです)

 今回はいい加減な雑談です。ただ吐き出したいだけですから、読まなくていいです。話題がどこにとぶのか分かりません。テキトーですから、間違っているとクレームがあったって(今回に限り)無視します。あしからず。

 ここのところ、精神的に少々荒れております。なんか、自分の将来を悲観してしまっているというか。気分がすごく暗いんで、ショック療法のつもりでドストエフスキー(安岡治子訳)『地下室の手記』(光文社古典新訳文庫、2007年)を読んだら、ますます暗くなってきた。鏡で自分を見ているようで…。

 それはともかく。飛躍的な連想があって、フロイトです。中山元訳の『幻想の未来/文化への不満』(光文社古典新訳文庫、2007年)と『人はなぜ戦争をするのか──エロスとタナトス』(光文社古典新訳文庫、2008年)の二冊がいま手もとにあります。以下、これを適当に参照しながら。

 欲動、リビドー、エス、まあ何でもいいけど、人間の内奥にアモルファスなエネルギーを措定して、それが外に向えば攻撃衝動、内に向えば自己破壊的な衝動となる。このエネルギーが社会的に肯定される方向にうまく誘導できれば“昇華”と呼ばれる。基本的に、善悪という価値判断にはなじまない。むしろ、このエネルギーを野放しにしておくと何をしでかすか分からない、“万人の万人に対する闘争”となってしまうから、制限をかけるために共同体なり文化なりがでっち上げられた。善悪という道徳はいわば法律、“超自我”はおまわりというか裁判官みたいなものか。この辺の論理構成はホッブズ『リヴァイアサン』と同じです。

 ところで、19~20世紀にかけて国家の消滅を目指す政治運動が高まります。マルクス主義です。国家をなくし、財産を平等にして物質的な不満がなくなればみんな仲良くなれるはず(レーニンは『国家と革命』で、書記と簿記係だけが必要になる、なんて言ってますが、それがシステム化されれば国家なんじゃないかという疑問がわきますし、そもそも書記さんが権力握って勝手なことをやったわけです)──チッチッ、てめーら、あめーぜ、ってフロイト先生は舌打ちしてます。物質的に平等になったって、平和になったって、人間の奥底に潜む攻撃衝動は絶対になくならない、だから国家による規制が必要となる。ウィーン大学でフロイトの若き同僚で彼に私淑していた法哲学者ハンス・ケルゼンもこうした観点からマルクス主義の国家論にケチつけてます(『社会主義と国家』)。

 ちなみに、私はフロイトの精神分析学を“科学”だなんて思っちゃいません。けっこうウサンくさいです。ただ、19~20世紀(さらには現代にいたるも)という時代状況を考える時に彼の議論を踏まえるとある程度まで納得のいく説明ができる、そういう意味で一つの社会思想だと考えています。カール・シュミットは、あらゆる政治理論は性善説か性悪説かのどちらかに立つし、説得力を持つのは後者の方だという趣旨のことを言ってますが、フロイトも明らかに性悪説です。

「そもそも人間は、指導者と指導者にしたがう人に分かれます。これは人間に生まれつきの不平等性であり、これをなくすことはできないのです。そして大多数は指導者に服従する人々です。自分たちのために決定してくれる権威を必要としますし、こうした指導者にはほとんど無条件にしたがうのです。」(「人はなぜ戦争をするのか」31~32ページ)

 民主主義は“平等”第一という思考になじんだ私たちにとって何ともむかつく発言ですな。このクソジジイはこんなことも言ってます。

「人間に文化的な仕事を強制しなければならないのと同じように、大衆を少数者の支配にしたがわせるようにしなければならない。大衆は怠慢で、洞察力に欠けた生き物だからだ。そして大衆は欲動を放棄したがらず、欲動を放棄する必要性を議論で説得することはできない。誰もがたがいに放埓にしたい放題をするばかりである。大衆が指導者として手本とする個人の影響なしでは、大衆を労働に従事させることも、欲動を放棄させることもできない。文化は大衆の労働と、欲動の放棄によって初めて成立するのである。」(「幻想の未来」15~16ページ)

 こういうエリート理論は別に珍しいものではありません。たとえば、プラトンが『国家』で、人間の心を放埓な部分、気概の部分、理性の部分と三層モデルで示して、理性が他二者を支配すべきものとし、この図式を社会関係にも適用していわゆる“哲人政治”を主張したことは有名です。20世紀においても、たとえばロベルト・ミヘルス『現代民主主義における政党の社会学』、ヴィルフレド・パレート『一般社会学提要』などがエリート支配の必然性を指摘(他にもガエターノ・モスカってのがいますが、私は読んでません)。パレートは、パレート最適で有名なあの人です。経済学史の方では限界効用革命の大成者とされていますが(詳しいことは知りませんが)、後年、社会学に転向しました。ちなみに、ミヘルス、パレート、モスカともムッソリーニのお気に入りです。

