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2008年8月3日 - 2008年8月9日

2008年8月 8日 (金)

原爆をめぐって

 今週、ある寝つけない夜、テレビをつけたらスティーヴン・オカザキ監督「ヒロシマナガサキ」を放映していた。去年のちょうどこの時期、岩波ホールで観た(→記事参照)。ある被爆女性が語るシーンにさしかかったところだった。その方は姉妹ともに被爆、明言はされなかったが心身共に人知れぬ苦しみを抱え続けなければならなかったのだろう、妹は自殺してしまったという。「人間には、生きる勇気と死ぬ勇気と二つの勇気があるのだと思います。妹は死ぬ勇気を選び、私は生きる勇気を選びました。」この言葉は去年観た時からずっと頭に刻みつけられていた。

 何で読んだのか記憶が曖昧なのだが、ある進歩的とされる知識人がこんなことを書いていたように思う。被爆体験者から話を聞いていた修学旅行生から「それでもやはり日本は侵略戦争を反省しなければいけないから仕方ないことだと思います」というセリフが出てきて、さすがの彼も唖然としたという。しかし、かく言う私だって笑えない。非核地帯構想をテーマに国際法を専攻する友人がいるのだが、彼と会うたびに、そんなの国際政治のリアリズムからはただの空論に過ぎないと議論をふっかける。その時、被爆者のことは念頭にない。もちろん、極論をぶつけることで議論を深めようという意図があるにせよ、ときどき我に返り、「自分はいま知的ゲームとして議論を弄んでいるだけだな」と上滑りした自分の言葉に嫌悪感を覚えることがある。

 何と言ったらいいのか難しいけれど、型にはまった政治図式が私の頭の中にこびりついていて、それがざわつくというか妙な理屈を介在させてしまって、被爆者の抱えたつらさを素直に受け止めることができない。そうした不自然な自分自身に冷たさを感じ、もどかしく苛立ちがある。去年の夏、広島へ行き、原爆にまつわる場所を汗だくになりながら3日間かけて歩き回った。単に現場を見るという以上に、巡礼なんて言い方をするのはおこがましいが、ひたすら歩きながらこの妙なこわばりを振り捨てたいという気持ちがあった。

 被爆者も高齢化しつつあるが、被爆体験の語り継ぎはやはり大切だと思う。かつては被爆体験を語ること自体が難しかった。GHQによるプレスコードがあったし(堀場清子『原爆 表現と検閲』朝日選書、1995年)、名乗り出ることで社会的差別の視線にさらされるおそれもあった。何よりも、語ること自体が、その時の悲惨な光景をまざまざと思い返すことになり、耐え難い苦痛を強いることになる。原爆をテーマとした作品では、なぜ自分だけ生き残ったのかと自責の念にかられる姿がしばしば描かれている。

 「ヒロシマナガサキ」で女性が語っていた“生きる勇気”と“死ぬ勇気”。自殺を逃げだなんて言うことは絶対にできないし、生き続けるだけでも様々な苦痛があったであろうことは余人には何とも言い難い。そして、語ることには、そのこと自体に勇気が要る。十重二十重の苦しみを通してにじみ出た言葉はやはりないがしろにはできない。

 核による悲劇の語り継ぎは、日本国内におけるタテの時系列だけに限定されるものではない。日本以外、いわばヨコの軸にも目を向けなければならない。例えば、中国の核実験。この場合、“語る”ことには政治的リスクを賭けた、また別の意味での勇気が必要となる。

 ウイグル人医師アニワル・トフティさんの講演会を聞きに行った。中国の新疆ウイグル自治区、ロプノールの近くでは1964年から1996年にかけて46回の核実験が行なわれた。住民の深刻な健康被害に気付いたアニワルさんは調査を始めたが、イギリスの報道番組「シルクロードの死神」の取材に協力したため、政治亡命せざるを得なくなってしまった。

