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2008年8月31日 - 2008年9月6日

2008年9月 1日 (月)

東京国立博物館・国立科学博物館

 上野に行くと、私は必ず東京国立博物館に立ち寄る。とりわけ東洋館に思い入れが強い。中学生の頃に自由研究の課題で古代中国文明をテーマに選んで以来、現在に至るも毎年少なくとも2回以上は来ている。その思い入れについては、大学で考古学を志すも挫折したわだかまりも含めて以前に書いたことがある(→「博物館にまつわる思い出」の記事を参照のこと)。

 素っ気ない感じがした昔に比べると、現在の展示は工夫されていてかなり見やすくなっていると思う。本館の「日本美術の流れ」など簡にして要を得た展示となっているので外国人観光客には親切だと思うし、こまめに特集展示を入れ替えるのも良い。「震災と博物館」という特集展示では、関東大震災で崩れたジョサイア・コンドル設計の旧本館の写真を初めて見た。考古学資料が収められていた表慶館は現在補修のため閉鎖されているが、その代わり、平成館一階に設置されている考古学展示室は、モノという視点で石器時代から江戸時代まで日本史を通覧できる。

 平成館では大規模な特集展示が行なわれるが、2002年に開催された「日中国交正常化30周年記念特別展:シルクロード 絹と黄金の道」という展覧会が私には思い出深い。

 私は学生のとき、「考古学なんてやーめた」という感じになってしまったのだが、一応けじめとして卒業論文はしっかり書いた。中国新疆ウイグル自治区、タリム盆地南縁にかつて存在したオアシス・ニヤ遺跡(現在の町とは異なり、タクラマカン砂漠の中)がテーマ。発掘時期で内容を二分、前半は19~20世紀にかけて活躍した探険家オーレル・スタインの大部な報告書、Ancient Khotan(1907)、Serindia(1921)、Innermost Asia(1928)から関連箇所を抜き出してまとめ、後半は新疆文物考古研究所の紀要『新疆文物』掲載の論文や発掘レポートをもとに中共成立後の発掘成果をサーベイ。ゴミ捨て場の堆積物が層状になっていることに注目して、出土物、特に漢文文書・カロシュティ文書(スタインはもともとインド学者)の出土層位から遺跡の年代を推定することを軸にした(砂漠という特殊条件により、布や木簡、さらには人体などの有機物の保存状態が良好だった)。どうしても中国語文献を読む必要があり、第二外国語はフランス語だったので中国語は半年ほどで速習(もともと中国にも興味があったのだから第二外国語も中国語をとればよかったように今では思うが、中国語のクラスには女の子が少なそう(苦笑)という不純な動機がありました)、論文を書く作業の半分以上はとにかく中国語の辞書をめくることだった。実は、ゼミの授業には初めの1ヶ月出席しただけであとは卒業まで一度も顔を出さず、卒論テーマも指導教官に相談すらせずにいきなり提出するという今から思うと冷や汗もののとんでもないことをやっていた。幸い、名目上指導教官となってくださった先生は、とにかく自分の勉強さえしっかりやっていればそれでいい、という良い意味で古いタイプの方で(開き直ると、これこそリベラル・アーツだろう!)、卒論も、ほとんど出席しなかったゼミまでも成績はAをつけてくれて、本当に頭が上がらない。

 卒論を書くに当たって文献上でしか知らなかった出土品を、この「シルクロード 絹と黄金の道」展で初めて目の当たりにして少々感動的だった。しばらくの間、中央アジア関係のことは学生の時の自分自身のグダグダした嫌な思い出と結びついていたので目を向けたくないという時期もあったのだが、最近ではようやくその呪縛も消えつつある。

 国立科学博物館も学生の頃は時々寄っていた。自然史展示で古生物の化石とか、動物たちの剥製とか、特にグロテスクな生物のホルマリン漬けとか見るのが面白かった。改装されてから入館したのは初めてだと思うが、随分と様変わりしていて驚いた。以前よりもはるかに充実しているし、地球館で動植物を等身大に体感できる展示なんて本当に面白い。夏休み最後なのでガキどもが騒ぎまわっていて、いつもなら癇に障るところだが、ここだとむしろ一緒にはしゃぎまわりたいくらいだ。

 日本館にある、生物としての人間の形質から歴史を通覧できる展示もよくできている。昔の食生活や健康状態などは人骨から解析されるが、近年発見された江戸時代の女性のミイラもあって興味深い。ここの形質人類学的な展示と東博の考古学展示の2ヶ所を回れば、目で見る考古学概論としてたった一日でもかなりの勉強になる。

 以前は南極のタロ・ジロや渋谷のハチ公の剥製とか、アンデス文明のミイラとかもあったのだが見かけなかったな。どこに行ったのだろう?

