« 番線! | トップページ | 吉田徹『ミッテラン社会党の転換──社会主義から欧州統合へ』 »

2008年12月 5日 (金)

池谷薫『蟻の兵隊──日本兵2600人山西省残留の真相』『人間を撮る──ドキュメンタリーがうまれる瞬間』

 池谷薫『蟻の兵隊──日本兵2600人山西省残留の真相』(新潮社、2007年)は、軍人恩給の支給を求めて国を提訴する元日本兵たちから説き起こされる。日本の敗戦後も現地にそのまま部隊が残留したケースがいくつかあったことは知られているが、山西省残留部隊もその一つ。将官たちの間で戦後日本復興のための戦力温存、資源確保を目的として部隊残留を画策する動きがあり、他方、中国側の軍閥・閻錫山には八路軍と戦うため日本の精鋭部隊を手元に置いておきたいという思惑があった。閻は日本の陸軍士官学校出身であり、反共主義という点でも利害は一致。だが、全日本軍には帰国命令が出ているし、何よりも戦い疲れた兵士たちは一刻も早く故郷へ帰りたい。それにも拘わらず、上意下達の組織文化を利用して、有無を言わさず“自発的に残留”させた。

 共産党との内戦に駆り出された彼らのうち500名以上が戦死、その他は捕虜となって帰国できたのは昭和30年代になってから。すでに高度経済成長が始まっている時期だ。日本にようやく帰国してから驚く。“自発的”に除隊して“勝手に”残留した→民間人である→従って、元軍人としての恩典はない。シベリア抑留者は帰任するまで軍人としての身分が認められていたのに。戦争が終わったのに、好きこのんで戦い続けたわけではない。国家の論理に人生を振り回された彼らの憤懣はどこにぶつけたらいいのか?

 なお、この部隊の司令官は閻錫山の取り計らいで戦犯指名を逃れて帰国、きちんと特別恩給ももらっている。閻自身も台湾に逃げた後、国民党政権の行政院長も務めた。

 池谷薫『人間を撮る──ドキュメンタリーがうまれる瞬間』(平凡社、2008年)は、「蟻の兵隊」も含め、著者自身がドキュメンタリーを製作した背景を語る。一人っ子政策の矛盾や国境地帯の担ぎ屋たちのバイタリティーなどのテーマも目を引くが、興味を持ったのは、第一に「蟻の兵隊」の奥村和一が、かつて自らの手で中国人を殺害した現場を訪れたときのこと。加害の体験を思い返すのはそれ自体苦しいことだろうが、“日本兵”に戻ってしまうシーンが印象的だった(適切なたとえかどうか分からないが、スティーヴン・キング『ゴールデンボーイ』を思い浮かべた。好奇心旺盛な少年が、いやがる元ナチの老人に「人を殺すってどんな感じ?」と問い詰めているうちに、それまで怯えていた老人が昔の記憶を思い出すにつれて徐々にナチ時代の身のこなしを取り戻し、支配関係が逆転してしまうというサイコホラー)。それから、「延安の娘」で、捨てられた農村の娘が、北京に暮らす親に会ったときのぎこちなさも忘れがたい。

 語りづらそうなシーン、一触即発になりそうなシーン。常識的にはそこでカメラをとめるだろうところでも、むしろそこにこそドキュメンタリーを撮る緊張感を見出している。ひょっとしたら、残酷なことなのかもしれない。『人間を撮る』というタイトルを見たとき、なんか芸がないなあ、と思った。しかし、単にこんなひどいことがあったという報告に終わらせるのではなく、被写体となったその人自身の抱えた思いの機微を深く汲み取ろうとしている点で、まさに人間を撮ろうとしている。「蟻の兵隊」「延安の娘」とも評判は知っていたのだが未見。今度、探して観てみよう。

|

« 番線! | トップページ | 吉田徹『ミッテラン社会党の転換──社会主義から欧州統合へ』 »

ノンフィクション・ドキュメンタリー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 池谷薫『蟻の兵隊──日本兵2600人山西省残留の真相』『人間を撮る──ドキュメンタリーがうまれる瞬間』:

« 番線! | トップページ | 吉田徹『ミッテラン社会党の転換──社会主義から欧州統合へ』 »