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2008年6月29日 - 2008年7月5日

2008年7月 5日 (土)

坂本勉『トルコ民族の世界史』

坂本勉『トルコ民族の世界史』(慶應義塾大学出版会、2006年)

 読み始めたら、なぜかデジャヴュ感にとらわれた。何のことはない、十年前に出た『トルコ民族主義』(講談社現代新書、1996年)の改訂版。改訂された割には文献情報のアップデイトが不十分なのが気にかかるところだが…。学生のとき、東洋史概説という科目で坂本先生のトルコ民族史の講義は聴いていたので、二重の意味でデジャヴュ。まあ、復習、復習。遊牧民族としてモンゴル高原から西へと進み、イスラームやペルシア文化を受容したり行く先々をトルコ化したりという大きなダイナミズムを現代まで概観、バランスのとれた入門書として読みやすい。

 読み返しながら改めて関心を持ったのは、言語と民族的帰属意識の関わり方について。トルコ系言語の広がりとそれぞれの地域の政治事情との絡み合いには“ナショナリズム”の問題を考える上で示唆される多くの問題が伏在している。

 言語的共通性に基づく民族意識というのは近代の産物である(フランス革命後、一国家・一民族・一言語という同質的な国民国家を創ろうという動きとしてのナショナリズムが始まったことについては田中克彦『ことばと国家』(岩波新書、1981年)に詳しい)。近代以前においては、ムスリムとしての宗教的帰属意識や地縁的・文化的親近性の方が強く、言語的相違にはそれほど重きは置かれていなかった。アゼルバイジャンのトルコ系の人々は、他のトルコ系民族よりも、同じシーア派を奉ずるペルシア文化の方に親近感があった。中央アジアのペルシア系タジク人は周囲のトルコ系の人々と言語は異なっても文化的な一体感を持っていた。

 自分たちの母語を自由に話せないという抑圧感を抱いたとき、言語改革と政治改革の要求が結びつく。トルコ系の人々が自分たちの言語を見直し、それを基に民族意識を形成しようとし始めたのは19世紀後半になってからである。ロシアのクリミア・タタール出身でジャディードと呼ばれる教育改革運動をおこしたガスプラル(ガスプリンスキー)は共通トルコ語の普及を目指した。それは、帝政ロシア支配下にあってトルコ系の人々の一体感を醸成し、抵抗の原理としていくことが含意されていた。

 中央アジアのトルキスタン・ナショナリズムの動向はソビエト体制になってからも危険視され、結局、1924年、五共和国(トルコ系のカザフ、キルギス、ウズベク、トルクメン、ペルシア系のタジク)に分割されることになった。同じトルコ系の言語であっても共和国ごとに別々の正書法が定められ、本来は方言的な差異に過ぎなかったものが公定言語としての違いを際立たせられることになり、それが別々の国家的な帰属意識につながった経緯については田中克彦『言語からみた民族と国家』(岩波現代文庫、2001年)が論じていたように記憶している。国家ごとに帰属意識が細分化されてしまうと、同じトルコ系であっても国境紛争が頻発する。

 他方、トルコ人自身が支配者であったオスマン帝国の場合はどうか。近代的なナショナリズムの動向はバルカン半島にも波及して独立運動が活発化、瓦解の危機に直面した帝国は宗教的な平等を保障すると言ってキリスト教徒をつなぎとめようとした(オスマン主義)が、失敗。次にアラブ人の独立運動が活発化すると同じムスリムとしての一体感を強調した(イスラーム主義)が、第一次世界大戦の敗北により、これも失敗。パン=トルコ主義がくすぶるものの、アナトリア半島に狭められた領土における一国民族主義(アナトリア=ナショナリズム)に落ち着く。

 アナトリア=ナショナリズムは別の問題を引き起こしている。クルド人問題である。トルコ政府はEU加盟をにらんで欧米からの人権問題に関する眼差しを気にかけているものの、クルド人は“山岳トルコ人”と呼ばれてその言語的・文化的独自性すら公的に認知されてこなかった。ここにも、一国家・一民族・一言語という近代的ナショナリズムのゆがんだ側面が見て取れる。

 言語と政治的帰属意識の結びつき方は多様である。その時々の政治的関係性の中で、母語→国家を求める、というベクトルがあると同時に、国家意識→母語を規定する、という方向へ進むベクトルも機能し得る。また、ナショナリズムは常に両義的である。抑圧されている人々にとって言語的一体感→同胞意識を鼓舞することは抵抗の原理として大きな意味を持つ。他方、いったん国家という枠組みが成立してその内部で言語的な均質性が追求され始めると、今度はマイノリティーが抑圧される。一般論のあり得ない難しさに頭を抱えてしまう。

