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2008年12月23日 (火)

東京裁判について最近の本

 今年は東京裁判判決60周年ということで、東京裁判をめぐる本が色々と出た。

 比較文化論の立場から日本と西洋という異文化接触の場として東京裁判を捉え、これをめぐる言説を検討してきた牛村圭、国際政治史というコンテクストの中から東京裁判を捉える視点を示す日暮吉延。両者とも、“勝者の裁き”か“文明の裁き”かという二項対立に押し込めて一面的な議論を進めるような愚に陥ることを避け、一次史料に即して東京裁判の実像に迫ろうという点では一致する。この二人による対談をまとめた『東京裁判を正しく読む』(文春新書、2008年)は、誤解されやすい論点を一つ一つ解きほぐしてくれて、この裁判を知るとっかかりとして良質な入門書となっている。

 日暮吉延『東京裁判』(講談社現代新書、2008年→以前にこちらで取り上げたことがある)は今年度サントリー学芸賞受賞。判事団、検事団、弁護団それぞれの人間関係は決して一枚岩ではなく内部で分裂抗争があった、その意味ではそれぞれが自律的なダイナミズムで動きながら裁判が展開されていたことを描き出しているのがドラマのように面白く、判決の方向性が予め決められていたわけではないことを明確に示している。本書は対米協調という政治的リアリズムから東京裁判を受け容れた吉田茂を評価する。一方で、反吉田系の保守派の否定論や左派の肯定論、双方ともに見られる反米主義は東京裁判が温床になっているのではないかという日暮の指摘も興味深い。

 戸谷由麻『東京裁判──第二次大戦後の法と正義の追求』(みすず書房、2008年)は国際人道法の確立という観点から東京裁判を検討する。

 “A級戦犯”という言葉がよく比喩的に用いられる。しかし、A級→平和に対する罪、B級→残虐行為や捕虜虐待など通例の戦争犯罪、C級→人道に対する罪、というカテゴリー分けが便宜的に並べられているだけのことで、犯罪としてのランクを示しているわけではない。

 侵略戦争開始の共同謀議(被告中、互いに一面識もなかった人もいるのに“共同謀議”とはおかしい、という疑念がよく出されるが、ある犯罪行為の実行に結果として合意したとされれば、これを“共同謀議”とみなすというのが英米法に独特な概念で、事前に密議をこらして云々というイメージとは異なるらしい)の責任を問う“平和に対する罪”が成り立つのかどうかは私にはよく分からない。実際、“平和に対する罪”の訴因で有罪となっても、これだけで死刑判決を受けた者はいないが(文官の広田弘毅は南京事件の責任を問われて死刑判決を受けた)、これは、裁判官たちの間でも事後法という批判を受けることへの懸念があって量刑が考慮されたのではないかと日暮は指摘している。

 中支那方面軍司令官であった松井石根は“平和に対する罪”(A級)では無罪、南京事件をめぐる訴因(B級)だけで死刑となった。松井に対する判決は、現在の国際刑事裁判において指揮官責任を問う先駆的な判例となっていると戸谷は指摘している。もちろん、松井個人はもともと親中派で南京事件に心を痛めており、“興亜観音”を建てて日中双方の犠牲者に哀悼を示していたことは知られているが、そうした彼個人の心情は別として、指揮官としての職責を果たせなかった点を追及されたと考えるべきだろう。

 広田弘毅の部下であった元東亜局長の石射猪太郎は、広田は日本軍による残虐行為を憂慮して陸軍省に対して注意を促したが(その趣旨のことは石射『外交官の一生』中公文庫、1986年、332-333ページにも見える)、それ以上のことは出来なかったと証言、弁護団は広田の道義心を訴える戦術をとった。しかし裁判官側には残虐行為防止の不作為と受け止められ、逆に有罪の根拠となってしまった。このあたり、心情面における法文化の違いが興味深い(私自身、城山三郎『落日燃ゆ』の印象が強すぎて、何となく広田に同情的になってしまうのだが)。しかし、それ以上に注目すべきなのは、軍の指揮系統に属さない文官であっても個人責任を問われる先例となったことである(戸谷、206ページ。多谷千賀子『戦争犯罪と法』岩波書店、2006年、118-119ページにも広田判決について言及あり)。戸谷によると、ルワンダ国際刑事裁判でもこの広田判決が援用されたという。

