池内恵『イスラーム世界の論じ方』
池内恵『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2008年)
第Ⅰ部はイスラーム政治思想をめぐる論文が中心、第Ⅱ部以降は時事評論的な文章を集めている。興味を持った論点をいくつか拾い上げてみると、
・イスラーム世界における政教関係をどう捉えるか? 啓示法=宗教、世俗法=国家とを2つの円で示し、従来の「イスラーム=政教一致」論はこの両者の重なる部分だけに局限した議論にすぎず、イスラーム世界の政治現象を総体として把握する視野とはなり得ていないと指摘。神→啓示法→ウンマという垂直的なイスラーム教徒自身としてあるべき心象風景を前提としつつ、現実におけるこの2つの円の重なり合った3つの領域をどのように画定し、どのように関係付けるのか、そうしたダイナミズムに宗教政治を捉える論点を合わせる。
・主流派の政治思想:政教の重なっている部分に着目→宗教的規範を拡大解釈して、理想と現実とのズレを最小限に縮めるよう読み替えながら現状肯定→各国政府の統治を正統化
・対して、現状批判的な政治思想:イスラーム原理主義の3形態
①2つの円を内包する全体社会から離脱して共同生活→自分たちだけの孤立的なウンマを目指す
②宗教の領域から政治の領域へと攻撃→少数の政治支配者が悪いとして、例えばサーダート暗殺
③宗教の領域以外のすべて(非イスラーム世界の含めて)を消滅させて国家=宗教=社会の状態を目指す→背教者とみなされた人々の暗殺、外国人観光客への襲撃、さらには九・一一事件
・以上は、理想的秩序についての宗教的規範を前提として、理念→現実の乖離というベクトルで考える方向性。対して、社会的・歴史的存在としての現実を前提として宗教的規範を相対化できた思想家としてイブン・ハルドゥーンを高く評価(以上、「イスラーム的宗教政治の構造」)
・デンマークのムハンマド風刺画問題をどう考えるか? 著者はイスラーム世界に触れてきた人間としてムハンマドの顔を描くことがいかにイスラーム教徒にとって深刻なことであるかよく認識しているし、他方で、世俗主義・自由主義の原則に基づく西欧社会にとって納得しがたいところも理解できるという。これは宗教対立ではなく、双方の価値原理のズレの表面化。「他者に寛容であれ、イスラームを理解しよう」とよく言われる。こうした言説には、近代的な自由主義の理念と相通ずるものが彼らにもあるはず、本来なら分かり合えるはず、問題をおこすのは一部の狂信者だけだ、という希望的観測が含意されている。しかしこうした楽観論は、たとえばテロなどで期待が裏切られるにつれて、ますます相手への偏見を強めかねない。むしろ、根本的な価値規範が両立しがたいという現実を直視するところから始めるべき。直視→敵対関係不可避というのではなく、だからこそ衝突を避けるための方策を考え続けなければならない。いまのところ、結論はない。
自衛隊のイラク派遣、日本人人質殺害事件と続いたとき、これを中東の問題として捉えるのではなく、自衛隊派遣是か非か、とか、自己責任云々、という日本国内における議論枠組みに収斂してしまった時期があった。アメリカ批判、日本政府批判が初めにありきで、「イスラーム=犠牲者」と位置づけ、彼らになりかわって体制批判の議論を行なう日本の進歩的知識人。そうしたあり方を問題視するコメントを著者が示していたのをみて感心した覚えがある(この時の論考も本書に収録されている)。
左にせよ、右にせよ、何でも内向きに矮小化してしまうような議論は本当にウンザリ。右は右で、中国批判初めにありきで、フリー・チベット、フリー・ウイグルとやっている輩がいるし。議論の枠組みそのものが対米依存、対中依存になってしまって、現地の事情が頭越しにされている。地に足のついた議論をするためにこそ、現地の事情を熟知した専門家の意見に耳を傾ける必要があるだろう。
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