タイの政治情勢のこと
タクシン元首相の汚職疑惑への反発から2006年にクーデターがおこって以来混乱続きのタイ情勢。ようやくアピシット新首相が選出されて反タクシン派の連立政権が発足。いったんは落ち着いたものの、タクシン支持派と反タクシン派の確執は収まっておらず、まだまだ波乱含みらしい。
だいぶ以前だが、岡崎久彦・横田順子・藤井昭彦『クーデターの政治学──政治の天才の国タイ』(中公新書、1993年)という本を読んだことがあった。タイは割合と安定した国というイメージがあるが、意外とクーデターが頻発している。政治家が腐敗して軍部がクーデターをおこし、議会指導者が拘束されると、ギリギリのタイミングで国王が出てきて「いや、殺してはいけない」と押しとどめる。軍部が強権化して民主化デモがわきおこるとやはりギリギリのタイミングで国王が登場して「もうお前は辞めなさい」といなし、できるだけ穏便に政権交代させる。1992年の騒乱の際、民主化運動指導者チャムロンと軍政のスチンダ将軍とがプミポン国王の前で並んでひざまずいている姿が印象的だった。つまり、国王というバランサーを媒介として議会と軍部という二つの政治アクターが政権交代を繰り返すのがタイの政治システムなのだという。政権交代による緊張感→権力独占を防ぎ、政治を活性化させるのが民主政治の一つの長所とするなら、西欧モデルの議会主義とは違ったシステムもあり得る、そうした比較政治論的な視点を示した議論として面白く読んだ覚えがある。
非政治的な権威として議会・軍部の両者から超越した存在であるからこそ、いざという時に仲介役を果たし国政を安定させることができる、そうしたキーマンとしてプミポン国王には私なども割合と好印象を持っていた。ところが、The Economist(2008.12.6)掲載の“Thailand’s king and its crisis : A right royal mess”という記事を読んでいたら、タイ王室のあり方に疑問を投げかけており、興味を引いた。
そもそもタイでは現在でも不敬罪がある。王室への批判は罰せられるため、うかつに話題にはできないらしい。タイ王室の権威というのは相当なもので、あらゆる奇跡も王室の恩恵に帰せられる。学生の頃、岩波ホールで上映されるアジア映画なんかをさして面白くもないのに無理して観ていた時期があるのだが、「ムアンとリット」というタイ映画も観たことがあった。封建的な因習の中で女性が奮闘する話だったような気がするが、最後に象徴的なシーンとして雨が降る。文字通りの「慈雨」で、これは国王陛下の恩恵だ、みたいなナレーションがあって違和感があったのを覚えている。
それはともかく。The Economistの記事によると、ヴェトナム戦争を背景とした時代、アメリカは反共の同盟者としてタイ王室に目をつけ、その権威を高めるキャンペーンにふんだんに資金をつぎ込んだという。不敬罪は1970年に強化された。また、国王は必ずしも非政治的というわけでもない。国王自身は直接的なことは言わなくても、彼のメッセージからその意図を臣下は読み取って忖度しながら政治行動を行なっているらしい。
タクシンは配分的政策、具体的には低廉な医療制度やマイクロファイナンスの普及によって、とりわけ農村部での支持が厚い。そのため、ポピュリスティックな政治家だとよく言われる。反タクシンの王党派には、彼の政治行動が既得権益を侵すというだけでなく、配分的政策→庶民の支持→国王の恩恵に対する挑戦、と受け止められ、一時はタクシン派がタイ史上初めて議会過半数を握ったこともあわせて、脅威と考えられているようだ。タクシン派政党の解党命令やソムチャイ前首相の失職理由にしても、新聞で読んでもその根拠が私にはいまいちピンとこなかったのだが、タクシンの存在感そのものが王室のタブーに踏み込みかねないからこそ軍部も司法も躍起になってタクシンつぶしにかかっていると考えていいのだろうか?
プミポン国王は今年81歳。先は決して長くはない。ところが、皇太子の評判はかなり悪い。不敬罪があるため、おおっぴらには語られないが。下手すると、ネパール王家と同じ末路をたどりかねない。実際、チャクリ朝は9代までしか続かないという予言があったらしい。プミポン国王は別称ラーマ9世である。ある宮廷関係者は、「Long live the king(国王万歳)と言う時、王には文字通り永遠に生きて欲しいと思っている、次がどうなるかなんて考えたくもない」と語っている。
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