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2008年4月6日 - 2008年4月12日

2008年4月12日 (土)

マイケル・ウォルツァー『寛容について』

マイケル・ウォルツァー(大川正彦訳)『寛容について』(みすず書房、2003年)

 民族、宗教的共同体、地域共同体、その規模や性質は様々であれ、人は何らかの具体的な人間関係の中に生れ落ちる。その中で育まれることは、生きていく上での足場をつくりあげることができるだろうし、他方、束縛に嫌気がさすかもしれない。プラス・マイナスいずれにせよ、共同体的な価値意識から純粋に自立した個人モデルは現実にはあり得ない。コミュニタリアニズムは別に個人の自由を否定しているわけではなく、リバタリアニズムの内包する空想的な観念性が人間の生身の関係性を無視しているところに矛先を向けていると考えるべきだろう。

 共同体的関係は現実としてあるし、否定するべきでもない。しかし、民族紛争にせよ宗教対立にせよ、一定の価値観にそってグループ分けされた人々が互いの誤解や無理解から争い合ってきた事例は歴史上枚挙に遑がない。異なる来歴を持つ集団がいかに平和的に共存できるのか。本書は“寛容”(toleration)というキーワードを軸に概括的な考察を行なう。無関心的・排他的な共存というよりも、互いに積極的に関わり合いながら調整を進めていくという点に著者の主眼は置かれている。

 五つの類型が挙げられる。①多民族帝国。古代ペルシアやローマから、オスマン帝国、ソ連など。本書では例示されていないが、ハプスブルク帝国も好例だろう(→「ハプスブルク帝国について」の記事を参照のこと)。②国際社会。内政不干渉を原則とする主権国家の共存。③多極共存・連合。ベルギー、スイス、キプロス、レバノンなど、いくつかの民族が対等な立場で一つの国家を形成している場合。④国民国家。内部に自立的な共同体を形成することは許されないが、個人のライフスタイルの違いを守る権利として価値観の多元性は擁護される。⑤移民社会。具体的にはアメリカ。

 “共同体”の線引きは多様なレベルであり得るし、また“寛容”の対象を個人に置くのか、集団に置くのかに応じて議論のあり方も大きく変わってくる。“共同体”と“寛容”というキーワードで考えるとき、大きな論点は二つ出てくる。第一に、共同体同士の争い。この場合、上記で示された共存のための調整に工夫をこらすことになる。第二に、ある共同体が内部の構成員に対して圧迫を加えた場合、それこそ、ジェノサイドのような看過しがたい人権抑圧が行なわれたとき、外部の者はどうすればいいのか? 上記②の内政不干渉原則に立つ場合、放っておくという態度も、これはこれで広い意味での“寛容”の原則内に収まってしまう。

 マイケル・ウォルツァーはアメリカの代表的なコミュニタリアン(共同体論者)。マイノリティーとの多元的共存を訴え、彼らの立場の弱さと経済的格差とが結びついてしまわないよう再配分政策を主張するなど、もともとリベラル左派の知識人として知られていた。ところが、イラク戦争に際しては、ためらいながらもブッシュ政権を支持した。彼の関心は人権擁護にあり、国益重視の保守派とは一線を画す。その点では、マイケル・イグナティエフのような“リベラル・ホーク”(リベラルなタカ派)に近い(→マイケル・イグナティエフ『軽い帝国』の記事を参照のこと)。私自身はブッシュ・ドクトリンを支持するつもりなど毛頭ない。ただし、人権抑圧阻止のための軍事力行使という逆説をはらんだ議論にも真摯な問題意識があることには留意しておかねばならない(→映画「ホテル・ルワンダ」ソマリア問題についての記事を参照のこと)。

 先日、ダライ・ラマ14世来日時の記者会見の模様をテレビで見た。あくまでも非暴力主義堅持、北京オリンピック支持を表明することで、中国政府の強硬策と同じ土俵にはのらず、むしろ彼らの非難がいかに見当違いであるかを際立たせたことは非常に賢明で、感銘を受けた。「私は悪魔ではない。中国政府の言うことを真に受けたイノセントな人々から誤解されているのが悲しい」という発言には、共産党支配の体制下、言論統制の行なわれている社会の問題を考えさせられる。チベット問題ひとつを見ても、中華人民共和国は決して寛容な社会とは言いがたい。実利重視の日本の財界人が上記②の立場からチベット問題を無視するのは理解できる。しかし、常々人権の普遍性を根拠に論陣を張ってきた進歩派の人々から中国政府に対する強硬な非難の声が聞こえてこないことには奇妙な矛盾と胡散臭さを感じてしまう(もちろんアピールは出しているようだが、所詮申し訳程度に過ぎない)。