 大衆の問題については、ギュスターヴ・ル=ボン『群衆心理』以来、色々な人たちが議論してますね。なお、戦争の時の熱狂状態に絡めてフロイトはこう言ってます。「多数の人々、数百万人の人々が集うと、個人が獲得してきた道徳的要素は解消されてしまい、原初的で、ごく古く、粗野な心構えだけが残る」(「戦争と死に関する時評」70ページ)。一人一人は良い奴であっても、マスというレベルになると凶暴になり得る、大衆なる現象の不思議さ。

 人間は攻撃衝動の十全な発揮にこそ満足を得られる→「多数の人々を、たがいに愛しながら結びつけることができるのは、攻撃欲の〈はけ口〉となるような人々が外部に存在する場合にかぎられるのである」(「文化への不満」228ページ)。つまり、外部に敵がいなければ、ある共同体内で人々を結束させることはできないということ。これもイヤな真実ですな。

 ちなみに、19世紀、ダーウィン以来の進化論の流れの中で、一匹だけで生き残るのは難しいから種が形成された→この種を共同体のアナロジーとして応用して社会理論とするのがはやりました。大正・昭和初期、進化論を使って社会評論に筆を振るっていた丘浅次郎って人がいたのですが、種の結束には外部が必要→戦争がなければ共同体はまとまれない、だから戦争はなくならない、というペシミスティックな議論をしてました。フロイトもこっちですね。他方、種の結束が常態化すれば外敵がなくても維持できる、だから国家権力がなくても人間は仲良くできるとしたのがクロポトキン『相互扶助論』です。これはアナキズムの理論的根拠となりました。日本では大杉栄や、実は北一輝なんかにも影響を与えています。なお、『相互扶助論』の大杉栄訳は今でも全く違和感のない自然な文体で読めます。

 差異をつくって、境界線の内部での結束を保つために外敵を設定し、そちらに攻撃衝動を振り向ける。このプロセスが延々と続く。民族紛争なんて終わるわけありません。

 人間がこの世に存在する限り戦争はなくならない。この厳然たる事実を我々は善悪の彼岸に立って受け容れるしかない、そうフロイト先生はおっしゃっています。仮に完全に平和な状態が出現したとして、今度は心奥に渦巻く攻撃衝動はそのはけ口に困ってしまい、平和であること自体に人間は耐えられなくなる。人間は退屈に耐えられない存在なんだ、ってドストエフスキーも言ってました。で、私が何言いたかったかっていうと、みんな殺しあって死んじまえ、ってことです。冗談ですけどね。

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2008年9月28日 (日)

金昌國『ボクらの京城師範附属第二国民学校──ある知日家の回想』

金昌國『ボクらの京城師範附属第二国民学校──ある知日家の回想』(朝日選書、2008年)

 植民地支配、日本の敗戦、新国家として出発したばかりの混乱期、そして朝鮮戦争──こうした激変期を小学生・中学生として過ごした、その回想録。なんて言い方をすると何やらドラマチックに聞こえるかもしれない。しかし、子供の頃の素朴な眼差しをそのまま想い返しながらつづられていく筆致はとても穏やかだ。著者自身、その後、教員として教壇に立った経験から、反日、克日、そして現在の知日へと移り変わる世相の変遷についても感慨深さがうかがわれる。

 日本の支配から解放されたばかりの頃、教員が不足していたため、日本留学経験者がいわゆる“でもしか”として多数採用されたらしいが、授業はだいぶ適当だったという。投げやりなところがかえってユーモラスでもあったが。彼らにはエリートとしての自覚があった。しかし、植民地支配から解放されたことは喜びつつも、自分がせっかく学んだ専門的技能を生かせるのか、この先どうなるか分からないという不安があったようだ。アメリカ人から直接英語を習った先生が「聞く・話す」重視だったのに対し、日本留学経験のある先生(著者の父も含む)が「読む・書く」重視だったという対比が面白い。朝鮮戦争で除隊したばかりの英語の先生は必死の形相で戦闘体験のことばかり話していて異様だったが、間もなく自殺してしまったという。今で言うとPTSDだったのだろう。

 著者自身が教室で生徒たちに日帝時代の話をしたときのこと。具体的な話をしていくと、日本人の良い思い出にも触れることになる。反日教育世代の生徒たちは納得のいかないという表情を示したらしい。著者自身がかつて軍国少年として“鬼畜米英”と叩き込まれていた頃、母から一緒に働いたことのあるアメリカ人の優しさについて聞かされたとき、彼自身もそれが理解できなかった、その頃の私たちは実際のアメリカ人を知らなかった、と想い返すところが印象的だった。

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