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2008年6月15日 - 2008年6月21日

2008年6月20日 (金)

文京洙『済州島四・三事件──「島のくに」の死と再生の物語』

文京洙『済州島四・三事件──「島のくに」の死と再生の物語』(平凡社、2008年)

 先日、NHK教育テレビで四・三事件についての番組を見た。シネカノンの李鳳宇さんが済州島に残る四・三事件の傷跡を訪ねるという内容。済州国際空港、虐殺された島民の遺骸の発掘現場に、『火山島』をライフワークとしてきた金石範さんがたたずむ姿が印象的だった。

 日本の敗戦後、朝鮮半島は米ソによって分割占領され、東西対立の激化を受けて、1948年には南部単独で選挙が行なわれることになった。統一を主張する民族派の金九から左翼の南朝鮮労働党まで様々な異論が噴き出す。済州島でも南労党系の武装組織が浸透し、反対運動が盛り上がっていた。もともと済州島が流刑地であったことなどから朝鮮半島本土から差別されてきたという背景もある。米軍のバックアップを受けた治安当局や、とりわけ北から逃げてきた反共団体「西北青年団」によるアカ狩りは苛烈を極め、追い詰められた組織は1948年4月3日に武装蜂起。治安当局や右翼団体は、“アカ”の容疑者ばかりでなく、全く関係のない老人から子供まで島民を手当たり次第に処刑し、当時28万人いた島民のうち約3万人が殺害されたという。

 むかし、イム・グォンテク監督「太白山脈」という映画を観たことがある。昼は政府軍がやって来てアカ狩りを行ない、夜になると共産ゲリラがやって来て政府への内通者をリンチする、そうした政治に翻弄される山村の悲劇を描いていた。こうした政治対立が、もともと済州島が朝鮮半島本土から差別されてきたという立場な弱さがあって、極端にまで増幅された事件と考えられるのだろうか。

 四・三事件は韓国の公定史観において共産主義者による反乱事件とみなされた。戦後、反共イデオロギーを国是としてきた韓国社会において、事件の遺族は、討伐隊によって親族が殺されたというまさにその事実によって日陰者扱いを受けた。二重の哀しみを抱えねばならなかった。引け目の意識が反転して政府に対し過剰忠誠を示し、朝鮮戦争で戦死した済州島出身者が多いというのも何とも言えず複雑だ。在日韓国人社会には、事件によって日本に逃げてきて、その記憶のあまりのつらさや社会的差別のために済州島に戻れなかった人々も多いという。

 四・三事件を語ることはしばらくタブーであった。事件の掘り起こし・検証が公にも進められるようになったのはようやく近年になってのことである。四・三事件の位置づけ通して、韓国国内における記憶と政治の交錯が見えてくる。

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2008年6月19日 (木)

林泉忠『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス──沖縄・台湾・香港』

林泉忠『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス──沖縄・台湾・香港』(明石書店、2005年)

 民族でも共同体でも、ある集団に自分は帰属しているという自覚──政治学的な意味合いでのアイデンティティ──、これを明確に定義づけるのは極めて難しい。自発的に参加したのか? 同化を強制されたのか? たまたまそこに生れ落ちた運命的なものなのか? その時々に自分たちの直面している死活問題や、自分たちの前に立ちはだかる“敵”は誰なのかという認識に応じても、“自分たち”と“彼ら”との線引きは違ってくる。

 そうした流動的なアイデンティティのあり方が端的にうかがえる舞台として、本書は「辺境東アジア」という地域概念を設定する。具体的には、沖縄、台湾、香港という三つの事例が取り上げられる(できるならばマカオや済州島にも論及したかったようだ)。共通するキーワードは「帰属変更」である。

 フランス革命以来、近代的な国民国家は均質性への強迫観念を特徴とする。日本も中国も(台湾の中華民国も含む)、正統的な「中心」へと彼ら「辺境」を同化しようと圧力を強めてきた。他方、「辺境」側はもう一つの近代的イデオロギーたるリベラリズム(これは多元性を求める)をたてにとり、自分たちの独自性を強調して「中心」へと異議を申し立てる。「帰属変更」という政治的イベントによって様々な軋轢が顕在化したが、それを契機に繰り広げられるアイデンティティ・ポリティクスの諸相について大きく見取り図を描き出そうとしている点で本書は意欲的だ。

 血縁・言語・文化面での親近性は“同胞”としての情緒的アイデンティティ形成を強くしそうにも思えるが、実際には必ずしもそうではない。もちろん、こうした親近性も一つの要因ではある。しかし、ではどこに“同胞”とみなす根拠を求めるのか、そうした判断自体が事情に応じて変わってくるし、その意味で選択的に構築されたものだと言える(本書では、ホブズボームたちによる「創られた伝統」の議論を援用している)。日本による琉球処分以来の沖縄同化政策(伊波普猷の日琉同祖論も大きな影響を与えた)、その後の台湾における植民地支配、また国民党による台湾での「中国人」意識創出(これは日本による皇民化運動と同様の形を取った)など、人為的・政策的な手段によってもアイデンティティは変容し得る。人種・言語・文化などの素材もありつつ、同時にその時代における政治情勢、さらには「どっちにつくのが得策か」という功利的判断も含めて、様々な要因があざなえる縄のごとく絡みあっており、一面的な断定はできない。そうしたアイデンティティ形成プロセスの可視化しがたい複雑さを本書は具体例を通してつきつけてくれる。

