« 2008年7月13日 - 2008年7月19日 | トップページ | 2008年7月27日 - 2008年8月2日 »

2008年7月20日 - 2008年7月26日

2008年7月26日 (土)

李建志『日韓ナショナリズムの解体──「複数のアイデンティティ」を生きる思想』

李建志『日韓ナショナリズムの解体──「複数のアイデンティティ」を生きる思想』(筑摩書房、2008年)

 一人一人の、いままさにここに生きて抱えている問題のリアリティを言葉に置き換えていくのは本当に難しいことなのだと思う。本書の著者は他称“在日朝鮮人”であるが、前著『朝鮮近代文学とナショナリズム──「抵抗のナショナリズム」批判』(作品社、2007年)にあった次のシーンが印象に残っている。いわゆる“シイエス→CS→カルチュラル・スタディズ”を専攻する人から「在日朝鮮人に生まれてうらやましいですね。ぼくも朝鮮人に生まれていたら、もっと研究が注目されるのに」と言われたそうだ。

 マジョリティとマイノリティ、その関係性の問題は前者が後者を抑圧するという分かりやすい図式で終わるものではない。“シイエス”はマイノリティに対する抑圧の社会的・文化的側面を批判的に検討する立場であり、その点では“反権力”であるにもかかわらず、マイノリティの受ける抑圧を告発→“正義”という特権的立場→“反権力という名の権力”という図式を彼は暗黙のうちに吐露してしまっている。ここにおいては、マジョリティとマイノリティの関係性を単純な二項対立に押し込めて、実は当事者自身のまさに生きている経験がすっかり無視されているのではないか。そうした根本的な疑問を著者は投げかけていた。

 植民地支配や朝鮮人差別の問題についてマジョリティたる日本人の側で極端なまでに“自己否定”する人がいるが、実は批判できる自分を問題から超越した立場に置いてしまっている。相手と“向き合うようなポーズ”は取りつつも、現実にはしんどい部分から逃げ出す“向き合わないための技術”に過ぎないと本書『日韓ナショナリズムの解体』は指摘する。“自己批判”は“正しい”から異論を唱えにくい。同様の構図はマイノリティたる在日朝鮮人の側にもあり、自分たちの“抵抗のナショナリズム”を無条件に絶対化してしまうという問題をはらんでいた。二項対立的な“正義らしきもの”が並立する。これでは建設的な議論はできない。

 韓国社会におけるナショナリズムは二つに大別されるらしい。一つが、大韓民国という国家レベルにおける高度成長のナショナリズム。もう一つが、独裁政権批判・民主化運動の流れにあり、民族同胞意識を強めた“開かれたナショナリズム”。前者が保守派、後者が進歩派というくくりになるが、竹島(独島)など領土問題では共闘関係に入ってしまうらしい。本書では対馬から高句麗時代の中国東北地方まで本来は自分たちの領土だと主張する“故地意識”が取り上げられている。特に後者の進歩派の場合、基本的に善意というか純粋で、その分、自分たちを絶対化しやすい。その暴走が日本人からは異様に見えてしまうわけだ。

 各個人のレベルにおいてアイデンティティは決して一つに収斂されるものではない。それにもかかわらず、日韓双方とも、自分たちと他者とを二項対立的に切り分け、その単純化によって“無意識で善意のナショナリズム”に転化してしまう問題点を本書は指摘する。

 私は、日本の“自己批判する私たち”=特権的立場を暗黙のうちに主張してきた進歩派には違和感があったが、他方で、近年巷によく見られる安直な“嫌韓”ものにもほとほとうんざりしていた。そうした中、双方の思考の内在構造を腑分けしようと努める本書の立場は説得的に感じた。感情過多なところが少々気にかかるが、視点そのものはしっかりしていると思う。これからどんな議論を展開するのか期待している。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2008年7月25日 (金)

『酒井駒子 小さな世界』

 例によって書店をふらついていたら、絵本情報誌『Pooka』の特別版『Pooka+ 酒井駒子 小さな世界』(学習研究社、2008年)が目に入った(書影が見られるようアマゾンにリンクをはっておきます)。私は絵本にそれほど特別な興味はないけど、酒井さんの絵は大好きですぐに買った。彼女の活動は絵本やブックデザインが中心、画集などは見かけないので、色々な作品をまとめて見られるのはうれしい。