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2008年4月11日 (金)

剣持久木『記憶の中のファシズム──「火の十字団」とフランス現代史』

剣持久木『記憶の中のファシズム──「火の十字団」とフランス現代史』(講談社選書メチエ、2008年)

 フランス共産党内部の主導権争いに敗れた後、一挙に対独協力へと突き進んだジャック・ドリオのフランス人民党。王党派右翼シャルル・モーラスのアクシオン・フランセーズ。これらと共に「火の十字団」という名称にもおどろおどろしいイメージを私は持っていた。もし1940年に予定通り総選挙が行なわれていたら、この「火の十字団」に基盤を置く「フランス社会党」(現在のフランス社会党とは関係ない)が第一党になったかもしれないという。フランスにもファッショ独裁の気運があったのか、と早合点してしまいそうだが、本書によると事情はだいぶ違うらしい。

 「火の十字団」はもともと退役軍人の親睦団体として生まれた。この名称は、戦場(feu=火)で戦功章(croix de guerre=戦場の十字勲章)を授けられたからということに由来し、それ以上の深い意味はない。政策綱領は穏健保守的で、ヨーロッパ右翼に特徴的な反ユダヤ主義などの過激な主張は見られない。そもそも、指導者のラロック大佐は右翼陣営から非難を受けていた。その後、ヴィシー政権下ではペタン元帥と関係を持ちつつも対独協力はせず、ドイツ軍によって逮捕された。収容所内で体をこわし、解放後も、今度はフランス政府によって“保護拘束”を受けたためさらに体調を悪化させてしまい、1946年に死去。

 なぜ穏健保守派に過ぎないラロックにファシストというイメージがつきまとったのか? 1930年代のヨーロッパはイタリア・ドイツの全体主義に脅かされていた。そうした情勢下、フランスで成立した人民戦線は総選挙で票を集めるため、フランス国内にも明確な敵を必要としていた。そこで目をつけられたのが、保守層の支持を集めつつあったラロックである。マスメディアを通じてラロック=ファシストのプロパガンダ攻勢をかけた結果、この実態にそぐわないイメージが定着してしまった。

 一度定着してしまったイメージというのは恐ろしいもので、それがすなわち事実とみなされ、歴史に記載されていく。戦後におけるラロックの遺族による名誉回復を求めた孤独な奮闘にも本書はたびたび触れる。ラロックという人物を主人公としたフランス現代史として興味深いだけでなく、歴史認識において根拠のないイメージがいかにすり替わり得るかという実例としても考えさせられる。

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2008年4月10日 (木)

カール・シュミット『現代議会主義の精神史的地位』

カール・シュミット(稲葉素之訳)『現代議会主義の精神史的地位』(みすず書房、1972年)

 議会が必要とされる論拠としてはおおまかに言って次の二点が挙げられる。第一に、あらゆる人間が同意できるような普遍的な“真理”=法の定立を目指して開かれた討論を行なう場。議員は自らの良識だけに従い、精神的にも実際活動的にも独立した立場にあらねばならない(不逮捕特権の根拠)。第二に、利害調整のための交渉と妥協の場。この場合、目指すべきは多数派を形成することで、“真理”なんてまどろっこしいものはどうでもいい。

 議会政治の現実態はおそらく後者であろうが、利害調整の技術的な問題だけが必要ならば、極論すれば議会制度でなければならないという格段の理由はない。「実用的ならびに技術的な理由から人民の代りに人民の信頼する人たちが決定を行うとすれば、唯一人の信頼される人でも人民の名において決定を行うことができるのである」(本書、46ページ)。

 議会政治において“真理”の探究などという言い分がすでにフィクショナルな建前にすぎないことを我々はよく知っている。政治の場面では具体的、現実的な決定の積み重ねがあるだけで、我々の頭上はるか高みにあって従うべき基準などもはや存在しない。

 代って個々の人々の要求が基準になる、と言えばいかにも民主主義らしくて聞こえはいいが、それは、その場しのぎに移ろう感情的な代物にすぎない。だが、束になれば抗い難い強烈な力となる。善悪是非の問題ではなく、声高に強力であるがゆえに政治的運営の基準となる──大衆民主主義の内包するこうしたニヒリズムの現実をカール・シュミットは冷厳に見据えた上で議論を組み立てる。理想論ではどうにもならないドロドロした局面を暴き立てるかのような舌鋒に彼の妖しい魅力がある。