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あっ、スティーヴ・ライヒだ…。

 金曜日の夜遅く、少々きこしめして帰宅。着替えながらテレビをつけたら、聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。慌ててテレビに近寄ったら、ちょうど演奏が終わり、大きな拍手。帽子をかぶったおっさんがクローズアップ。あっ、スティーヴ・ライヒだ…。今年の5月に来日し、彼自身も参加して「十八人の音楽家のための音楽」を演奏したらしい。私の大好きな曲だ。知っていたら万難を排してでも聴きに行ったのになあ。

 番組が切り替わり、今度はストリング・クヮルテット・アルコの演奏でライヒ作曲「ディファレント・トレインズ」。これも好きな曲だ。以前、タワーレコードで視聴、出だしを聴いた途端、その格好良さにはまってしまった。確か、“教授”(由来は知りませんが、坂本龍一のことです)ご推薦!というポップがあったように記憶している。小刻みに激しい弦楽の反復リズムの上にブオーッとを耳をつんざくような汽笛の音。ところどころでナレーションが入る。後の方になると、弦楽のリズムが遅くなったり速くなったりする中、空襲警報を思わせる不穏なサイレンの音が重なる。

 CDで聴いている分には単に格好良いと思うだけだった。テレビ放映では演奏者の周囲に映像ディスプレイを置くなど演出に工夫を凝らしており、曲の持つ意味合いが視覚的に目に入ってくる。曲に合わせてディスプレイに字幕が流れる。「ドイツ人がやってきました。」「家畜列車につめこまれました。」「ポーランド語の地名でした。」汽車の行き着いた先には「Arbeit macht frei(労働は自由にする)」のゲート…。

 ある時期からライヒはユダヤ人という自らのルーツを探り始め、例えばヘブライ語をテクストとした「テヒリーム」という曲も作っている。作風はミニマリズムだけど、耳慣れぬ言葉と独特の歌い方に不思議な感じがした。

 ユダヤ人問題と言えば、シェーンベルク「ワルシャワの生き残り」という曲も印象に強い。ワルシャワのゲットー蜂起を題材としている。シュプレッヒシュティンメという歌とも語りともつかぬ独特のナレーション。その語りの緊張感が徐々に高まり、最後、悶えるようなうめき声を受け、「聞け、イスラエル人よ」と男声合唱がしめくくる。基本的に英語で、ドイツ人士官の発言部分だけ粗野なドイツ語が使われている。シェーンベルクは当時アメリカに亡命していたものの、ユダヤ系ドイツ人として馴染んだ母語はドイツ語である。しかし、ホロコーストを受けて、ドイツ語は一切使わなくなった。この曲の構成にも、自分の母語なのに、それを憎まねばならないという複雑な思いが反映されている。

 グレツキ「交響曲第三番 悲歌のシンフォニー」はクラシックとしては異例のベストセラーとなったという。第2楽章のテクストはドイツの強制収容所に入れられた少女が壁に書き残した言葉。全3楽章、オーケストラのゆったりと、しかし切ないメロディーに合わせてソプラノ独唱。胸にジンワリとしみこんでくるように美しい。気分が高ぶっている時には本当に涙腺がゆるみそうになる。

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2008年7月 2日 (水)

ジョシュア・A・フォーゲル『内藤湖南 ポリティックスとシノロジー』

ジョシュア・A・フォーゲル(井上裕正訳)『内藤湖南 ポリティックスとシノロジー』(平凡社、1989年)

 明治以来、日本の近代化における葛藤は欧化と土着という対立軸に大きな焦点を見ることができる。国粋主義、なんていうと現代の我々は強面の危なっかしい右翼を思い浮かべてしまうが、三宅雪嶺、陸羯南、志賀重昂たちの拠った政教社ナショナリズムはその容貌をだいぶ異にする。近代化の必要を認めつつも欧化によって日本の独自性が失われてしまうことへの危機感で彼らは共通するが、だからと言ってそれは排外主義を意味しない。

 人間にしても国柄にしても、それぞれに個性がある。個性の違う者同士が互いに交わり、切磋琢磨することではじめて世の中は進歩する。欧化という形で日本の個性を平板化してしまうのではなく、むしろ日本独自の持ち味を活かして広く世界に貢献していこう。そうした意味で日本の独自性を普遍性の中で位置づけようとする視野の広さが彼らにはあった。同時代人、内村鑑三の墓碑銘となった「私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、かくしてすべては神のために」という言葉は有名だが、ここにも政教社と同様、明治期の健全なナショナリズムの息吹がうかがえる。

 若き日、ジャーナリストとして出発した内藤湖南は三宅雪嶺『真善美日本人』執筆に関わっている。ここで言う“真”とは、「東洋の新事理を探求」、具体的にはアジア大陸へ日本が学術探検隊を派遣すること(当時はヘディン、スタイン、ルコック、ぺリオ、コズロフなどヨーロッパ各国の探検隊が活躍していた)。“善”とは西欧列強の東洋に対する圧迫に毅然として立ち向かうこと。“美”とは日本固有の美意識を世界に向けて発信すること。現代の視点からすれば、その程度のことか、と肩透かしをくらう感じがしないでもないが、世界の中での日本の役割という問題意識が常に彼らにはあったことに留意しておく必要がある。