 酒井さんの絵を初めて見かけたのは実は書店ではなくタワーレコードの視聴コーナー。world'send girlfriend「The Lie Lay LandというCDのジャケットが酒井さんの絵だった。なぜか目を引き、ヘッドホンを耳に当てた。同時に両方のアーティストのファンになってしまった。

 酒井さんの絵本では、小川未明『赤い蝋燭と人魚須賀敦子『こうちゃんの2冊を持っている。銀座、教文館の児童書専門店「ナルニア国」で買った(絵本にはそんなに興味はないと言いつつも、ここに時々立ち寄って書棚を眺めていると楽しい)。売場のおねえさんから「プレゼント用に包装なさいますか?」と当然のような口ぶりできかれて、ちょっと口ごもりながら「…ええと、結構です」。絵本に趣味がありそうな風体はしておりませんので、何となく胡散臭く見られたかなあ、と気にかけるのも自意識過剰ですかね。

 この酒井駒子特集本は、酒井さんの選んだいくつかのキーワードで章分けされている。一番初めが、「夜──昼間でも、夜のことを思っている。」私が酒井さんの絵で一番ひきつけられているのは黒の際立つ色調だ。子供を描いたものが多い。ぼんやりとした輪郭で、それが繊細さ、あたたかさを感じさせるのだけど、黒いトーンが引きしめてくれると言ったらいいのか。やわらかい哀感という言い方が適切か分からないが、表情の独特な余韻がとても好きだ。

 書店で酒井さんの装幀になる本を見かけると必ず手に取って眺める。つい先日も、湯本香樹実『春のオルガン(新潮文庫、2008年)をついつい買ってしまったばかり。他にも、恩田陸『不安な童話(新潮文庫、2002年)、蛇行する川のほとり(中公文庫、2007年)、角田光代『だれかのいとしいひと』(単行本は、白泉社、2002年。文庫版は文春文庫、2004年)が手もとにある。ミシェル・ペイヴァーのファンタジー・シリーズオオカミ族の少年』『生霊わたり』『魂食らい(評論社、2005~2007年、以下続刊)も装幀に引かれて読んだ。張芸謀監督の映画「至福のとき」のチラシにある少女像もいいなあ。

 酒井さんは村山槐多が好きだというのがちょっと意外だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月24日 (木)

アブデュルレシト・イブラヒム『ジャポンヤ──イスラム系ロシア人の見た明治日本』

アブデュルレシト・イブラヒム(小松香織・小松久男訳)『ジャポンヤ──イスラム系ロシア人の見た明治日本』(第三書館、1991年)

 井筒俊彦は司馬遼太郎との対談で、あるタタール人亡命者の老ウラマーからアラビア語を学んだことを語っている(「二十世紀末の闇と光」)。コーランをはじめあらゆる典籍を完全に暗証していることに驚き、彼から学問の何たるかを教えられたと尊崇の気持ちが篤い。やはり井筒と一緒にこの人物に会った前嶋信次も、彼の重厚な存在感に圧倒されたことを回想している(『アラビア学への途──わが人生のシルクロード』)。

 井筒や前嶋の会った老ウラマー、その名をアブデュルレシト・イブラヒムという。ロシア支配下、ムスリム社会を変革すべく新方式の教育改革を目指したいわゆるジャディード(革新派)だが、伝統墨守の頑迷な聖職者たちとロシア政府の両方からにらまれてイスタンブールへ亡命。その後、イスラム圏を中心に世界中を回り、旅行記『イスラム世界』のうち日本の章を訳出されたのが本書である。

 イブラヒムはロシア領トルキスタン、シベリアを経由して、1909年、敦賀に上陸。米原、横浜とやって来るが、途中で出会った日本人について正直、清潔と印象はすこぶる良好。

