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2008年12月11日 (木)

金野純『中国社会と大衆動員──毛沢東時代の政治権力と民衆』

金野純『中国社会と大衆動員──毛沢東時代の政治権力と民衆』(御茶の水書房、2008年)

 文化大革命の捉え方にも色々とあるようだが、本書は、政治構造という外部条件だけでなく、一般の人々が歴史的過程の中で内面化した価値観、身体化された行為様式などの内在要因も視野に入れながらトータルで考えなければならないという問題意識に従って分析を進める。大衆動員に向けては、①組織インフラ、②個人を統合していく強力なシンボル(=毛沢東)、③社会変革を正当化するイデオロギー、といった条件が必要となるが、これらは文革に先立って、建国前後の反革命分子摘発から三反五反運動、反右派闘争、大躍進運動、社会主義教育運動と続く中で醸成されていたという。

 ここで注意すべきなのは、大衆動員には強制→黙従という抑圧的側面だけでなく、人々からの自発性も無視し得ないこと。その点で、社会主義イデオロギーの道義的生活規範化という論点に興味を持った。社会主義の難解な議論なんて一般庶民には分からない。むしろ、集団と個人、質素と贅沢、勤勉と怠惰、謙虚と自惚れ、こうした二項対立によって前者を肯定、後者を否定するロジックとして受け容れられた。批判集会での身内の動員、社会全体の軍事化(国民皆兵)、とりわけ階級闘争の重視→中道は許されない(小康思想の批判)→政治から距離を置くこと自体が許されない。自分の身を守るため、「革命」の大義の下、他人を暴力的に批判するモラリティーが定着した。こうして、一般の日常生活全体が政治舞台化された。

 党中央における路線対立→毛沢東が権力保持するための政治粛清が文革のきっかけではあっても、いったんインプットが入ってしまうと増幅的に作動する土壌が出来上がっていた。そもそも「反革命」「右派」といったレッテル自体が曖昧かつ恣意的なもので、その時々の状況に応じて政治的立場は流動的となる。批判・被批判の関係がクルクル逆転、身を守るため、自らの“革命性”を誇示するアピール競争が激化し、社会全体を巻き込んだ政治運動はますます急進化、党中央でもコントロールが難しい多重動員状態を呈することになる。ただし、国家が社会を完全に掌握したわけでも、私的領域が消滅したわけでもない。こうした政治運動は波状的で、それは将来の予想のつかない不安定さを意味したが、他方で社会に周期的な緩みももたらし、一つのガス抜きになっていたとも指摘される。

 本書で分析された事例は都市社会が中心で、農村も含めた検討はこれからの課題とのこと。大衆動員というキーワードを軸として政治と一般の人々の生活レベルとの相互作用を分析した政治社会学的研究として、建国期から文革期まで一貫したストーリーが組み立てられており、興味深く読んだ。

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