 講演内容は主催者・日本政策研究センター発行『明日への選択』に掲載されるそうなのでそちらを参照されたい。水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書、2007年)にもアニワルさんの話は紹介されている。また、新疆ウイグル自治区での健康被害の具体的な状況について中国政府は情報公開をしていないが、高田純『中国の核実験──シルクロードで発生した地表核爆発災害』(医療科学社、2008年)が外部で入手可能なデータ(特に隣国カザフスタンでの測定値)を最大限に駆使しながら放射線医科学の立場から推計を行なっている。

 アニワルさんは8月6日の広島での式典参加のため来日された。8月8日は北京オリンピックの開幕式だが、1964年、東京オリンピックの開幕式のすぐ後に中国は初の核実験を行なったことにアニワルさんは注意を喚起する。東トルキスタンの人々が漢人によって圧迫されているという政治的現実があるが、ウイグル人ばかりでなく漢人にだって被害は出ている。中国政府は核汚染はないという立場を崩さないので、こうした人々は放置されたままだ。国家的威信を誇示するために人命が軽視されている。政治問題以前に、明らかに人道問題である。情報統制の厳しさのため、放射能被害にあえぐ人々の声はなかなか外に出てこない。もし日本が“唯一の被爆国”であることを国是としているならば、政治という厚い壁に閉ざされている中でともすればかき消されかねない声を伝えようとするアニワルさんの勇気にも耳を傾けなければならないと思う。

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2008年8月 6日 (水)

岡茂雄『本屋風情』

岡茂雄『本屋風情』(中公文庫、改版、2008年)

 柳田國男、南方熊楠、内田魯庵、濱田青陵、新村出、金田一京助、折口信夫、渋沢敬三、等々…、こうした名前にピンとくる人ならこの本はおすすめだ。岡書院、なんて言っても今では知る人も少ないだろうが、かつて民俗(族)学、考古学、人類学を中心とした学術書を精力的に出版し、姉妹店の梓書院は山岳もので知られた。店主、岡茂雄の回想録。

 文壇関係者の回想録というのはたくさんあるし、どれも読み物として面白いものだが、学会関連でそうした類いの本というのはあまり見かけない。作家たちにはそもそも変なのが多いし、自意識過剰で演出たっぷりにネタを提供もしてくれる。では、学者たちがつまらないかと言えば、そんなことは全然ない。あるテーマにとりつかれるタイプというのはどこかバランスを失してしまうものなのか、良くも悪くも個性的、“濃い”人物群像では文壇ものにひけを取らない。

 たとえば柳田國男という人。私自身、柳田の作品は好きだが、その一方で、性狷介、芳しからぬパーソナリティーのこともよく聞く。『雪国の春』刊行の経緯や『民族学・人類学講座』流産の顛末を読んでごらんなさい。このクソじじい、マジでムカつく。岡と柳田の板ばさみになってしまった折口信夫がオロオロする姿も何だかかわいらしい。怒りをグッとこらえる岡さんに、よくぞ耐えた!と心の中で拍手喝采。

 とは言っても、柳田だってイヤな奴一辺倒でもない。岡は、柳田が色々と便宜を図ってくれたこと、送った朴の木を喜んでくれたことなども思い出して記す。何よりも、こうした様々な人間的な軋轢がありながらも、岡も含めてみんな学問に本当にのめり込んでいる姿が見えてきて、うらやましくもほほえましい。

 岡書院併設の書店にもそうしたアカデミックな雰囲気に誘われて多くの人々が足を運んだらしい。本書の最後、ある学生から「考古学をやるにはどんな本がいいでしょうか」と尋ねられるシーンがある。前にも見た顔なので名前をきくと、「江上です」。私は昔、江上波夫にあこがれて考古学者になりたいと思っていた時期があったので、私的な思い入れとしても感慨深い。