 日本語は外国語をそのまま借用せず、たとえばポストは郵便、フォトグラフは写真といった具合に自分たちの言葉にできるだけ言い換えようとしていることに彼は注目。また、どんな貧しい家でも新聞を買っていることに感心する。教育改革、言語改革を通した近代化を目指したジャディードらしい関心の持ち方である。他方、大学の図書館へ行くとみんな和服姿で勉強しているのを見て、教育に服装の改革までは必要なし、と記す。知識的・技術的な部分は西欧から学びつつも文化的伝統は失わせないという“和魂洋才”的な志向が窺える。

 イブラヒムは欧米列強に対抗するため、汎イスラム主義を軸とした諸民族の団結を目指しており、世界旅行もそうした熱意を動機としている。この構想の中で日本のイスラム化に期待を寄せているのが面白い。彼の言うところでは、日本人の清潔さ、礼儀正しさ、正直、道徳心、これらはヨーロッパ人(おそらく、ロシア人を念頭に置いているのだろう)にはないもので、その点で日本人は「我々イスラム教徒にふさわしいほど高貴である」とのこと。同時に、日本人は自分たちの民族精神を捨ててはならず、それはイスラムによってこそ支えられると言う。また、イスラムに改宗すれば、中国やインドネシアへの政治的・経済的進出が容易になるはず、と日本の利益にもかなうことを説く(彼はそれこそ無邪気なほどに日本と中国との合邦を主張している)。

 彼は伊藤博文、大隈重信、河野広中、犬養毅、頭山満などの要人をはじめ様々な人物と会見している。中野常太郎という人物に日本でのイスラム布教について期待を寄せるほか、日本人として最初にイスラムに改宗したという大原武慶なる人物も登場する。彼は後に東亜同文会に参画、辛亥革命にも関わったらしい。日本のアジア主義者の方も積極的にイブラヒムへの接触を図っていたようだ。

 イブラヒムが出会った人々を見ていると、当時すでにイスラム圏出身者が日本にも結構いたらしいことが興味深い。アフマド・ファズリーはカイロ出身、スーダンの戦いにも参加したというからマフディー運動と関わりがあったのだろうか。インド出身のマウラヴィー・バラカトッラーとは日本にモスクを建てる計画について相談。アデン出身のアラブ人水夫たちとの邂逅では、国境を越えたイスラムの一体感に少々感傷的だ。また、佐々木蒙古王(安五郎)の紹介で、中国領トルキスタン出身、トルグート(モンゴル系、チベット仏教徒)の王子バルタ・トッラにも会った。彼は振武学校(中国留学生のための士官学校の予備校)に留学中で、イブラヒムは、故郷に戻っても東洋統一の思想を広めるようにと諭す。

 イブラヒムは五~六ヶ月ほどの滞在で日本を後にする。本書もここで終わる。その後、彼はどうしたか? 第一次世界大戦ではドイツに渡ってロシア軍捕虜中のムスリム兵士を集めてオスマン軍に編入させる。ロシア革命後は中央アジアに潜入し、ムスリムの独立運動を進めたが、失敗(旧ソ連時代の中央アジアではイブラヒムの名はほとんど抹殺されたも同然だったという)。そして、1933年、再来日。1938年には東京のモスク(代々木の東京ジャーミィ)のイマームとなり、戦争中の1944年に客死(以上、杉田英明『日本人の中東発見──逆遠近法のなかの比較文化史』東京大学出版会、1995年、225~232ページを参照)。井筒や前嶋が会ったのはこの晩年の頃である。イブラヒムの、敵の敵は味方というロジックで世界中を飛び回る行動力を見ると、何となくインドのラシュ・ビハリ・ボースやスバス・チャンドラ・ボースなんかも想起させる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月23日 (水)

小松久男『革命の中央アジア──あるジャディードの肖像』

小松久男『革命の中央アジア──あるジャディードの肖像』(東京大学出版会、1996年)

 十九世紀末頃から、ロシアの支配下、旧来的なイスラム解釈による教育では発展の見込みがないと危機意識を抱いたトルコ系の人々の間で教育改革運動が始まった。具体的には、近代文明を受容できる“共通トルコ語”の創出を目指す形を取った。彼らを改革派=“ジャディード”という。とりわけ有名なのはクリミア・タタール人のガスプリンスキーである。

