「帝国オーケストラ」
「帝国オーケストラ ディレクターズカット版」
事実上、ナチスの宣伝部隊と海外からは受け止められるようになってしまった栄光のベルリン・フィル。当時を知る高齢の元楽団員や遺族へのインタビューに記録映像をまじえて構成されたドキュメンタリーである。音楽は政治に対して純粋に中立を保てるのか、音楽家自身の主観としては良心的たろうとしても、その無邪気な楽観こそが政治利用されるスキになりかねない危うさ、そうした問題を問いかけてくる。
ベルリン・フィルはフルトヴェングラーの下で歴史上一番の黄金期を迎えていた。しかし、独立採算の楽団運営へのプライドとは裏腹に、国内経済の低迷状況の中、経営難に陥っていた。宣伝相ゲッベルスは財政支援を決定、“第三帝国”に買収されることになる。
楽団内でブイブイいわすナチ党員に他の楽団員は眉をひそめていたが、かといって、ユダヤ人の同僚4人が追放されるにあたり彼らは何も言えなかった。いまの地位を失い、音楽が続けられなくなることが恐かったからだ。むしろ、早めに国外脱出できた点ではまだ良かったのかもしれない。両親のいずれかにユダヤの系統があって立場的に曖昧だがフルトヴェングラーの尽力で何とか楽団に残れた人がいるのだが、いつ強制収容所に送られるかと毎日怯えながら暮らし、この恐怖感は人格形成にも深刻な影響を与えて一生ついてまわったという。なお、このときに追放されたうちの一人、シモン・ゴールドベルクは日本で天寿を全うしている。
フルトヴェングラーはユダヤ人演奏家を守ろうとナチスに抵抗したし、ヒンデミット事件ではナチスから非難もされている。それなのに、なぜ国外に亡命しなかったのか? 中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』(幻冬舎新書、2007年)は、この二人の確執を描くにあたりナチスの時代から説き起こすが、ヒトラーお気に入りというフルトヴェングラーの立場がますます泥沼にはまってしまう様子が興味深い。彼はナチスとは距離を取りながらドイツに残って音楽を続けるつもりだった。帝国音楽局副総裁(総裁はリヒャルト・シュトラウス)は辞任したものの、ドイツ国内にいるかぎり政治的に狡猾な彼らの手から逃げ出すことなどできなかった。なぜ残ったのか。彼はカラヤンの若き才能に嫉妬しており、自分がいなくなったらカラヤンがベルリン・フィルの後釜に居座ってしまうと恐れたのではないかと中川氏は推測している。
フルトヴェングラーはともかく、楽団員たちに他にどんな選択肢があり得たのか。彼らを責めても意味がない。自分たちの置かれた立場の難しさ、それを振り返りながら捉え返していく語り口に興味を持った。
【データ】
原題:Reichsorchester
監督:エンリケ・サンチェス=ランチ
2008年/ドイツ/97分
(2008年12月1日レイトショー、渋谷・ユーロスペースにて)
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