 意外な人的つながりが垣間見えるのもこうした回想録を読む醍醐味。雑学マニアにはたまらない。山階宮家の第三王子藤麿王が岡書院の造本のファンで、東大の卒業論文(『日唐通交と其影響』)の装幀を引き受けて欲しいと頼まれたそうだ。後に臣籍降下した筑波藤麿。戦後、靖国神社の宮司となったが、A級戦犯合祀に慎重な態度を取った人である(次の松平永芳宮司が合祀を強引に進め、昭和天皇が不快感を漏らしていたことは周知の通り)。筑波がもともと歴史学者だったこと、山階鳥類研究所の山階芳麿の弟にあたることは初めて知った。なお、山階も岡の梓書院から『日本の鳥類と其の生態』を出している。

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2008年8月 3日 (日)

大森荘蔵『流れとよどみ──哲学断章』

大森荘蔵『流れとよどみ──哲学断章』(産業図書、1981年)

 人生で一番の愛読書を挙げろと言われたら、私は躊躇なく『荘子』を挙げる。この『荘子』で寓話としてほのめかされる、かたくなな“ことわり”を取り払った感覚、これをたとえば科学哲学という分野で表現しようとしたら、それが大森さんの文章になるのではないか。強引かもしれないが、そんな気がしている。『知の構築とその呪縛』(ちくま学芸文庫、1994年)などで展開されていた“自然の死物化”の議論など、読みながら『荘子』にある「渾沌の死」のエピソードを思い浮かべていた。

 デカルト以来の「主観-客観」二元論を科学哲学という枠組みにおいて克服する──なんて言うと、たいそうなことに聞こえるかもしれないが、何のことはない、我々が日常に普通に感じ取っているありのままの感覚を、そのあるがままに受け止めればいいではないか、ただそれだけのこと。

 “学問”として定立された“哲学”は、今まさにここで感じ取っている生身の感覚をことさらに切り離し、対象化し、構図化していく。本来、あたりまえのことを、不自然な手間を介在させることで、ことさらにあたりまえでなくしてしまった。世界の狭い一点に“私”なるエアポケットがあって、そこに鎮座した主観的主体が無機的な世界に対して感情やら何やらを投影しているのではない。そうした一見我々が馴染んでいるかのような「主観-客観」の構図を大森さんは突き崩し、“私”=主観も、“世界”=客観も同一地平にあるというあたりまえのことを説く。「消えたのはただひどく粗大な哲学的構図だけであって、山川草木、日々の出来事、それは一木一草、一飯一茶にいたるまで元のままである。だからあとに残ったのはのっぺらぼうの顔ではなくて、哲学的汚れを落とした素顔なのである」(162ページ)。

 この世界の描き方は多様にあり得る。科学的描写もあれば日常的描写もある。前者の厳密さが正しくて後者の感性的曖昧さが錯覚だというのではなく、両者とも描写の仕方として優劣はない。大森さんの表現を使えば“重ね描き”されている。科学的描写を特権化し、日常的描写を追放しがちなところに近代的世界観のいびつさを大森さんは嗅ぎ取っている。

 “哲学”といえば、何やら難しそうで、難しそうだからこそありがたそうな、そんな倒錯した印象を抱かれやすい。本来、生きるためにこそ哲学を切実に必要としているのに、その難しそうな印象から遠ざかってしまう人がいる。他方で、哲学が特に必要でなくても、難しい=偉い、みたいな妙な錯覚からファッションとして哲学を勉強し、なおさら複雑怪奇な議論を進めて道に迷ってしまう人もいる。上の大森さんの表現を使えば“哲学的汚れ”だ。そのあたりの錯覚を何とか振り払おうとしていたのが昨年お亡くなりになった池田晶子さんだろう(→池田晶子・大峯顕『君自身に還れ──知と信を巡る対話』の記事を参照のこと)。

 大森さんの論文は割合と読みやすい。それに、どことなく詩的な感興がわきおこってくるから不思議だ。読んだからといって特に真新しい知見が得られるわけではないが、視点の取り方は変わってくるのではないか。科学哲学に興味がなくても一読してみると面白いと思う。

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