« 2008年7月20日 - 2008年7月26日 | トップページ | 2008年8月3日 - 2008年8月9日 »

2008年7月27日 - 2008年8月2日

2008年7月29日 (火)

ダウド・ハリ『ダルフールの通訳──ジェノサイドの目撃者』

ダウド・ハリ(山内あゆ子訳)『ダルフールの通訳──ジェノサイドの目撃者』(ランダムハウス講談社、2008年)

 スーダン政府のバックアップを受けたアラブ系民兵組織ジャンジャウィード、彼らによってダルフールの非アラブ系民族に対して行なわれている焼き討ち、殺戮、レイプ、その凄惨なあり様についてはここに引き写すのもおぞましい。

 ダウド・ハリはダルフールのザガワ族出身。彼自身の村も焼き討ちされ、兄をはじめ多数の親族が殺された。英語が得意なので、隣国チャドに脱出後も、海外のジャーナリストの通訳として6回も命の危険をおかした再潜入をしている。

 すべてを失い、絶望しかない中、戦うか、さもなくば無気力に陥るか。彼は自分の村が焼き討ちされて以来、生きているという実感がない。それでも、なおかつ彼が生きる理由は何か。ダルフールに降りかかった惨状を海外の多くの人々に知らせること。外国のジャーナリストたちをダルフールへ案内し、自分の命はどうなろうとも、彼らを生きて脱出させ、彼らの見たままを語ってもらうこと。ダウドは戦う。銃を取るのではなく、得意な英語を武器として。タイトルにある通訳とは、もちろん外国人ジャーナリストの通訳というだけでなく、ダルフールで進行中のジェノサイドを全世界に向けて伝達していくという意味が込められている。

 最近、ルワンダ問題に関わる本を何冊か続けて読む機会があった。ジェノサイドを目の当たりにしたとき国際社会はどのような対応を取るべきなのか、解きがたいアポリアにつくづく考え込まされた。映画「ホテル・ルワンダ」(→こちらの記事を参照)のモデルとなったポール・ルセサバギナは時間稼ぎをしながら国際社会の積極的介入を切迫した思いで待っていた(→ポール・ルセサバギナ『An Ordinary Man』の記事を参照のこと)。他方、現地にいた国連平和維持軍司令官ロメオ・ダレールは、彼自身は介入すべきと確信しているのに、国連本部からのゴー・サインが出ない。目の前で殺戮が繰り広げられているのに何も出来なかった後悔から彼はPTSDになってしまったほどだ(→ロメオ・ダレール『悪魔との握手──ルワンダにおける人道の失敗』の記事を参照のこと。この本は必読だと私は思っている)。

 当事者も、国際社会の良心も、介入すべきという思いは切実に持っているにもかかわらず、国家主権、国益をめぐる各国のエゴという壁が立ちはだかり何も出来ない虚しさ。国連安全保障理事会も機能しない。拒否権を持つ中国が反対するから、スーダンに対しても、あるいは最近ではジンバブエに対しても制裁決議が通らないのだ。中国はダルフールの天然資源をあてこんでスーダン政府をバックアップし、かの地で続く殺戮を黙認している。北京オリンピックの聖火リレーに対して世界中で抗議デモが繰り広げられ、チベット問題が特に注目されていたが、欧米ではダルフール問題への抗議という意味合いも強かった。

 ダルフール問題について日本語で読める本がなかなか見つからなかったので、本書の出版はとても貴重なことだと思う。なお、映画「ホテル・ルワンダ」で主演を務めた俳優ドン・チードルたちがダルフール難民のキャンプを歩いた記録を中心にジェノサイドの問題をテーマとした本を以前にこのブログで取り上げたことがある(Don Cheadle and John Prendergast, Not on Our Watch: The Mission to End Genocide in Darfur and Beyond)。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年7月28日 (月)

ウイグル問題についてメモ②

 ウイグルの問題、あるいはチベットの問題についてもそうだが、いわゆる“ぷちナショナリズム”的なネット世論の中で、中国バッシングの道具として使われる傾向がある、そんな印象が私には強い。もちろん、真面目に考えている人もちゃんといる。しかし、理性的な人は静かに語るけど、思考回路が単純→声のでかい人ばかりが目立ってしまうのがこの世の常。このあたりの違和感は、水谷尚子『中国を追われたウイグル人』のあとがきでも吐露されていた。

 ウイグル問題を日本人のナショナリスティックな動機から中国バッシングの道具として利用するのは、彼らの苦境を他人事して鬱憤晴らしに消費しているだけのことで、私はあまり感心できない。さらに問題なのは、事情をよく知らない日本の一般の人々に対して、ウイグルやチベットの問題→中国バッシング→ああ、右翼の人たちね、みたいな妙な誤解がイメージとして定着しかねないこと。正直に言うと、私自身もかつてそうした色眼鏡で見ていた。

