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2008年4月27日 - 2008年5月3日

2008年5月 3日 (土)

「モンテーニュ通りのカフェ」

 最近噂の映画「靖国」の公開初日、渋谷のシネ・アミューズに行った。警官やら報道陣やらと物々しい空気が漂う。昼頃に行ったのだが、席は埋まっていて夜の7時の回まで入れないという。混雑は予想していたものの、シネ・アミューズの2スクリーン両方で上映しているにもかかわらず、これほどとは驚いた。右翼の妨害というのも、なかなかの広告効果を生むものだ。このまま帰るのも癪なので、近くのユーロスペースまで足をのばして「モンテーニュ通りのカフェ」を観ることにした。

「モンテーニュ通りのカフェ」

 パリの繁華街、セレブたちの集まる街。有名人も、劇場やホテルの従業員も息抜きに来るバー・デ・テアトルでジェシカ(セシール・ド・フランス)はギャルソンとして働き始めた。

 世界的に有名にはなったが、自分がやりたいのはこんな音楽じゃないと悩むピアニストと、マネージャー役のその妻。テレビでは大人気だが本当は映画に出演したい女優。長年収集してきた美術品をすべてオークションにかけることにした資産家の老人と、彼に反発してきた学者肌の息子フレデリック(クリストファー・トンプソン)。ミュージシャンになりたかったが夢が叶わず、劇場管理人としての仕事の定年を間近に控えた女性──彼ら彼女らが人知れず抱える葛藤を、ジェシカを進行役に描き出していく。

 ジェシカがフレデリックと語るシーン。携帯電話が鳴って彼は「クソッ、どこのどいつだ!」と悪態をつく。対して、ジェシカのセリフ、「人間には二つのタイプがあるわ。一つは、携帯が鳴ると、どこのどいつだ!って罵る人。もう一つは、私みたいに、誰かしら?って胸をときめかすタイプ」。

 ジェシカ役、セシール・ド・フランスの気取らず軽やかに颯爽とした姿が本当に良い感じだ。一つ一つの出会いを心の底から楽しんでいる雰囲気が自然ににじみ出ている。天真爛漫な女の子(といっても、彼女はもう30歳前後のようだが、そう見えない)がトリックスターになって街の人々を描き出していくという群像劇はフランス映画によくある。例えば、タイプはちょっと違うけど、オドレイ・トゥトゥ主演の「アメリ」も好きだったな。

【データ】
原題:Fauteuils d`orchestre
監督:ダニエル・トンプソン
脚本:ダニエル・トンプソン、クリストファー・トンプソン
2005年/フランス/106分
(2008年5月3日、渋谷、ユーロスペースにて)

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2008年5月 2日 (金)

「つぐない」

「つぐない」

 子供心というのは無邪気なだけに、時に残酷な仕打ちを平気でしてしまう。

 1935年、のどかな田園風景の広がる邸宅、ある夏の日から物語は始まる。早熟な文才を示す少女ブライオニー(シアーシャ・ローナン)は、ロビー(ジェームズ・マカヴォイ)への憧れの気持ちを秘めていた。彼は使用人の息子だが、豊かな才能が認められ、奨学金を受けてケンブリッジに学んでいる。やがてブライオニーは、彼と姉のセシリア(キーラ・ナイトレイ)との、子供心に不潔な関係に気づいてしまった。そんな時に事件が起こる。「犯人はロビー、私はこの目で見ました」──ブライオニーの証言により、ロビーは無実の罪で刑務所に送り込まれてしまった。人生の歯車が狂ってしまったロビーとセシリア。ブライオニーが自分のしでかした罪深さに気づくにはもう少し時間が必要だった。そして1939年、第二次世界大戦が始まった。三人の運命も、この時代の厳しい波に翻弄されることになる。

 ロビーとセシリアが戦時の混乱の中で再会できたとするフィクションを組み立てたのは、作家となったブライオニーの単なる自己満足と言ってしまえばそうかもしれない。しかし、物語というのは、いわば納得の形式だ。自分の心に深く突き刺さったトゲを何とか彼ら二人の思い出と結びつけようとした内省には、そこにもまた一つの真実がある。だからこそ、観る者の心を打つ。

 戦時下の物々しいロンドンの街並。瀕死の人々がうめき声をあげる病院。とりわけ、フランスに出征したロビーの視点で捉えられた、ダンケルクの撤退における無残にも荒んだ光景を写し取った長回しの映像が圧巻だ。タイプライターなどの効果音とうまく組み合わされた音楽が重厚に、時に切なく響きわたり、映像の力を引き立てる。品のよい文芸大作を観た充実感を久しぶりに味わった。

