吉田徹『ミッテラン社会党の転換──社会主義から欧州統合へ』
吉田徹『ミッテラン社会党の転換──社会主義から欧州統合へ』(法政大学出版局、2008年)
リーダーシップ、というと、“カリスマ”的・属人的な性質に還元して権力関係を一方向的に捉えてしまう向きもある。だが、本書で言うリーダーシップとは、リーダーとフォロワーとの相互作用の中で一定のヘゲモニーが確保されていく双方向的な関係概念として用いられている。フランス社会党の政策転換においてミッテランの果たした役割を明らかにすることが本書の目的だが、こうしたリーダーシップ概念に基づくため、彼自身のパーソナルな資質は捨象され、党内政治力学の機能的な分析に焦点が合わされている。
第五共和制におけるドゴール派優位の下、様々な思想的背景を持った勢力の寄り合い所帯として出発した野党・社会党。ミッテランは、「社会主義プロジェ」という共有原理に基づきながら政権交代という目標に向けて各派閥の均衡点に自らの立ち位置をおくことで求心力を発揮した(「取引的リーダーシップ」)。しかし、政権獲得の後、経済情勢の悪化に直面する。政権幹部は緊縮策をとるのに対して、一国社会主義的な政策志向を持つ党内の“古代人”は反発。すでに大統領という制度的な権力の座にあったミッテランはEMS(欧州通貨制度)離脱という新しい政策価値を提示して、双方の対立関係を別の次元に向けて解消しようとするが(「変革的リーダーシップ」)、現実的な政策知識を持つドロールやモーロワなどのフォロワーはついてこず、失敗。経済的要因を重視するアプローチからは、この時のEMS残留という決断は経済情勢の悪化に押されてのこととされるが、対して著者は、それでは1981~83年までグズグズしていたことの説明がつかない、むしろ従来型の「取引的リーダーシップ」の非決断によって遅れていたのだと指摘する。
いずれにせよ、ミッテランは「取引的」「変革的」、二つのリーダーシップで失敗した。彼はこれ以降、特定のフォロワーをあてにはせず、状況に応じて政治的リソースを流動的に組み替えながらさまよう「選択操作的リーダーシップ」に切り替えたのだという。その際の理念的な道具として浮上したのが欧州統合というテーマである。ミッテランは欧州統合の立役者として評価される。しかし、それは政治的求心力確保のための手段なのであって、彼自身が当初から欧州統合という理念を持っていたわけではない。その意味ではあくまでも結果論に過ぎないと著者は指摘する。
リーダーシップという一つの関係性概念を軸にすえた政治分析モデルを駆使した研究としてとてもおもしろい。日本の野党(旧社会党や現在の民主党)についても同様の分析視角を通したらどんな議論ができるのだろうか? フランスと日本とでは政治風土が違うと言ってしまえばそれまでだけど、むしろその政治風土的相違が浮き彫りになればいいわけだし、比較政治論としてちょっと興味ある。
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