 先日、水谷尚子さんから直接お話をうかがう機会があった。ウイグル問題が日本で妙に誤解されたり政治運動化されたりということについて語るとき、表情にさびしそうな疲れたような翳りがよぎった。水谷さんははちきれんばかりに元気一杯な明るさがとても魅力的で、表情の喜怒哀楽がはっきりした方なので、その時の表情の翳りがなおさら強く印象に残っている。

 水谷さんご自身は研究者として政治的党派性から中立でありたいと考えておられるが、実際には色々なしがらみがあって難しいらしい。それでも、「誤解されるのを恐れて何も言わないよりも、誤解されても言うべきことはきちんと言った方がいい」とおっしゃるのをうかがって、私は襟を正さねばならない気持ちになった。具体的なアクションを取ろうとすれば戦術として政治にも接近せねばならない。しかし、政治は不本意な副作用をもたらすことがある。バランスが本当に難しい。

 それに、水谷さんはウイグル人亡命者からの丹念な聞き書きの仕事を続けつつ、同時に中国への愛着も持っている。『「反日」解剖──歪んだ中国の「愛国」』(文藝春秋、2005年)にしたって、日中双方の風通しの悪さを何とか崩してやろう、その上で良い関係を築いていこうというのが本来の動機だと思う。中国にも愛着があるからこそ、中国政府がウイグル人に対して苛酷な政治弾圧を行なっていることを悲しんでいる。それでも、ウイグル人の置かれた状況を考えれば、やはり異議を唱えざるを得ない。不本意な形で二者択一を迫られてしまう。おそらく、失ったものの大きさに耐え難いつらさも抱えておられるのではないかと心ひそかに推察している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ウイグル問題についてメモ①

 ここ最近、ウイグルのことについて少しずつ勉強中。取りあえず、途中経過メモ。

 大雑把な歴史を知るには、取りあえず今谷明『中国の火薬庫──新疆ウイグル自治区の近代史』(集英社、2000年)が入手しやすい。今谷明と言えば日本中世史の大家として知られているけど、『ビザンツ歴史紀行』(書籍工房早山、2006年)なんて本も出している。守備範囲の広い人だ。井上靖の小説やシルクロードへのロマンが昂じて書いちゃったとのこと。私自身、動機は同じです。近世から東トルキスタン共和国まで既存研究のダイジェストで、内容的には整理されていると思う。しかし、結論的にムスリム反乱の主役はあくまでも東干(回族)であってウイグル人は中央政府にとって脅威ではなかった、東干が決起しない限り新疆独立はないだろう、と言うのはいかがなものでしょうか。武装蜂起ばかりが独立運動でもあるまいし。あるいは、『新版世界各国史4・中央ユーラシア史』(小松久男編、山川出版社、2000年)の東トルキスタンの節(濱田正美稿)を拾い読みしても歴史的な流れは簡潔に過不足なく把握できる。

 新疆・ウイグルについて多面的に知りたい場合は、『アジア遊学』No.1「特集 越境する新疆・ウイグル(新免康・編)」(勉誠出版、1992年2月)と『アジ研ワールド・トレンド』第112号「特集 ウイグル人の現在─中国と中央アジアの間で」(2005年1月、日本貿易振興機構アジア経済研究所研究支援部)の2冊が取っ掛かりとして便利そうだ。いずれも新疆での滞在体験を踏まえた論考やエッセイが集められている。

 まず、『アジア遊学』No.1「特集 越境する新疆・ウイグル」。堀直「新疆がどうして中国になったのか─近現代の経済史から」。18世紀、乾隆帝時代に清朝の版図に組み込まれ“新疆”と呼ばれるようになったことから、清朝の弱体化、漢人流入禁令の形骸化、ムスリム反乱、ヤークーブ・ベグ政権を左宗棠が制圧→新疆省設置(1884年)、イリ条約(1881年)→ロシアとの国境画定といったプロセスを紹介、中国“固有の領土”として内地化が進められて行く経緯を解説。

 大石真一郎「ウイグルの近代─ジャディード運動の高揚と挫折」。従来のイスラム的教育の他、1884年以降は“中国化”教育政策が進められ、さらにキリスト教の宣教師も入り込んでくる中、ウイグルの人々の間に危機感が芽生えていた。当時の新疆はロシアとの交易が盛んになっていたため、ロシア籍のタタール人やウズベク人を通して“ジャディード”という近代化を目指した教育改革運動が新疆でも始まる(ジャディードについては、坂本勉『トルコ民族の世界史』の記事、小松久男『革命の中央アジア』の記事を参照のこと)。オスマン帝国の「統一と進歩委員会」(青年トルコ)もアフメト・ケマルという人物を新疆に派遣していた。1930年代の新疆ムスリム反乱の背景の一つとしてこうした動きから培われた民族主義や近代化志向の意識もあったことは新免康「新疆ムスリム反乱(1931~34年)と秘密組織」(『史学雑誌』99-12、1990年12月)で指摘されている。