 本書は内藤湖南をパブリシストと捉える。彼はジャーナリストとしても学者としても、政争から身を引いた立場から政治批判・提言をしていくという姿勢で一貫していた。そして、漢学者の家に生まれた湖南にとって、終生のテーマとなったのが中国であった。

 湖南は京都帝国大学東洋史講座の創始者の一人として後世の中国史研究に大きな影響を与えたが、その一つが時代区分としての「近世」を宋代に求めたことである。中国の「近世」において、中央レベルでは皇帝独裁政治が目につく。他方、地方レベルにおいては「郷団」という形で自治的な共同体が形成されていたとして、これを湖南は「平民主義」の台頭として把握した。皇帝独裁と平民主義という二面性が「近世」中国の特徴だが、辛亥革命によって皇帝独裁は消えた。残る「平民主義」に中国のこれからの共和政治のカギがあると湖南は考えた。

 中国独自の歴史的展開の中で中国自身にとっての改革構想を生み出さねばならないと考えていた点で、前述の意味での国粋主義的な考え方が見て取れるし、また、「郷団」の「平民主義」に着目して将来の共和政治に期待を寄せた点では、藩閥政治批判を展開した政教社と同じ気分もうかがえるかもしれない。同時に、辛亥革命以来の中国の混乱状況に彼は苛立ちを隠せなかった。共和主義的な改革の模範を示せるのは日本であり、そこにこそ日本の果たすべき役割があると湖南は主張するようになる。

 日本と中国は文化を共有した切っても切れぬ密接な関係にあると確信していた湖南にとって、五・四運動以降の排日運動は全く理解しがたいものだった。日本による積極的な内政干渉を主張して中国のナショナリズムの動向に無理解であった点で、彼の態度は中国側からすれば“帝国主義”的と批判されても仕方のない側面があったようにも思われる。ただ同時に、満州事変以降日本国内で高まる軍部への無批判な礼賛からは一線を画す立場を取っていた。本書は湖南の論説を膨大かつ詳細に読み解いているが、彼の議論の振幅からは様々な戸惑いがあったであろうこともうかがえる。

 湖南の学問も政治的論説も、中国自身の改革への期待が大きな動機として作用していた。それは日本の国益追求とは次元が全く違うという意味で、善意ではある。しかし、彼の意図がそのまま通用するとは限らない複雑な政治状況の中にあって、ナイーブな善意は違う意味を持つことになってしまう。良い悪いと単純に割り切ってしまわず、彼の問題意識の内在的な流れを汲み取ろうと努めている点で、本書を興味深く読んだ。

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2008年6月30日 (月)

「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」

「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」

 第三作「最後の聖戦」を観たのは高校一年生の時だった。あれから18年も経つのか。第四作を製作中という噂を聞いて以来、ジリジリと待ちわびていた。

 大学生のとき、ペルシア語の授業をとっていたことがある(もう完全に忘れてしまったが…)。経済系の大学院に留学中のイラン人の先生だった。「あなたの専門は何ですか?」と聞かれて、「アーケオロジー(考古学)」と答えたら、「オー、インディ・ジョーンズ!」と、なぜかアメリカ人的に大げさなジェスチャー。若ハゲに貫禄のあるマジメそうな先生だったのでいまだに印象に残っている。そうか、考古学者といえばインディ・ジョーンズをイメージするのが国際標準なんですね(笑)。

 さて、期待に胸をふくらませて観に行った「クリスタル・スカルの王国」。舞台設定はどうやら1950年代後半らしい。いきなりKGBと格闘を繰り広げたり、核実験に巻き込まれたりと毎度ながらにトンデモなノリ。コミカルなおふざけを絡めつつテンポのいい展開に、ジョン・ウィリアムズの音楽。良い意味で“クラシカル”なハリウッド映画の雰囲気は好きだな。大げさなビジュアル・エフェクトに見慣れた眼には、何となくなつかしさも感じられた。

 インディが諜報員として活動していることが今作では大っぴらに語られている。ナチスやソ連と戦うかどうかはともかく、19世紀の帝国主義の時代以来、考古学者や民族学者というのは最前線に冒険的に飛び込んでいって、それは往々にして政府や軍部のバックアップを受けていたから、そうした事情を「インディ・ジョーンズ」シリーズは踏まえているんだなと改めて思った。

【データ】
監督:スティーヴン・スピルバーグ
製作:ジョージ・ルーカス
出演:ハリソン・フォード、ケイト・ブランシェット、他
2008年/アメリカ/122分
(2008年6月28日、新宿プラザにて)

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