【データ】
原題:Atonement
監督:ジョー・ライト
原作:イアン・マキューアン(『贖罪』新潮文庫)
2007年/イギリス/123分
(2008年5月2日レイトショー、新宿、テアトルタイムズスクエアにて)

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2008年5月 1日 (木)

「大いなる陰謀」

「大いなる陰謀」

 邦題をみるとポリティカル・サスペンスのような印象を受けるが、実際にはかなり生真面目なテーマを問いかける映画だ。三つのシーン、六人の登場人物。事態が同時進行する中で彼らそれぞれがかわす会話を通して、対テロ戦争の泥沼に引きずり込まれつつあるアメリカの現在を描き出そうとしている。

 ジャーナリストのジャニーン(メリル・ストリープ)は共和党のアーヴィング上院議員(トム・クルーズ)の独占インタビューに成功。将来の大統領の椅子を狙う野心家である。現状打開を図るためアフガニスタンで新たな作戦を発動させたと語るアーヴィングに対し、ジャニーンは厳しい質問をたたみかける。彼女の舌鋒をかわしながらアーヴィングは、マスコミはリベラルな正義を標榜しつつも所詮は風見鶏にすぎないじゃないかと冷笑する。

 その頃、アーヴィングのイニシアティブで始まった作戦により、アフガニスタンで一機のヘリコプターが出動した。ところが、敵の攻撃を受けて二人の兵士が転落。彼ら二人(デレク・ルーク、マイケル・ぺーニャ)のうち一人は重傷。刻々と迫る敵の気配に怯えながら二人は互いに励まし合う。一人は黒人、一人はヒスパニック、大学のクラスメイトだ。貧しかった彼らは除隊後の復学・奨学金を目当てに、そしてアメリカを変えるためにはまず現場を知りたいという情熱で軍隊に志願していた。

 同じ頃、彼らの恩師だったマレー教授(ロバート・レッドフォード)は、出席率の悪い生徒のトッド(アンドリュー・ガーフィールド)を呼び出していた。頭の回転は早いが、現実の問題に対してシニカル、今風な彼に向かい、教授は軍隊に志願した二人の学生のことを語る。教授自身はかつてヴェトナム反戦運動に関わったことがあり、二人を何とか思いとどまらせようとしたが、彼らのひたむきさに何も言えなかったという。大学のキャンパスを覆うシニカルな無関心を前にして、教授のリベラルな正義感は空回り、行き詰ってしまっている困惑が浮き彫りにされている。

 原題は“Lions for Lambs”、間抜けな子羊を支持するライオン、子羊に率いられたライオン、といった意味合いになるのだろうか。政治、軍事、マスコミ、教育、そしてこれらの背景をなす社会的空気を手際よく整理されているあたり、脚本がよく練りこまれていることに感心する。アメリカはだからどうのこうのという短絡的な結論に結びつけるつもりは私にはない。この映画の多面的な構成からうかがえる“民主主義”といわれる制度の持つ幻滅的な側面と、しかし同時に理想を持つべき側面、二者択一ではなく、その両方を同時に引き受けるべきなのだろう。

【データ】
監督:ロバート・レッドフォード
脚本:マシュー・マイケル・カーナハン
2007年/アメリカ/92分
(2008年4月29日、渋東シネタワーにて)

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「砂時計」

「砂時計」

 父が事業に失敗してしまったので、杏(夏帆)は母親(戸田菜穂)と共に島根の祖母(藤村志保)の家に身を寄せる。母は鬱病で自殺してしまった。悲しみにくれる杏を暖かく受けいれてくれる三人の友人たち、とりわけ恋人の大悟の支え。ところが、父に引き取られて杏は東京に戻り、四人の仲は徐々にほころび始めてしまう。

 一定の時間が過ぎると過去が未来になる砂時計が映画を通してのモチーフとなっている。この村でのつらい記憶も、暖かく甘酸っぱく楽しい想い出も、それぞれ切り離せるものではない。そうしたすべてをひっくるめて自分の足跡を刻みつけてきた時間なのだから目を背ける必要はないという意味が込められているのだろうか。だいぶたるい感じもあって必ずしもよく出来た映画とは言えないが、私はそんなに嫌いでもない。

 大人になった杏(松下奈緒)が過去を振り返るという形式をとっている。キャスティングのトップには松下の名前があるが、主役は明らかに夏帆だろう。美しくのどかな山野の映像を見ているだけでも気持ちはなごむ。その中で、制服姿の夏帆が、時にのびやかに、時にセンシティブな表情の揺れを見せる。うーん、かわいいなあ。そういえば、「天然コケッコー」でも舞台は島根だったな。