 ルソーの『社会契約論』では、政治的運営を行う者=統治者と統治を受ける者とが完全に一体となった直接民主主義の政治モデルが語られる。ここに牧歌的な理想社会を見出す人は昔から多い。しかしながら、私自身、それを否定はしないまでも、どうしてもストンと腑に落ちない点がわだかまっていた。“一般意志”の問題である。少数意見者の扱いはどうなるのか? ルソーの答えはこうである。

「ある法が人民の集会に提出されるとき、人民に問われていることは、正確には、彼らが提案を可決するか、否決するかということではなくて、それが人民の意志、すなわち、一般意志に一致しているかいなか、ということである。各人は投票によって、それについてのみずからの意見をのべる。だから投票の数を計算すれば、一般意志が表明されるわけである。従って、わたしの意見に反対の意見がかつ時には、それは、わたしが間違っていたこと、わたしが一般意志だと思っていたものが、実はそうではなかった、ということを、証明しているにすぎない。」(ルソー『社会契約論』桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波文庫、1954年、149~150ページ)

 つまり、少数意見はそのこと自体が間違っているのだから一般意志に従え、ということだ。統治者=被治者の完全な同質性を前提としたルソーの政治モデルにおいて、異質なものは存在が許されない。ルソーの“一般意志”論こそがファシズムを生み出したという議論にはそれなりの根拠がある。そもそも、ロベスピエールにしても、ポル・ポトにしても、彼らがルソーの心酔者であったがゆえに大粛清・大虐殺が引き起こされたことが想起されよう。

 民主主義は、直接的に表現された、誰にも抗い難い“人民の意志”のみを唯一の基準とすべきことを要求する。シュミットは、こうしたルソー思想の危うい逆説を踏まえた上で次のように記す。

「民主制においては、平等な者たちの平等性と平等な者たちに属する者の意志とがあるだけである。これ以外のすべての制度は、何らかの形において表現された人民の意志に、その固有の価値と原理とを対置させ得ないところの、本質のない社会的=技術的補助手段に転化してしまう。」「技術的な意味にとどまらず、また本質的な意味においても直接的な民主主義の前には、自由主義的思想の脈絡から発生した議会は、人工的な機械として現われるのに反して、独裁的およびシーザー主義的方法は、人民の喝采によって支持されるのみならず、民主主義的実質および力の直接的表現であり得るのである。」(本書、24~25ページ)。

 “人民の意志”は直接的・本能的なものであって、議会での討論などというまどろっこしい手続きは、彼らにとってうそ臭く感じられる。ファシズムもボルシェヴィズムも、言論の自由や価値観の多元的共存を否定する点において反自由主義であるが、自らを“人民の意志”の代弁者と自負する点においては必ずしも反民主主義ではない。

 シュミットはロシア革命に触れてこう言う。その原因は、「暴力行使の新たな、非合理主義的な動機が共に働いていたということ、すなわち極端なるものから反対のものに転換するところの、ユートピアを夢みる合理主義ではなく、合理的な思考一般に対する新たな評価、討論に対するあらゆる信念を排除するとともにまた教育独裁によって人間を討論に習熟せしめようとすることをも拒否するところの、本能と直感に対する新たな信念が共に働いていたということに存するのである」(89ページ)。

 さらにジョルジュ・ソレルやバクーニンを引き合いに出しながらシュミットは次のように述べる。

「偉大なる熱狂、偉大なる道徳的決断および偉大なる神話は、推理や合目的的考量から生まれるのではなく、純粋な生の本能の深みから生まれるのである。熱狂した大衆は直接的な直感によって神話的イメージを創造する。このイメージこそは彼らの活力を推進せしめ、殉教への力ならびに暴力行使への勇気を彼らに与えるのである。ただこうしてのみ、一民族ないし一階級は世界史の動力となる。こういうものを欠く場合には、いかなる社会的、政治的な権力といえども維持され得ず、またいかなる機械的な装置も、歴史的生の新たな潮流が解き放たれるときにはその防波堤となることができないのである。したがってすべては、今日どこに神話に対するこの能力とこの生命力とが実際に活きているかを、正しく見ることにかかっている。これらの能力は、近代のブルジョワジー、すなわち金銭と所有についての不安のために堕落し、懐疑主義、相対主義、議会主義によって精神的に損なわれている社会層においては、もちろん発見されないであろう。」(本書、91ページ)

