カール・マンハイム『保守主義的思考』
カール・マンハイム(森博訳)『保守主義的思考』(ちくま学芸文庫、1997年)
・伝統主義的生活態度→進歩主義という契機→保守主義の成立(「この原初的保守主義的体験は、それが存在している生活空間のうちにすでに異種の生活態度と思考方法とが出現し、それに対するイデオロギー的防御において自己をはっきりとうち出さなければならないというときに、反省的となり、その特性を意識するようになる」[87-88ページ])
・進歩主義は可能的なものを求め、保守主義は具体的なものに固執する。歴史体験のあり方も含めた世界観が、各社会層の根本志向として凝集核→階級的に成層化した社会でのみ、伝統主義は保守主義に転化し得る(「具体的なものと抽象的なものとのこの対立は、そもそも体験の、環境の対立であって、思考の対立はただ第二次的なものであり、しかもこの論理的対立の近代的形態のなかには、ひとつの政治的根本体験が付着しているということを証示することによって、二つの体験典型がいかに鋭く社会的に機能化されているかという重要な点が明らかになる。近代世界の形成には、現存の組織を解体しようと努めるもろもろの社会層が存在することが必要である。彼らの思考は必然的に抽象的であり、可能的なものによって生きる。これに反して、保持と停滞化とに努める者の思考と体験とは具体的であり、既存の生活組織を踏み越えない」[50-51ページ]。「歴史体験の二つの仕方が次第に分極化し、社会的に異なった(潮流の異なった場所に立つ)層によって彼らの体験志向のなかに取り上げられたという独特の現象が問題なのである」[55-56ページ])
・進歩主義の平等主義に保守主義は反発、個人の自由と公のものとがぶつかる可能性→質的な自由、つまり立場的に異なる個人それぞれの内面的なものとして自由を捉え、外的関係としては秩序原理へ服すべきと考える→有機的共同体(民族精神)の中の個人という考え方
・質的自由としての内面性→生き生きとしたものを求める→ロマン主義→生の哲学
・歴史的な古い思考や体験の厚みにロマン主義は意味を求める→保守主義は、ロマン主義と結びつくことで生気を取り戻し、近代的基礎付けの次元へと高められた。
・「一度書き上げられたらそれっきりの形式」としての概念、しかし現実の存在や思考過程は流動的という矛盾→ロマン主義的保守主義者は、啓蒙主義的な思考パターンを固定したものとして捉え、これへの批判として、自分たちの思考パターンを動的なものとして提示しようとする。ただし、これによって「啓蒙主義の理性信仰が破壊されるのではなく、変容されるにすぎない」。「理性の活動、思索的活動に対する信仰は放棄されてない。思考のひとつのタイプ、すなわち、ひとつの原理から演繹する、固定した概念要素を単純に組み合わせる啓蒙主義思考だけが拒否されるのであって、ただこの啓蒙主義的思考に対して、できるだけ可能的な思考の平面が拡大されるのである。またその場合に、ロマン主義は(実際は無意識的に)、すでに啓蒙主義的世界意欲が完成しようと企てた、世界の首尾一貫した徹底的合理化という、かの路線を、よりラディカルに、そして新しい手段をもって、継承し先へ進める。」「なにが合理的であり、なにが非合理的であるかは、そもそも相対的である。あるいは、より正しくは──われわれはまずそれを明らかにしなければならないのであるが──両概念は相関的である。啓蒙主義的に一般化し、そして固定した体系化的な思考の支配する段階では、合理的なものの限界がこの〔合理的〕思考の限界と同一視され、これからはみだす一切のものは非合理的なものとして、生として、また啓蒙主義の立場からすれば、克服できない残滓として解釈されたが、「動的思考」の思想によって合理的なものの限界は一段と押し広げられ──そして、それによって啓蒙主義自体がみずからの手段をもってしてはそもそも解決しえなかったであろう、啓蒙主義的課題をロマン主義的思考は解決した」とされる(186-187ページ)。
・「世界を認識適合的な洞察する立場としては、生の哲学は、絶対化された合理性に魅せられている思考潮流に対する対抗者として、すべての隠蔽され合理化されている外被をとりはらい、しかも意識はただ単に理論的見地の模範だけを指向するものではないということをたえずわれわれに教える点で、含蓄の多いものである。それは「理性に適合的なもの」、「客観化されたもの」をたえず相対化し、部分化する」(211ページ)。
・マルクス主義もヘーゲル弁証法哲学の流れをくむ点で動的である。ただし、「内面化された「生の哲学」にとっては、この動的基盤が純粋「持続」、「純粋体験」などのごとき前理論的なものであるのに反して、ヘーゲルが「一般的」「抽象的」思考を相対化する基盤は、ある精神的なもの(高次の合理性)であり、プロレタリア的思考にあっては階級闘争および経済に中心がおかれた社会過程である。この方向をとってヘーゲルの流れはここで客観性に転位したのであった。」→「ブルジョワ的・自然法的思考に対する両面からの反対の現実概念でさえも、この思考に対する反対において形成されたものであり、運動性と動学とをその正確とした生概念がここに出現しそしてこの〔反ブルジョワ合理主義という〕起源とはっきりしたつながりをもちつつ、二重の形態をとって、生の哲学とマルクス主義との両現実概念が展開したということ」を指摘(216-217ページ)
私は知識社会学についてきちんと勉強したことはないのですが、
・所与の生活環境に対してそれまで無自覚だった伝統主義的生活態度が、進歩主義的理念の登場によって、それとの対照によって自覚化され、一つの思想的立場を取るようになったときに保守主義が成立した。
・両者の思想的相違は、各自の置かれた環境的体験と結びついており、社会階層分化と連動している。
・保守主義はロマン主義と結びつき、概念的論理重視の進歩主義に対して、動態的な生き生きとしたものを求めた。これは、理論偏重傾向を常に相対化できる点では有益な視点をもたらす。
・この動的思考意欲という点では、形態は違えどもマルクス主義と共通しており、両者ともに20世紀においてブルジョワ的自由主義を挟撃する形になった。
取りあえず、マンハイムの議論からは以上の点を押えておけばいいのでしょうか。特定の思想的立場にコミットするというのではなく、それぞれの思考枠組みの因って来たるところをトータルで理解して、俯瞰できる立場にいったん自分を置いてみることで、議論の不毛なこわばりを解きほぐしていこうというところに知識社会学の勘所がありそうです。
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コメント
まだ読んだことはありませんが、知識社会学のマンハイムを知る名著と言えそうですね。
投稿: デビル招き猫マン | 2011年9月24日 (土) 20時03分
そうですね。とりあえず、文庫版なので入手しやすいということもありますし(笑)
『イデオロギーとユートピア』も中公クラシックスとして出て、入手しやすくなっていますので、こちらもどうぞ。
投稿: トゥルバドゥール | 2011年9月25日 (日) 23時29分