【データ】
監督・脚本:佐藤信介
原作:芦原妃名子
2008年/121分
(2008年4月29日、渋谷、アミューズCQN)

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2008年4月28日 (月)

ポール・コリアー『最底辺の10億人』

Paul Collier, The Bottom Billion : Why the Poorest Countries Are Failing and What Can Be Done About It, Oxford University Press, 2007

 前にジェフリー・サックス『貧困の終焉』の記事で触れたように、いまや全世界人口60数億人のうち、6分の5に相当する人々はすでに経済開発の梯子に何らかの形で手をかけている。もちろん程度の差はあるにせよ、ひとたび手をかけることさえできてしまえば、将来の展望は決して暗くはない。

 しかし、経済開発の梯子から完全に切り離され、先の見通しの全く立たない人々が取り残されてしまっている。the bottom billion──最底辺の10億人、つまり全世界人口の6分の1にあたる人々である。ほとんどがアフリカ諸国である。国連のミレニアム・プロジェクトでは貧困撲滅の開発目標が掲げられているが、その目標では対象を広げすぎてかえって効果が少ない。従って、この最底辺の10億人にしぼりこむべきだとポール・コリアーは主張している。

 援助団体に多く見られる左翼志向の人々は、第三世界における貧困の原因を資本主義のグローバリゼーションに求めようとするが、市場経済の構築を通して輸出志向の国づくりを進めることが貧困解消に有効であることをイデオロギー的に否定してしまうのはおかしいと著者は批判する。また、ジェフリー・サックスについては、彼の情熱には共感できるものの、援助に重きを置きすぎていると指摘する。では、市場経済主義が万能かといえば、そうでもない。国内的な条件が整わないうちに経済自由化を進めてしまうと、せっかく投下された資本や訓練を受けた人材が海外に流出してしまう。取るべき手段に関して特定の政治的立場による偏見を持ってはならない。問題の対象はしぼりこみ、解決の手段に関してはあらゆるものを組み合わせるべきだ。

 貧困から脱け出せなくしている足かせをtrap=罠と表現している。紛争の罠、自然資源の罠(後述)、内陸国の罠(being landlocked、サックスも指摘していたが、地政学的に輸送コストが高くつく問題)、腐敗・非効率なガバナンス(bad governance)の罠など。その国が抱えている罠の種類や組み合わせによって、対処すべき方法はそれぞれ異なる。この点ではサックスの臨床経済学の考え方と同じだ。援助、安全保障、法や憲章による国際的な制度枠組みづくり、貿易など、適宜有効な手段を組み合わせること。

 紛争の罠に対しては軍事干渉も有効だ。イラクのように泥沼の交戦状態に入らなくとも、軍事的な威嚇を示して紛争を抑止することは可能である。極端な例だけをピックアップして否定しまうのはそれだけ可能性を狭めてしまうことだ。イラク問題に関しては、戦争によって体制転換を行なおうとした現状と、それ以前に平和的に体制転換を促した場合とでのコスト試算を示し、後者の方法への努力を促す。

 紛争終結直後の援助が一番危険だという。金の臭いをかぎつけた軍部がクーデターを起こしやすいからだ。紛争終結直後の援助では、金をその国には渡さず、スタッフの雇用・派遣によって技術援助を進める方がいい。数年ないし10年くらい経ち、人的・システム的基盤が整ってから、戦略的・集中的に金銭的援助をつぎこむ。そうすれば、現在のようにダラダラと金を渡すよりもはるかに経済的なテイクオフに効果的である。この段階になれば、粗野な軍閥指導者に対抗できるだけのテクノクラート層が育っており、彼らの改革志向の努力を国際社会は応援すべきだと本書は主張する。

 自然資源の罠には経済面・政治面の二つで問題がある。経済的には、自然資源輸出に依存すると、国内産業力に比して通貨価値が上昇してしまい、国際競争力が弱まってしまう(Dutch Disease=オランダ病というらしい)。政治的には、たとえ選挙による民主主義が制度として実施されても、自然資源による収入を握る指導層が利権誘導を行って腐敗が温存されてしまう。現在、中国はアフリカで資源外交を展開しているが(もう一つの理由は、台湾承認国の切り崩し)、これが“最底辺の10億人”の貧困状態を固定化させてしまっている、中国から彼らを守るべきだと警鐘を鳴らす指摘(pp.86-87)が目を引いた。

 ポール・コリアーは世界銀行に勤務した経験があり、現在はオックスフォード大学アフリカ経済研究所の教授。今年、国連の潘基文・事務総長が年頭の記者会見で「2008年を“bottom billion”の年にしよう」と語ったように(→http://www.un.org/News/Press/docs/2008/sgsm11360.doc.htm)、近年、このキーワードは注目を集めている。

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