 本書が刊行されたのは1923年。ワイマール共和政の行き詰まりを予見するかのようなシュミットの議論はしばしばナチズムを正当化したとして論難され、その評価の振幅は激しい。シュミットの研究者があとがきなどで「彼は反動思想家であり、反面教師として学ばねばならない」と言い訳めいたことを記しているのをよく見かける。

 議会制度にしても、民主主義にしても、建前としての表面的なロジックだけで自己完結しているわけではない。形式面では見えてこないリアルな局面においては、もっと別のファクターが働いているのではないか。そうした可能性に思考をめぐらせてくれる点で、シュミットのポレミカルな論点は私には非常に刺戟的で興味が尽きない。

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2008年4月 8日 (火)

「百年恋歌」

「百年恋歌」

 二人の男女、三つの時代──男役に張震(チャン・チェン)、女役に舒淇(スー・チー)を配し、オムニバス形式で時代それぞれの愛し合う男女の姿を描く。

 第一話、恋愛の夢。1966年、台湾南部の港町・高雄。知人を訪ねてきた青年がビリヤード場で働く女と出会う。これから兵役に就くのだが手紙を書く、と彼は言い残して立ち去った。その後、休暇で高雄を再訪した彼は、すでに彼女が別の職場に移ってしまったことを知る。後を追うものの、タッチの差で重なるすれ違い、なかなか会えないもどかしさ──。

 第二話、自由の夢。1911年、台北、当時の繁華街・大稲埕。富裕な知識人青年と酒楼の妓女。辮髪を結った青年が、戊戌の政変で日本に亡命した革命家・梁啓超に心酔して封建制度批判を語る姿に、当時の社会的雰囲気がうかがわれる。彼は優しい。しかし、女の気持ちを知ってか、知らでか…。辛亥革命の一報に接するやいなや、彼は上海に渡った。女の残された酒楼ではいつも通りに灯がともる。

 第三話、青春の夢。2005年、現代の台北。写真家の男と歌手の女とが激しく愛し合う姿。しかし、男には別に恋人がおり、女にも同性愛的な関係で同棲する女がいる。二人に足かせとしてかかる愛情の束縛。高速道路をバイクで疾走する二人の表情には悲痛なかげりが見える。

 ストーリーがどうこういうよりも、侯孝賢の静かにウェットな映像にはしみじみ感じ入る。特に第一話にはノスタルジックにあわい感傷があって私は好きだな。

【データ】
原題:最好的時光 英題:Three Times
監督:侯孝賢(ホウ・シャオシエン)
脚本:朱天文(ジュー・ティエンウェン)
出演:張震(チャン・チェン)、舒淇(スー・チー)、他
2005年/台湾/131分

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2008年4月 7日 (月)

レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』

レオ・シュトラウス(添谷育志・谷喬夫・飯島昇蔵訳)『ホッブズの政治学』(みすず書房、1990年)

 本書を読んで私が興味を持ったのは次の二点。

 一つ目。「万人の万人に対する闘争」という自然状態において死の恐怖にさらされる中、自己保存を図るため各自の自然権を統治者にあずけて社会契約が行なわれたとするのが一般的なホッブズ思想の説明であろう。

 しかし、それは単に功利的・打算的な動機によるものではない。シュトラウスによると、ホッブズは人間を駆り立てる様々な情念の中でも、虚栄心に着目したのだという(「かれはすべての情念を虚栄心のもろもろの変様として把握し、そして理性を恐怖と同一視するのである」183ページ)。

 つまり、人間は虚栄心にとらわれ、虚栄心が暴走して理不尽な行動を取ることがある。そうした虚栄心を解きほぐし、理性的な振る舞いへと立ち返らせるきっかけとなるのが死の恐怖なのである。「現実世界の抵抗を自分自身の肉体に感知することによって人間はかろうじてこの夢想の世界から覚醒し、正気に帰ることができる。要するに、『損傷経験』を通して人間は理性的になるのである」(24ページ)。

 情念は人間を行動へと駆り立てる動因ではあるが、同時に、自分は死ぬかもしれないとはたと気づく瞬間がなければ、己の弱さに向き合うことはない。情念からいったん離れた立場に立つことで、自らの置かれた状況を冷静に客観的に認識するきっかけをつかむことができる。「虚栄心は人間を盲目にする力であり、恐怖は人間を啓蒙する力」である(162ページ)。人間の行動の対自的把握を通して政策立案につなげるのが政治であるとするなら、虚栄心→死の恐怖→理性的認識というホッブズの示した視点に近代的政治学の原点は求められる。この場合の虚栄心には、現代的観点からするならいわゆる政治的イデオロギーを含めて考えるべきであろう。

