佐原徹哉『ボスニア内戦──グローバリゼーションとカオスの民族化』
佐原徹哉『ボスニア内戦──グローバリゼーションとカオスの民族化』(有志舎、2008年)
ボスニア人、セルビア人、クロアチア人。宗教を異にし、方言的な差異があるにしても基本的には文化的同質性が高い。しかし、第二次世界大戦でのナチス・ドイツ軍の進出をきっかけに民族的暴力の波が全土に広がり、クロアチア人のウスタシャ、セルビア人のチェトニクの応酬で血みどろの殺し合いが繰り広げられた。こうした民族対立に唯一反対したのがチトーのパルチザンであった。彼らにも必ずしも問題がなかったわけではないが、戦後のユーゴスラヴィアはパルチザン神話に基づき、国民的連帯感の損なわれるのを恐れてかつての記憶を封印することで成り立った。
戦後ユーゴは、第一に非同盟主義をとって東西双方とほどほどの関係を保ちつつ、第二に経済的意思決定を下へと分権化・ローカル化して経済を活性化させていた。このため、共和国・自治州は実質的には独立していたが、チトーの権威と古参党員たちの横の連帯意識によって、とりわけ民族共存という理念がイデオロギーとして作用することで体制は維持されていた。ところが、1980年代後半以降、経済のグローバル化が波及し始めてユーゴ国内にも変革圧力が強まり、政治構造が流動化する。旧来的なチトー主義者はこうした情勢に対応できず、その間隙をつく形でスロヴェニアのクチャンやセルビアのミロシェヴィッチなどのような新世代エリートが台頭、彼らは政治権力掌握の手段として民族主義者と手を組んだ。各共和国の分離要求が高まり、とりわけ三民族がモザイク状に入り混じったボスニア-ヘルツェゴビナは無秩序な混乱状態に陥ってしまう。
本書はボスニア内戦の進展をたどる中で、セルビア人、クロアチア人、ボスニア人、三者それぞれが行なった残虐行為が詳細に分析される。民族紛争というと、価値観の折り合いがつかないところに問題点を見出したくなる。また、“悪い”セルビア人が“かわいそうな”ボスニア人に対してジェノサイドを行なったという図式的な見方が一時マスメディアを中心にはびこっていたが、その一面的な誤謬はすでに指摘されている(たとえば、高木徹『戦争広告代理店』→こちらを参照のこと)。本書によると、残虐行為の動機にしても行動様式にしても、三民族とも実は全く同様のロジックをとっている、つまり、三民族とも同じ価値観を共有していたところに問題の本質があると指摘されている。
旧ユーゴの体制が機能不全に陥ってしまった混乱状況の中、各地で様々な地域エゴが噴出し始めたのがそもそもの発端である。ただし地域ごとに事情は様々で、民族や宗教はあくまでも諸要因の一つにすぎず、本来的には民族紛争として一般化できる性質のものではなかった。しかし、人々の不満をたくみに吸い上げるべく一部の政治指導者が民族主義的な言説を利用し、民族紛争・宗教紛争という外被がかぶせられることになった。すなわち、第二次世界大戦における「ジェノサイドの記憶」を覚醒させ、情報操作によって「集団的記憶」=民族意識に高めていく。三民族とも、「自分たちこそがジェノサイドの被害者だ」という被害者意識を宣伝していた点では全く共通している。住民の不安はかきたてられ、「ジェノサイド」の恐怖から逃れようと結束、自衛のためという名目の下で「敵」とみなした相手への残虐行為も含めて政治動員される。いったん社会が無秩序状態に陥ってしまうとそれまで抑えられていた様々な不満や、時には私的な残虐な欲望までもが暴力として表出する。こうした暴力が自衛のためという大義名分の下で正当化されてしまい、政治指導者はそれを利用して自らの権力基盤強化を図る。デイトン合意では三民族の領域を分割することで棲み分けが期待されたが、しかしこうした枠組みを固定化してしまうことでむしろ民族主義者の権力を温存するメカニズムになってしまったと著者は指摘する。依然として「ジェノサイドの脅威」を口実とするアイデンティティ・ポリティクスは継続されているという。
“民族”なるものの本質に排外主義や暴力性が潜んでいると単純化できるのではなく、複雑な要因の絡み合いの中から人間集団の差異化→相互反目の負のスパイラル→それが“民族紛争”“宗教紛争”という衣をまとう、こうしたプロセスが明瞭に描き出されている。“民族”概念の流動性、時には恣意的な操作対象となりかねない危険性はよく指摘されるところだが、その具体的なケース分析として説得力のある研究だと思う。
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