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2008年11月 1日 (土)

溥儀とその周辺のこと

 大人が鑑賞するような文芸映画を私が初めて観に行ったのはベルナルド・ベルトルッチ監督「ラストエンペラー」だった。中学一年生のとき、同じく歴史が好きな同級生と一緒に。

 手もとに溥儀の『わが半生』(小野忍・野原四郎・新島淳良・丸山昇訳、筑摩叢書)がある。カバーやオビに映画の写真が使われた1988年の第20刷。「ラストエンペラー」を観た前後の時期に買って読んだものだ。最初、清朝崩壊から満州国建国にいたる波乱に満ちた政治史への興味から読み進めていたが、その辺りの叙述は退屈で、むしろ戦犯として拘留中の生活記録の方が面白く感じた覚えがある。生活上は完全な無能力者である溥儀が、日常の雑事にいちいち驚いている様子が印象的だった。引き続き、レジナルド・ジョンストン(入江曜子・春名徹訳)『紫禁城の黄昏』(岩波文庫、1989年)を買ったし、エドガー・スノー(梶谷善久訳)『極東戦線』(筑摩叢書、1987年)を図書館で借りて読んだ記憶もある。

 日本による対外侵略という不幸な時代を背景にしつつも、多様な人々が動機も様々に、国境を越えてぶつかり合っている姿に大きなドラマを感じて、漠然とではあったがこの時代のあり様に興味が尽きなかった。

 自伝や回想録の類いではどうしても避けられないことだが、溥儀の『わが半生』も肝心なところでは曖昧な箇所、虚偽の箇所がある。戦後の“人民中国”において更生した証とせねばならなかったわけだし、皇后たちとの関係については再婚した女性への慮りもあったらしい。何よりも溥儀自身の自己顕示的な韜晦癖も難物で、ゴーストライターだった李文達も史実の確定という点では色々と苦慮したようだ。入江曜子『溥儀──清朝最後の皇帝』(岩波新書、2006年)はそうした辺りも踏まえた史料批判の上で彼の人物像を描き出していく。

 溥儀の戦後における“韜晦”の一例として、満州国で御用掛を務めた吉岡安直のことが挙げられる。第三夫人・譚玉齢の病死は吉岡たちによる毒殺だ、と溥儀は東京裁判で証言した。しかし、入江曜子『貴妃は暗殺されたか──皇帝溥儀と関東軍参謀吉岡の謎』(新潮社、1998年)や中田整一『満州国皇帝の秘録──ラストエンペラーと「厳秘会見録」の謎』(幻戯書房、2005年)によると、溥儀に仕える吉岡の態度は実直で、むしろ溥儀と関東軍との間で板ばさみになってしまうような立場にあった。溥儀はそうした吉岡に信頼を寄せていた。溥儀の証言は保身のための濡れ衣だったようである。

 「厳秘会見録」とは、満州国皇帝として日本の要人に謁見した際、外部には流出させないという条件でつけられていた会見録。溥儀から信頼を得ていた通訳・林出賢次郎によって記録されており、戦後も林出家で保管されていた。波多野勝『昭和天皇とラストエンペラー──溥儀と満州国の真実』(草思社、2007年)もこの会見録に依拠している。なお、林出は、関東軍参謀長として赴任してきた東条英機の圧力により解任され、その後は母校・東亜同文書院に戻り、戦後は昭和天皇の中国語通訳も務めたらしい。

 映画「ラストエンペラー」での皇后・婉容とイースタン・ジュエルこと川島芳子との絡みにはいかにもベルトルッチらしい官能的な退廃感があって、まだ中学生だった頃の私には結構強烈だった(もちろん、フィクションだが)。入江曜子『我が名はエリザベス──満州国皇帝の妻の生涯』(ちくま文庫、2005年)は、婉容のモノローグという形式で、アヘンに耽溺していく彼女の心の動きを語らせる。視座を彼女に置いたことで、溥儀を取り巻く権力闘争もどこかニヒルに相対化されていくところが面白い。なお、寺尾紗穂『評伝 川島芳子──男装のエトランゼ』(文春新書、2008年)は、日中の狭間にあった川島の不安定な葛藤がよく整理されており、興味深く読んだ。

 戦後中国において、溥儀の関係者もそれぞれに多難な人生を送らねばならなくなった。入江曜子『李玉琴伝奇──満州国最後の〈皇妃〉』(筑摩書房、2005年)は、庶民から溥儀の妃に選ばれた第四夫人・李玉琴の生涯を、とりわけ戦後に焦点を合わせて描く。溥儀自身の“性的”問題もあって関係はあまりしっくりしていなかったようだが、やはり“人民の裏切者”の妻であった過去は文革期において深刻だ。自らの身の“潔白”を証明するため、彼女は溥儀を糾弾せねばならなくなる。溥儀自身は文革の成り行きに怯えつつも、これといった被害も受けないまま病死した。

 蛇足ながら満州国関連では、外交部長や駐日大使も務めた謝介石という人物の存在が気にかかっている。台湾出身で日本の明治大学に学んだ後、中国に渡る。溥儀の復辟を画策した張勲に仕えた。謝介石が満州国の高官となったのをきっかけに台湾出身者で満州国へ仕官を求めてやってくる者が増えたという。田村志津枝『李香蘭の恋人──キネマと戦争』(筑摩書房、2007年→こちらの記事を参照のこと)でも指摘されていたが、当時の台湾人は植民地という立場的曖昧さを逆利用される形で、“日中の掛橋”として汪兆銘政権や満州国など日本の傀儡政権で重用されたらしい。

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