 以前、台北の二二八紀念館で日本語世代のおじいさんから話をうかがう機会があった(→詳細はこちらの記事を参照のこと)。1947年、二二八事件における国民党軍による台湾人虐殺について語り、中国人への憎しみと日本への親しみとを語ってくれた。ただし、日本人としてこれを素朴に喜んでしまうのは浅慮だと私は思っている。

 当初、台湾の人々は中国への「復帰」を歓迎していた。ところが国民党は期待を裏切って弾圧を始めた。おじいさんたちの「中国人は残虐だ」という語り口には、一般論としてそうだということではなく、事件をきっかけに「中国人」を他者とみなし、事件の記憶の共有を通して「台湾人」意識が強められた、そうした形でのアイデンティティ・ポリティクスの一面がうかがえる。よく台湾人は親日的だと言われる。しかし、おじいさんの話を注意深く聞いていると、植民地支配を必ずしも肯定してはいなかった。やはり差別はあったのだから、決して気持ちの良いことではなかったと語っていた。ただ、国民党の蛮行に比べれば、日本の方がまだマシだった。あくまでも比較の問題として、国民党=中国人への憎しみが反転して親日感情が強まったという感情面での力学が働いたと言える。

 「親日」にせよ「反日」にせよ、こうした感情面におけるロジックにはアイデンティティ・ポリティクスというべき背景が見て取れる。断定的な議論で矮小化してしまうのではなく、このように輻輳する機微を一つ一つ丁寧に解きほぐしていかなければ、東アジア全体における“感情”の政治を冷静に受け止めることはできないだろう。

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2008年6月16日 (月)

東京都写真美術館「世界報道写真展~2008~」

 しばらく人知れず精神的に疲れていたので書き込みをさぼっていましたが、2週間ぶりに再開します。

東京都写真美術館「世界報道写真展~2008~」

 オランダに本部が置かれている世界報道写真財団に世界中から寄せられた写真の展示。さり気ない写真、凄惨な写真。たった一枚の写真でも、その背景に注意をこらすと、複雑な問題が絡み合っていることが芋づる式に見えてくる。

 暗闇の中、有刺鉄線に女の子用の白いドレスがひっかかっている。意味ありげな構図だ。キャプションを見ると、場所はエジプト・イスラエル国境。パレスチナ紛争がらみかと思ったが、違う。スーダンのダルフール難民が監視の眼をくぐってエジプト、さらにはイスラエルへと逃げ込み、その際にひっかかって残されたものだという。

 あるいは、コンゴ民主共和国(旧ザイール)、マウンテンゴリラを引きずる人々の姿。マウンテンゴリラの生息頭数は著しく少なく、国際条約上、保護の対象となっている。密猟者を捉えた写真かと思ったらそうではなく、殺害されたマウンテンゴリラを発見し、運んでいる最中。下手人は、ルワンダからコンゴの密林に逃げ込んできたフツ族系武装勢力。ルワンダ大虐殺の実行犯として追われている。彼らによる森林伐採などの行動によって生態系は崩されてしまっているという。マウンテンゴリラ殺害の手口には、ルワンダ虐殺と同じものも見られるらしい。民族紛争と環境破壊の問題がこんなところで絡み合っている。

 最近は報道での扱いは小さくなってきているが、アフガンで展開するアメリカの軍事作戦は継続中である。パキスタンのベナジル・ブット元首相暗殺の瞬間をはじめ、ケニヤ、コンゴ民主共和国など選挙がらみの暴動の写真も目立つ。あからさまな暴力ではなくとも、児童虐待を受けたことをカミングアウトする人やレイプされた女性のポートレートは痛々しい。ポーランドのうらぶれたサーカス団、ウクライナのさびれた炭鉱町の風景には、旧共産圏の荒廃した様子がうかがえる。上海のコスプレ少女のなまめかしくも白い肌に眼を奪われる一方で、トルコ東部の山村、ようやく学校に通えるようになった少女たちの眼の輝きが凛々しく映る。

 ビルマ(ミャンマー)の軍事政権によって射殺された長井健司さん追悼のため、彼の手になる映像ドキュメンタリーが上映されていた。エイズにかかったタイの孤児たちの話。長井さんが亡くなった直後の報道番組で見たことがあったが、改めて見てやはり胸がつかれる。
(2008年6月15日、東京都写真美術館にて。8月10日まで開催)

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