 藤山正二郎「ウイグル語の危機─アイデンティティの政治学」は近代ウイグル語の成立過程について、リズワン・アブリミティ「模索するウイグル人─新疆における民族教育の状況」、それから同「新疆におけるウイグル人の民族学校」(『アジ研究ワールド・トレンド』)は民族教育の問題を取り上げ、やはりウイグル語教育と漢語教育の両立の危うい難しさが焦点となる。民族学校でのウイグル語教育はウイグル人としてのアイデンティティや文化的伝統を維持していく上で欠かせない。しかし、政策的な漢語同化政策ばかりでなく、中国社会にも市場競争原理が浸透しつつある中、就職を考えるとやはり漢語ができないと不利、そうした動機からウイグル人でも漢語学校に入るケースが増えているという。言語的不利→社会的ステータス上昇困難の不満についてはBlaine Kaltman, Under the Heel of the Dragon: Islam, Racism, Crime, and the Uighur in China(Ohio University Press, 2007)(→記事参照)で取り上げられていた。

 真田安「バザール・混沌の奥にある社会システムを求めて」はバザールの光景とその魅力を語りつつ、バザールにおける商品経済の仕組みを解説。経済関係では章瑩「新疆における国境貿易」という論文もある。

 菅原純「創出される「ウイグル民族文化」─「ウイグル古典文学」の復興と墓廟の「発見」」や鈴木健太郎「ウイグル音楽の歴史書『楽師伝』と民族的英雄アマンニサハンの誕生」は、少々強引とも思えるような論拠に基づいて民族的英雄を創り上げていくプロセスを検討、そこからウイグル人の民族文化振興の意志や焦燥感を読み取る。新免康「聖なる空間を訪ねて─新疆ウイグル社会における墓廟(マザール)」はウイグル民族文化の一翼を担うものとしての宗教的空間について解説。マリア・サキム「新疆における伝統的生薬文化」は民間医療について。

 王建新「ウイグル人のイスラム信仰」は日常生活に根付く宗教習慣について。イスラムには徳と義務との相殺という考え方があり、たとえば若い頃、共産党員として宗教的義務を果せなかったので、引退してから敬虔な宗教生活を送るという人が紹介されていて興味深い。宗教的規範と共産党政権下における公的・世俗的規範との矛盾を何とかやりくりしようという工夫がうかがえる。ウイグル人はイスラム教スンニ派だが、その中にも垣間見えるシャーマニズムについては王建新「新疆ウイグルのシャーマニズム─イスラムの現代に生きる民俗信仰」(『アジア遊学』No.58、2003年12月)が紹介している。

 次に、『アジ研ワールド・トレンド』第112号「特集 ウイグル人の現在─中国と中央アジアの間で」。新免康「ウイグル人の歴史と現在」は概況を解説。なお、かつて東トルキスタン在住トルコ系の人々の帰属意識は各オアシスに対するもの、もしくはムスリムとしての自覚が強かったが、“ウイグル”という名称による民族区分が明確になったのは20世紀に入ってからのこと。

 岡奈津子「カザフスタンのウイグル人」。上海協力機構は加盟各国それぞれ内部に抱える“過激派”押さえ込みの同盟という側面があるが、ウイグル人からすれば国境を越えた自分たちのネットワークを押さえ込もうとしていると受け止められている。カザフスタンではウイグル人に対して“テロリスト”という偏見も持たれているらしい。カザフスタン在住ウイグル人組織として、武装解放路線を唱える強硬派からウイグル人の権利向上を目指す穏健な文化活動まであることを紹介、前者はごく少数、後者が圧倒的多数である。

 菅原純「ウイグル人と大日本帝国」は1944年刊行の『中央アジア・トルコ語』を皮切りに日本とウイグルとの意外な関係を発掘している。盛世才政権に反対して亡命したマフムード・ムヒーティたち一行は日本に亡命(この中にいたムハンマド・イミン・イスラーミーはアブデュルレシト・イブラヒムの死後、代々木のモスクのイマームとなったそうだ。なお、イブラヒムについては『ジャポンヤ』の記事を参照のこと)。ただし、彼らに対して日本政府は素っ気なかったという。結局、北京、さらにフフホトに追いやられ、ここで彼らは満鉄調査部の竹内義典の支援を受けた。また、アフガニスタンに亡命していたムハンマド・イミン・ブグラ(『東トルキスタン史』の著者)は在カブール日本領事館に頻繁に出入りしていたそうだ。

 他に、前掲のリズワン・アブリミティ「新疆におけるウイグル人の民族学校」、堀直「ウイグルの古都ヤルカンド」、菅原純「翻弄された文字文化─現代ウイグル語の黄昏」、藤山正二郎「儀礼的世界のウイグル女性」などの論考がある。

 取りあえず、今回はここまで。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2008年7月20日 - 2008年7月26日 | トップページ | 2008年8月3日 - 2008年8月9日 »