 こうしたジャディードの改革運動は中央アジアにも波及、ブハラでも新方式の学校が開かれた。ブハラの知識人たちは、オスマン帝国での青年トルコ革命を意識して、自分たちを“青年ブハラ人”と呼んだ。彼らの前には二つの勢力が立ちはだかった。一つは、保守的なウラマー。もう一つが、彼らの動きに汎イスラム主義や汎トルコ主義の危険を察知したロシア当局であった。こうした情勢の中、イスタンブール留学を契機に青年ブハラ人左派の指導者として頭角を現していくのが本書の主人公、フィトラトである。

 彼の思想をみていくと、イギリスをはじめとする欧米帝国主義と対抗するため、東方勢力が一つにならねばならない、そこで日本に着目する点で、イスタンブール留学時に出会ったアブデュルレシト・イブラヒム(彼はその後、日本で客死する)の大構想が想起される。また、帝国主義と戦うにしても自分たちだけでは力不足である、反帝国主義という点で汎イスラム主義はソビエト・ロシアと手を組めるという。反英主義と同時にソ連への信頼感を持つあたり、同時代、日本の大川周明が『復興亜細亜の諸問題』で示したのと同じ主張だという本書の指摘が興味深い。

 彼らは言語改革を目指してチャガタイ協会を設立。かつてティムールの時代、チャガタイ=トルコ語がこの地域で文語として用いられていたことに由来する。科学や教育に適した正書法や文字改革を行なったほか、トルコ語文語にあったアラビア語やペルシア語の語彙を締め出してトルコ語の純化を図った点で言語ナショナリズムの側面もうかがえる。文語として用いられていたペルシア語とかつてのブハラの旧体制とを同一視する発想もあったらしい。いずれにせよ、“チャガタイ”というシンボルの活用によってブハラのトルコ人=“ウズベク”国民創出を目指した活動と見ることができる。

 青年ブハラ人は赤軍と手を組み、反ソビエトの抵抗運動(バスマチ)を押さえ込もうとする。ブハラも“革命”によりソビエト連邦に組み込まれていくが、「これは革命なのか、それとも征服されたのか」という戸惑いがあった。また、民族的境界画定により五共和国が成立したが、この際、タジク共和国の領土が不当に狭められた。もともとトルコ系のウズベクもペルシア系のタジクも、それぞれ話し言葉は違うにせよ、歴史的に文化や生活習慣を共有しており、互いに排他的な意識はなかった。しかし、領土紛争をきっかけとした反ウズベク意識をもとにタジク人意識が高められたという。

 汎イスラム主義、汎トルコ主義、そしてウズベク国民意識──フィトラトはどこに軸足を置いていたのか、本書を通読しただけではなかなか把握しづらいのだが、それだけ近代化へ向けて人々を動員するシンボル・イデオロギーの綱渡りのような難しさがあったと言えるのだろうか。

 1938年、スターリンによる大粛清の嵐が吹き荒れる中、フィトラトもまた“反革命罪”に問われて処刑された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月22日 (火)

大庭柯公『露国及び露人研究』

 通りすがりの古本屋に立ち寄り、棚を見たら大庭柯公『露国及び露人研究』(中公文庫、1984年)と古島一雄『一老政治家の回想』(中公文庫、1975年)の二冊が何となく目に入り、何となく買ってしまった。両方とも、品切れもしくは絶版。

 大庭柯公──本名は景秋、柯公は号。続けて読むと、おおばかこう→大馬鹿公。いや、ウソじゃないって。ちなみにロシア通つながりで言うと、柯公も付き合いのあった二葉亭四迷、本名・長谷川辰之助も、文学をやりたいと言って父親から怒鳴られ、「お前みたいなヤクザな奴は、くたばってしまえ!」→ふたばってしめえ→二葉亭四迷。これは結構有名な話です。明治生まれの知識人はなかなか洒落の分かる人(?)が多くて好きですね。

 二葉亭もそうだけど、柯公にしても、国権主義的な気分からスパイになりたいという政治性と同時に、未知の世界へ飛び出したいという冒険心との両方からロシアへの関心が芽生えたようだ。ただし、二人とも軍人にはなれず、文筆へ。柯公の場合には徐々にリベラルな方へ傾いていき、吉野作造や福田徳三らの黎明会に加入したり、1920年、日本社会主義同盟設立の発起人名簿にも名前が見える。柯公は国権主義的な前半生と社会主義的な後半生とで知友のタイプが全く違うから、中途半端な自分が柯公全集の序文を引き受けた、と言うのは長谷川如是閑翁。

