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2008年12月21日 (日)

『文芸台湾』を眺めて

 先日、私の祖母が『文芸台湾』の同人であったことを初めて知って(→こちらを参照のこと)、国会図書館でバックナンバーを調べた。一応揃ってはいるものの、創刊号がない。保存状態は悪くて、第二巻を除き、複写禁止。幸い、祖母の小説の載った巻は後日複写なら可とのことでカウンターに持って行ったら、当該ページが破れかかっている。「うーん、申し訳ないですが、これはちょっと無理ですねえ…」と係の人。「えーっ、このページが一番欲しいんですよ」と哀願するような表情をしたら、何とか複写許可を出してくれた。本当にありがとうございました。「将来的にマイクロフィルム化される予定はあるんですか?」と尋ねたら、「いやあ、予算がつかない限りどうにもなりませんねえ…」とのこと。コピーはできず、覆刻版もないことだし、しばらく土曜日ごとに国会図書館に通いつめることになりそうだ。

 時間に余裕がなかったので、目次を中心にざっと眺める。目ぼしい人物を拾い上げていくと、まず西川満については以前に触れたことがある(→こちら)。
矢野峰人:台湾文芸家協会会長となっている。台北帝国大学教授で英文学者、とりわけ詩論に詳しい。『ルバイヤート』は日本ではフィッツジェラルドの自由訳を通して最初に紹介されたが、矢野の重訳によるものを見かけた覚えがある。
島田謹二:台北帝国大学助教授で比較文化論。後に『華麗島文学志』という大著を出したが、私は未読。一般的には、『ロシヤにおける広瀬武夫』『アメリカにおける秋山真之』が知られているだろう。
中村哲:台北帝国大学助教授で政治学者。柳田國男を政治思想史の観点から取り上げた論文を読んだことがあったような覚えがある。戦後、法政大学学長を務めた。
前嶋信次:この頃は台南第二中学校教諭→満鉄東亜経済調査局。彼が台湾時代に書いた「媽祖祭」(杉田英明編『〈華麗島〉台湾からの眺望 前嶋信次著作選3』平凡社・東洋文庫、2000年、所収)を読んだことがあるが、幻想的でなかなか美しい文章だった。イスラム研究の先達として慶應では井筒俊彦と双璧をなす。前嶋の自伝『アラビア学への途──わが人生のシルクロード』(NHKブックス、1982年)は以前に取り上げたことがある(→こちら)。
金関丈夫:台北帝国大学医学部教授。人類学者。『文芸台湾』では毎号、美術批評もやっている。林熊生という筆者名の小説も時々見かけるのだが、これは金関のペンネームらしい。幅広くて面白そうな人だ。池田敏雄と共に『民俗台湾』を出す。
池田敏雄:当時、黄氏鳳姿という少女の本が話題になっていたらしく、『文芸台湾』で毎号のように広告が出ている他、綴方教室で有名な豊田正子との往復書簡も見かけた。公学校(台湾人向けの小学校)の教員をしていた池田の教え子で、池田が彼女の才能を発掘したのだという。池田は台湾生まれ、いわば下町にあたる萬華に早くから馴染んでいて、民俗学的な発掘に力を注ぐようになった。日本の敗戦後、黄氏鳳姿と結婚、一緒に日本に渡ってからは平凡社に勤務(李筱峰・荘天賜編『快讀台湾歴史人物Ⅰ』台北:玉山社、2004年を参照。なお、この本は台湾史の重要人物を60人ほど取り上げているが、その中に日本人の池田についても敢えて一項目を立て、彼を皇民化運動に反対し、心の底から台湾を愛した日本人として高く評価している)。川村湊『「大東亜民俗学」の虚実』(講談社選書メチエ、1996年)は池田や金関らの『民俗台湾』は日本主導で台湾を周縁化する試みだったとするが、呉密察(台湾大学教授)「『民俗台湾』発刊の時代背景とその性質」(藤井省三・黄英哲・垂水千恵編『台湾の「大東亜戦争」』東京大学出版会、2002年、所収)は川村に対して、池田が台湾文化の消滅を憂えていたことを正当に評価すべきだと批判している。
龍瑛宗:当時は台湾銀行員。『改造』懸賞小説で入賞したこともある。最近、『憤れる白い鳩 二〇世紀台湾を生きて──六人の女性のオーラルヒストリー』(明石書店、2008年→こちら)という本を読んだばかりで、これに龍瑛宗の妻が彼との葛藤を語る章があった。今回、祖母の小説を彼が論評する記事を見かけ、妙なつながり方をしたものだと感慨深い。
張文環:肩書きは台湾映画株式会社文芸部長となっていた。彼は後に西川と袂を分かち、『台湾文学』を創刊。西川の耽美的傾向とは異なり、こちらはリアリズム路線をとる。
・他に、周金波黄得時楊雲萍邱炳南〔追記:若き日の邱永漢のペンネーム〕、濱田隼雄といった名前はどこかしらで見た覚えがあった。装丁をしている立石鉄臣というのは何者なのだろう? 所属が台北帝国大学となっていた。

 当時、台北帝国大学医学部教授だった森於菟(森鴎外の長男)のもとを訪れる記事も見かけた。西川を軸として、台湾における文化人サークルが広がっていた様子がうかがえて興味深い。どうでもいいが、画家たちの絵の間に挟まって何やら子供落書きのような狐?の絵を見かけた。作者名は、潤・5歳~ヶ月となっている。西川満の子息で、現在は早稲田大学名誉教授(開発経済学)西川潤氏の幼少時の絵。いやはや、親ばかというかなんというか。

 台湾愛書会の『愛書』という雑誌の広告も毎号のように見かけた。広告掲載の執筆者名で私が何らかの形で見た覚えのある人を適当に拾い上げると、上掲の西川・島田・前嶋の他、移川子之蔵(台北帝国大学教授・民族学)、浅井惠倫(台北帝国大学教授・言語学)、神田喜一郎(台北帝国大学教授・東洋史学。なお、私は中央アジア史に興味を持っていた時期があって、神田の名前を見ると『敦煌学五十年』という本を思い出す)、尾崎秀眞(尾崎秀実・秀樹たち兄弟の父親)といったあたりか。それから、田大熊という人が気になった。私の祖父が台北第二中学校に勤務していて、その時の校長が田健治郎(元台湾総督)の息子で田英夫(元社民党参院議員)の父親だったと間接的に聞いているのだが、手掛かりがつかめなかった。ひょっとしてこの田大熊という人がその人だろうか。あくまでも推測に過ぎないが。〔追記:今月刊行されたばかりの『田健治郎日記1』(芙蓉書房出版)を見たところ、田家の家系図が載っていて、英夫の父親は誠という人でした。田大熊氏は関係ないようです。〕

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コメント

『文芸台湾』なら『華麗島』と一緒に台湾で復刻版が出ていますよ。創刊号も収録されています。日本の大学図書館にも所蔵されているので、閲覧や複写もできると思います。
http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/HolderList?txt_docid=NCID%3ABA62218176

それより『文芸台湾』の同人だったというお祖母さまの話、とても気になります。

投稿: 通りすがり | 2009年4月 7日 (火) 01時54分

何度もすみません。

田大熊は台北帝大で久保天隨に学んだ台湾人です。

投稿: 通りすがり | 2009年4月 7日 (火) 02時25分

貴重な情報をいただきまして、ありがとうございました。助かります。祖母からは機会をみつけてもっと話を聞いておかなくてはと思っているのですが、予備知識を勉強中です。

投稿: トゥルバドゥール | 2009年4月 8日 (水) 01時24分

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