 二つ目。シュトラウスは「ホッブズにとって基準となる信念は、近代に特有なものである──いやむしろわれわれとしてはこういいたい。その信念こそが近代的意識の最下、最深の層にほかならない」(7ページ)と言う。近代的意識の最深層とは何を指すのか? 訳者解説によると、シュトラウスは「前進」という人間の「自己意識」をホッブズの中に見出したのだと指摘される。「最も愉快なものは、さらにはるか遠くの目標へ向かっての前進であること、享受それ自体には本質的に不満足が内在していること、そして不満足の激痛なしにはいかなる快適なものも存在しないこと」、「ホッブズは『より激しい』ものをより善いものとして特徴づけるのである」。つまり、他人との優劣の比較を通して、さらに前へ、さらに前へと進もうとする意識である(166~167ページ)。こうした進歩の幻想もまたひとつの虚栄心だと考えるならば、これを相対化し解体することが政治哲学の役割だと言える。

 シュトラウスは序文でこう記す。「わたくしは、近代的思惟が、前近代的思惟に対して決定的に進歩を成し遂げたという、その自信ないしは確信を喪失してしまったことを確認した。またわたくしは、近代的思惟がニヒリズムか、あるいは実際上それと同じことだが、狂信的な蒙昧主義かに転化するさまを目の当たりにしたのである」。本書が1930年代、ナチス台頭を目の当たりにしながら亡命ユダヤ人の手によって書かれたことを考え合わせると、ホッブズという古典の研究にも奥深い含蓄が感じられる。

 レオ・シュトラウスは1899年、正統派ユダヤ人家庭に生まれた。ヤーコビの認識論に関する研究でハンブルク大学より哲学博士号を授与され、1922年にはフライブルク大学でフッサールやハイデガーから影響を受ける。1932年までベルリンのユダヤ主義研究所に在籍する一方で、コジェーヴ、レーヴィト、ガダマーなどと交流。ナチスの台頭と共にイギリスへ渡り、ホッブズ研究に取り組む。その後はアメリカのシカゴ大学で政治哲学の講義を行ない、いわゆる“シュトラウス学派”を形成した。この流れには『アメリカン・マインドの終焉』で知られるアラン・ブルームがいる他、ポール・ウォルフォヴィッツなどネオコンにも一定の影響を与えたと指摘する人もいる。

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2008年4月 6日 (日)

「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」

「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」

 1961年、台北。戦車の隊列が轟々と地響きを立てて進み、演習場での銃砲音はあたりをやかましく騒ぎ立てる。“大陸反攻”を呼号する国民党軍事政権の影が日常の市民生活にまで落ちる殺伐とした雰囲気。

 スー(チャン・チェン)は中学生。父親は大陸出身の知識人、融通に欠けるが生真面目な好人物だ。接収された日本式家屋に暮らす。隣の八百屋からは日本語の歌謡曲が聞こえてくる。店のオヤジさんは「前は鉄道局に勤めていたがクビにされたんだ」と言うから、蒋介石と共に台湾に流れ込んだ外省人に職を奪われたのだろう。スーの父親は公務員とはいえ生活が苦しく、しかも秘密警察の査問を受けてしまった。日々の生活につきまとう不安。親たちの困惑を目の当たりにしているせいか、少年たちは徒党を組んで抗争に明け暮れている。

 映画の初めと終わりではラジオの大学合格者発表放送が流され、受験競争の厳しさもほのめかされる。殺伐と暗い社会、不安定な生活、学校の管理教育、そして様々な不安に押しつぶされそうになりながら揺れ動く多感な少年期。

 同じ学校に通う美少女ミン(リサ・ヤン)に振り回されるスーの戸惑いは、純情であるだけに痛々しい。男をとっかえひっかえするミンの振る舞いは一見すると裏切りなのかもしれない。しかし、男というものを見切ってしまった、14歳にしてはアンバランスな彼女の態度には、スーの幼い純情に他の人とは違う何かを期待していたふしもうかがえる。

 実話に基づく。14歳の少年がガールフレンドを殺してしまったという事件は当時としてはセンセーショナルだったらしく、強く印象付けられたエドワード・ヤンはいつか映画化したいと考えていたそうだ。軍事政権の暗い影、日本統治時代の名残りを留める街並、アメリカ文化への憧れなど、1960年前後という台湾の一時代を映像で描き出しているところも興味深い。

【データ】
英題:A Brighter Summer Day
監督・脚本:エドワード・ヤン(楊徳昌)
1991年/台湾/188分

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