 さて、『露国及び露人研究』。ジャーナリストとしてあちこちの媒体に書いた文章を集めている。一つ一つはエッセー風に軽妙な筆致だが、政治・経済・国際情勢から歴史・地誌・文化・生活習慣まであらゆる角度からロシアを眺めつくしており、いわば地域研究のハシリという趣がある。反ユダヤ主義がちょっと気になるものの、ロシアへの愛着はよく感じられるし、同時に、ポーランドの独立運動にも同情を示すなど割合とバランスはとれている。シベリア・中央アジア・コーカサスの旅行記としても興味深い。

 1921年、柯公は読売新聞社を退職してロシアへ渡る。ちょうど日本のシベリア出兵でキナ臭い空気が漂っていた頃だ。本書の最後に収録されている極東共和国についてのチタ発レポートを最後に彼は消息を絶った。柯公自身の思惑はともかく、ソ連側は日本人に対して猜疑心を働かせており、彼は逮捕されてしまったのだ。その後の行方は不明だが、シベリアで処刑されたともいわれている。本書に収録されている「杜翁と露国革命」ではトルストイの理想はレーニンによって実行されていると書いていただけに、柯公がロシアに求めていた夢と身を以て直面した現実とのギャップが痛々しい。その後も、岡田嘉子と一緒にソ連へ行った杉本良吉とか、あるいは医学者の国崎定洞(加藤哲郎『モスクワで粛清された日本人』青木書店、1994年)とか、社会主義に何らかの理想を求めてソ連へ行った日本人が消息を絶ってしまう事件が続くことになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月21日 (月)

Blaine Kaltman, Under the Heel of the Dragon: Islam, Racism, Crime, and the Uighur in China

Blaine Kaltman, Under the Heel of the Dragon: Islam, Racism, Crime, and the Uighur in China, Ohio University Press, 2007

 中国においてマイノリティーたるウイグル人は漢人社会への同化圧力についてどのように感じているのだろうか? 本書のタイトルには、龍=漢人によってウイグル人が踏みつけにされているという意味合いがある。ウイグル人・漢人、それぞれ100名前後ずつ、計200名強への面接調査をもとに両者の相互イメージの懸隔を明らかにしようとした社会学的なモノグラフである。調査地点はウルムチ(ウイグル人34名、漢人41名)・北京(ウイグル人25名、漢人33名)・上海(ウイグル人26名、漢人26名)・深圳(ウイグル人7名、漢人25名)。都市部へ流入したウイグル人の就職環境や犯罪等の摩擦についての考察が中心となっている。

 巻末にある各質問項目に対する回答の集計表を眺めると、北京在住のウイグル人は他地域のウイグル人とは違って、漢人の回答に近い傾向が明瞭に表われているのが目を引く。北京に住むエリート、さらに二代目・三代目となったウイグル人は言語面でも生活習慣面でも漢人とうまく付き合っているので中国社会に対する不満が少ない。

 逆に言えば、言語面での不利が他地域のウイグル人に様々な障壁をもたらしていることが浮き彫りになってくる。標準中国語が流暢でなければ敢えてウイグル人を雇用しようという漢人は少ない。新疆ウイグル自治区以外に住むウイグル人の職業は食料品関係にほとんど集中している。もの珍しさのせいかウイグル料理を好んで食べる漢人は多いので、ウイグル料理関係の食材店や食堂は何とか職業として成り立つらしい。ちなみに、ウイグル人は中華料理を食べたがらない。戒律上の禁忌に触れるものがあるからだろう。北京在住である程度まで漢人社会に同化したウイグル人でも「中華料理は好きですか?」という質問にYesと答えた人の割合は低い。