 ときどき誤解している人もいるが、南京事件に関する判決はあくまでも通例の戦争犯罪(B級)であって、“人道に対する罪”(C級)ではない。ナチスの行なった犯罪行為でとりわけ顕著なのはユダヤ人の大量虐殺だが、法的に言うとこのユダヤ人たちはドイツ国民である。ところが、戦争犯罪として裁けるのは交戦相手国民に対する残虐行為であって、自国民を相手にした場合は想定されていない。かと言って、ユダヤ人虐殺を見逃すわけには勿論いかない。そこで、ニュルンベルク国際軍事裁判所条例においてユダヤ人虐殺の責任を追及するため、対象が自国民であっても戦争犯罪とみなす“人道に対する罪”が初めて提起された。こうした経緯による法概念であるため、自国民を相手とした虐殺行為を行なっていない日本の戦犯裁判でC級は適用されなかった。

 なお、こうした“人道に対する罪”の成立経緯を踏まえたとしても、戦争犯罪を対象としたニュルンベルク法廷で裁けるのはドイツ軍がポーランド国境を越えて戦争を開始した時点以降のことで、それ以前に行なわれたユダヤ人に対する残虐行為は管轄範囲に入らない(Samantha Power, A Problem from Hell: America and the Age of Genocide, Harper Perennial, 2007, p.49)。そこで、ユダヤ系ポーランド人の国際法学者ラファエル・レムキン(Raphael Lemkin)はもっと包括的な法規範としてジェノサイド防止条約(レムキン法)の制定に奔走することになる。ジェノサイド(genocide)というキーワードを造語したのはレムキンである。

 東京裁判は多国籍裁判という異例の形式をとったが、当然ながら言語の問題が課題となる。武田珂代子『東京裁判における通訳』(みすず書房、2008年)は、コミュニケーションのあり方そのものが当事者の関係性に及ぼす影響を検討する通訳学という新しい知見を基に東京裁判を考える。ニュルンベルク裁判とは異なり、東京裁判では通訳の態勢が整っていなかった。連合国側に日本語のできる人材がほとんどいない以上、通訳は日本人に頼らざるを得ない。しかし、連合国側には日本人通訳への不信感がある。そこで、日本人通訳を使いながらも、日系二世のモニター(チェック役)をつけ、さらに白人士官の言語裁定官を上に置くという三層構造がとられた。異言語コミュニケーションの通訳を相手側に依存するか(他律型)、こちら側で養成するか(自律型)というモデルで考えると、日系二世モニターはこの両方を併せ持ったアンビヴァレントな立場になっていた。とりわけ、日本語が堪能なため採用された帰米二世(日本の学校で学んでアメリカに帰った日系二世)は、アメリカ国民でありながらもその忠誠心が疑われているという難しい立場にあり、通訳そのものの難しさと、彼ら自身のアイデンティティーの難しさとが二重写しになってくる。中でもデイビット・アキラ・イタミという人は山崎豊子『二つの祖国』やNHK大河ドラマ「山河燃ゆ」のモデルとなったらしい。そういえば、私は小学生のとき「山河燃ゆ」を毎回欠かさず見ていて、東京裁判に興味を持ったのはこの頃からだったように思う。

 保阪正康『東京裁判の教訓』(朝日新書、2008年)は、同時代史的な感情論ではなく、記録をもとに冷静に東京裁判を捉えるべきことを強調。その上でこの裁判から、当時の拙劣な指導者の責任、この裁判から欠落していた周辺アジア諸国への責任、裁いた側の西欧植民地主義の責任など、多面的な責任のあり方を汲み取ろうとする。

 東京裁判の全体像を知るには、児島襄『東京裁判』(上下、中公文庫、1982年)、東京裁判朝日新聞記者団『東京裁判』(上下、朝日文庫、1995年)、粟屋憲太郎『東京裁判への道』(上下、講談社選書メチエ、2006年)といったあたりに目を通すといいだろう。小林正樹監督のドキュメンタリー「東京裁判」(1983年)もよくできている。なお、パル判決については、これはこれでややこしいので、気が向いたらまた別の機会に。

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