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2008年8月31日 (日)

東京都美術館「フェルメール展──光の天才画家とデルフトの巨匠たち」

東京都美術館「フェルメール展──光の天才画家とデルフトの巨匠たち」

 国立西洋美術館「コロー展」の次に、東京都美術館「フェルメール展──光の天才画家とデルフトの巨匠たち」。こちらも混んでいた。

 フェルメールの作品については真贋論争が割合と活発で、現在、真作とみなされているのは33~36点くらいらしい。この展覧会はフェルメール展とはいっても同時代のデルフト派の画家たちの作品が大半を占め、フェルメールその人の作品は7点ほどに過ぎない(「絵画芸術」も展示の予定だったが、保存状態の問題で見送られたらしい)。しかもその中の「ディアナとニンフたち」について小林頼子『フェルメールの世界──17世紀オランダ風俗画家の軌跡』(NHKブックス、1999年)は真作とは認めがたいとしている(なお、難解な批評言語によるフェルメール礼賛がかえって贋作の横行を許してしまったという本書の指摘に興味を持った)。

 とは言っても、同時代の作品もそれぞれ味わい深いし、作風としても社会背景的にも当時のオランダの雰囲気が垣間見える。ファブリティウスという若くして死んだ(デルフトの火薬庫大爆発で作品もろとも巻き込まれたらしい)画家も積極的に紹介されており、興味を引かれる。

 フェルメールの作品については、画面の構成要素を分解したパネル解説があった。たとえば、「ワイングラスを持つ娘」。ニヤついた男からワインをすすめられ、困ったような笑みを浮かべる少女。後ろにはメランコリックな佇まい(=不幸な恋愛)を見せる男の姿。少女がこちらを向いているのは、見ている者の視線(画家の眼でもあり、私たち鑑賞者の眼でもある)を意識して、恥ずかしそうに助けを求める表情だと説明されており、なるほどなあと思った。自分も絵の中の世界に取り込まれた感じがしてとても面白い。

 そう思いながら、フェルメールの作品をすべてカラーで収録している朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書、2006年)を帰宅してからパラパラめくってみると、見る者の視線を意識した表情の人物像が他にも結構ある。有名な「真珠の耳飾りの少女」(あるいは、「青いターバンの少女」)もそうだ。トレイシー・シュヴァリエ(木下哲夫訳)『真珠の耳飾りの少女』(白水社、2004年)はモデルとなった少女と画家フェルメールとの関係をテーマとした小説で、映画化されるなど話題にもなった(映画については私は未見)。見る者を画面の中に取り込んでしまいそうなあの表情の豊かさは、確かにイマジネーションを広げたくなる魅力があるものだとうなずける(実際には、モデルとなった少女の素姓は分かっていない)。

 私は「デルフトの眺望」の雲の色合いが何となく好きで、職場のパソコンのトップ画面に設定してあるのだが、格別にフェルメールのファンというわけでもなかった。今回、じっくりと見て、女性像の持つ表情の、ほんの一瞬を切り取っただけなのにそこに凝縮された魅力に改めて引き付けられている。

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国立西洋美術館「コロー展──光と追憶の変奏曲」

国立西洋美術館「コロー展──光と追憶の変奏曲」

 土曜日、今日は上野をがっつり回ってやろうと意気込んで家を出た。

 まず、国立西洋美術館「コロー展──光と追憶の変奏曲」が日曜日で最後なので慌てて駆け込んだ。今週、ル・コルビュジエ関連の本を何冊か読み漁ったばかりなのだが、国立西洋美術館も彼の設計。当初は3つの建物で構成する公園計画を立てたらしいが、まだ高度経済成長前の日本には予算がなくて当館だけで計画は進行、彼は興味を失ってしまい、日本人の直弟子たちの指導で何とか完成させたという経緯があったそうな。

 それはともかく。朝一番に来たにも拘わらず、会期末なので非常に混雑していた。絵の前を行列がゆっくりと進んでいる。私は列をはずれ、良さそうだと思う絵のところでピンポイントで立ち止まり、行列より一歩後ろにさがって人と人のすき間から覗き込むように見る。どうでもいいのはとばすが、見たいものはじっくり見たいので、そうしないと他の人の邪魔になってしまいますから。

 森林や田園風景を描いた絵を特に見たかった。こういう穏やかな静謐感を湛えた風景画を見るとき、技法上のこととか歴史的背景とかあまり深くは考えず、ただひたすらボーっと見ていたい。風景写真を見るのとは違って、微妙な筆遣いによって、風のそよぎとか、陽射しのあたたかみ、静けさ、夕暮れ時のにおい、そういったものが不思議と想像されてくる。画集で見るのもいいけど、本物を目の前にしてるという緊張感があった方がいい。どう言ったらいいのか難しいけれど、とりとめないことを考えながら向き合っていると胸の中で何かすずやかなものが吹きぬけていく感覚をふと感じることがあって、その瞬間が体感的にたまらない。色々と鬱屈した日々を過ごしていますので、そういう瞬間で心を洗っておかないと生きていけません。

 「青い服の婦人」とか「真珠の女」とかの女性像もいいが、私は「水浴するディアナ」が好き。構図はアングルの「泉」にそっくりだけど、アングルのタッチの明確さとは違って、少しぼやけた感じに余韻があって、女性の体って本当に美しいものだなあとしみじみ感じ入る。

 風景画でも人物画でも、セザンヌ、シスレー、ルノワール、モネ、ゴーガンなどの似た構図の作品と並べて対比させるという展示上の工夫が面白い。

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