 漢人はウイグル人に対して、獰猛・非理性的・不潔・粗野・開発に無関心といったイメージを持つ傾向がある。ウイグル人は標準中国語を学ぶ努力をしない、怠惰である、それはイスラームのせいだと決め付ける回答も漢人には多い。そうした漢人からの人種偏見的な眼差しにウイグル人も敏感で、自分たちの民族性やイスラームが見下されているとひそかに不満をもらしている。敢えて漢人との接触を求めようとはせず、分離して暮らす傾向が強まってしまう。

 ウイグル人の犯す窃盗、麻薬など非合法品販売といった犯罪について、「漢人にだって貧しい人はいる、ウイグル人の犯罪が目立つのは、貧しいからではなく、彼らの社会がおかしいからだ」という漢人社会学者のコメントが紹介されていた。これは極端だとしても犯罪と結びつけるイメージでウイグル人を見ている漢人は多いようだ。ウイグル人による犯罪は主に漢人相手のケースが多いという。それは、漢人の方が金持ちだからという理由の他に、漢人から抑圧されていることへの怒りの表現だと語るウイグル人のコメントもあった。

 本書は、社会的流動性=機会均等による地位上昇のサイクルにうまくのることができず希望の持てない状況は犯罪に走りやすいという社会学理論(文化的目標と制度的手段との乖離→アノミー→犯罪・非行等の逸脱行動、というロバート・マートン「社会構造とアノミー」の理論を援用している)に理由の一つを求めつつ、さらに加えて、中国社会全体に行き渡ったウイグル人への人種偏見に対する反発という側面があることを指摘する。

 現実問題として考えるとウイグル人の社会的地位上昇を図るには、標準中国語学習の機会均等を保障することが必要条件となる。しかしながら、中国政府としては少数民族にもきちんと配慮しているという姿勢を対外的にアピールするため(ウイグル人のためではなく)、ウイグル語教育を維持せねばならない。そして何よりも、中国語に重きを置いた教育システムはウイグル人としての民族的アイデンティティーを消し去ってしまうリスクと隣りあわせである。言語面での不利をそのままにして漢人社会への同化圧力が強まっている状況により、ウイグル人は社会的底辺に追いやられている、すなわちunder the heel of the dragon=“龍によって踏みにじられる”結果をもたらしていることが本書から窺える。

 著者は標準中国語に堪能ではあるがウイグル語は苦手らしいこと、インタビュイーの選定にどの程度の信頼性があるのか私には検証する術がないことなど気にかかるところはあるにしても、中国社会内部からの声を汲み上げている点では貴重であろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月20日 (日)

内藤正典『ヨーロッパとイスラーム──共生は可能か』

内藤正典『ヨーロッパとイスラーム──共生は可能か』(岩波新書、2004年)

 ドイツ・オランダ・フランスそれぞれの社会におけるムスリム移民の状況の考察を通して本書はイスラーム的規範と西洋文明的規範との考え方のズレを浮き彫りにする。

 ドイツの社会習慣を理解してビジネスを成功させてもドイツ人にはなれないと述懐するトルコ人実業家が紹介されている。移民はいつまでたってもガストアルバイター扱いで、同じ社会の一員とみなす発想は希薄だという。疎外感からムスリムとしての覚醒をする動きが現れる。衛星放送のパラボラアンテナが林立しているのを見て、母国トルコとの距離は近づいたものの、トルコ系移民とドイツ社会との心理的・文化的距離は逆に遠くなってしまったという指摘が印象に残った。去年、ベネディクト・アンダーソンの講演を聴きに行った折、彼が示した“ポータブル・ナショナリズム”というキーワードを思い出した(→こちらの記事を参照のこと)。

 ドイツでは政治への参加資格として国家への帰属を求めるのに対し、もともと商業国家として成立してきたオランダの場合、納税を重視する。スペイン・ハプスブルク家によるカトリック押し付け政策に対して独立戦争を戦ったという歴史的経緯があるためなのか、文化的多元主義をとり、宗教面でも列柱的共存が図られている。それは他者の権利を認めるが、同時に相手への無関心をも意味する。男女関係の乱れ、伝統的家族像の崩壊、麻薬に寛容な社会風潮などへの違和感から、保守的なムスリムとキリスト教政党が道徳感情のレベルで近いというのが興味深い。

 フランスでの政治参加の要件はフランス語である。また、周知の通り、フランスは国家と宗教とを厳格に分離する世俗主義(ライシテ、laïcité)を徹底させている(その背景については、工藤庸子『宗教vs.国家──フランス〈政教分離〉と市民の誕生』講談社現代新書、2007年、を参照のこと)。それは公的領域と私的領域とを分け、宗教はあくまでも個人の心の問題として認められ、パブリックな場面では一切表に出してはいけないとされる。しかし、イスラームには聖俗分離という発想そのものがない。つまり、内面において信仰心を持つだけでなく、教えに定められた行為を日々の生活の中で実践し、その積み重ねがあってはじめてムスリムといえる。この点で摩擦が起こってしまう。社会的同化を求める右派がイスラームに不寛容なのは理解しやすいにしても、リベラリズムに立脚する左派もまた、イスラームは人権抑圧的・反民主的・女性蔑視的として批判的なのは難しい問題だ。フランスの世俗主義・啓蒙主義の“普遍性”に疑問を向けることすらしない点を本書は批判する。また、これはキリスト教とイスラームとの対立というよりも、キリスト教と決別した世俗主義とイスラームとの衝突として把握する視点に関心を持った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

桜井啓子『日本のムスリム社会』

桜井啓子『日本のムスリム社会』(ちくま新書、2003年)

 日本在留のムスリム人口については特に統計があるわけではなく正確な数字は分からないが、イスラーム諸国会議機構加盟国出身者数を参考に考えると4万人強くらいになるという。インドネシア出身者のパーセンテージがダントツで高い(日本のODA最大供与国として様々な関係があるから)。

 パキスタンやバングラデシュ政府は失業対策・外貨獲得の出稼ぎを積極的に奨励している。渡航費用がかなりかかることを考えると、彼らは貧困層ではなく、都市出身者・中卒以上の学歴を有している者が多い。イラン人は、イラン・イラク戦争終結後に増加しており、戦争で荒廃した祖国に職が乏しいという理由の他に、厳格な宗教支配を抜け出し自由を求めてやって来た人々が多く、その点でムスリムとしてよりもイラン人意識が強いという。いずれにしても、相対的に学歴の高い人々が多いにもかかわらず、日本では3K的な仕事しかできないため、複雑な思いを抱えているようだ。

 ムスリムにはいわゆる五行(信仰告白、礼拝、断食、巡礼、喜捨)をはじめ食習慣や女性ならヴェールの着用といった様々な戒律があるが、非イスラーム的環境の中でそうした戒律を守り続けるのはなかなか難しい。例えば、勤務時間中に仕事を中断して礼拝するのは気がひけるし、断食による集中力低下について職場の理解が得られない。食生活面では、お店で買ったり外食するものがハラール(戒律上食べてもいいもの)なのかハラーム(禁忌)なのかの判断が難しい。豚肉がダメというだけでなく他の肉でも調理方法が決まっているし、例えば焼き菓子を買ったとして獣脂やアルコール成分が含まれている可能性がある。厳格に守るのは難しく、個人ごとの判断である程度妥協しながら食生活を送っているとのこと。やはり自炊が多くなるらしい。礼拝のため、資金を出し合って手づくりしたモスクの写真が色々と紹介されているが、その努力にはやはり感心する。

 定住者が死んだとして、お墓が確保できない。火葬は地獄の業火を連想させるため絶対にダメで(身元不明のイラン人を自治体が火葬してしまって、イラン政府から厳重抗議を受けたことがあるらしい)、土葬でなければならないからだ。

 日本人とムスリムとの結婚にも色々な問題がある。イスラームでは男性が重婚することが認められており、日本人女性の方でその点を理解していないとトラブルになる可能性がある。また女性の方でイスラームに改宗する必要がある。イスラームへの改宗は、二人のムスリム男性を証人として信仰告白、つまり「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはその使徒なり」という定型句を唱えればその時点で成立する。ただし、それはあくまでも出発点に過ぎず、日々の戒律を守り続けてはじめてムスリムとなるわけで、結婚後にようやく改宗の重大さに気付くケースもあるようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年7月13日 - 2008年7月19日 | トップページ | 2008年7月27日 - 2008年8月2日 »