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2008年11月18日 (火)

ステファン・コルキュフ『台湾外省人の現在──変容する国家とそのアイデンティティ』

 今年の正月は台北にいた。1月1日は中華民国の建国記念日にあたり、この日を期して、蒋介石の銅像の鎮座する中正紀念堂は台湾民主紀念館と改称された。いわゆる“正名運動”の一環だが、立法院・総統選挙を間近に控えた政治の季節、政権腐敗で支持率低下に悩む陳水扁が族群対立を煽って挽回しようとする意図にも合致するタイミングだった。宿舎でテレビをつけたら、独立派と統一派がつかみ合わんばかりに激論をかわす姿が映し出されていた。

 翌日午前、私も台湾民主紀念館に足を運んだ。自由広場と改称されたそこは、前日の喧騒とは打って変わって静かだった。長い階段のふもとのあたり、車椅子の老人が一人ひっそりと佇み、扁額の架け替えられた紀念堂をじっと見上げている。私がちょうど通りかかったとき、日本人観光客がこの老人に話しかけるところだった。一瞬の間があった。観光客が「日本語、わからない?」と言うのとほぼ同時に、その老人は中国語で何やらまくし立て始めた。老人は外省人なのだろう。くだんの日本人観光客には、ある年齢以上の台湾人なら日本語教育を受けているはずだという考えがあったのだろうが、本省人と外省人との微妙な関係について配慮する用心を欠いているのは軽率だと思った。すぐ隣の国なのに、“親日的”な台湾に好意を抱く日本人がこれだけ多いにも拘わらず、台湾社会の多元的な複雑さは意外と理解されていない。

 その老人は、彼ら外省人が台湾にいることの“正統性”が一つ一つ消し去られていくことに様々な思いをかみしめていたのだろう。前日テレビで見た声高に議論する人々とは異なり、この老人の無表情な静けさが印象に残っている。

 外省人、と一言でいっても、台湾の外から来たことを意味するだけで、その出身地は様々だ。大陸は広い。国民党の進めた国語政策には、台湾人だけでなく、この方言的にバラバラな外省人をも統合しようという目的もあった。外省人というエスニック・グループが初めから鮮明だったのではなく、二・二八事件や白色テロで本省人が国民党への不信感を募らせる中、その敵愾心から逆規定される形で外省人として一括りにされたと言える。

 いわゆる本省人には、日本→中華民国と支配者が交代する歴史の中で、自分たち自身の政治的アイデンティティを定位できなかったという揺らぎがある。そうした本省人と対立的に捉えられがちな外省人もまた彼らなりに自己認識を見出せない困難を抱えている。ステファン・コルキュフ(上水流久彦・西村一之訳)『台湾外省人の現在──変容する国家とそのアイデンティティ』(風響社、2008年)は、外省人へのアンケート調査を踏まえ、理念的には大陸志向でありながらも、生活レベル・感性レベルではむしろ台湾に根を下ろしつつあるという乖離に外省人自身が戸惑っている姿を読み取ろうとしている。

 外省人の話す中国語にも時折閩南語のフレーズが混じり、彼らが台湾に土着化しつつある特徴の一つとして指摘される。政府に期待する政策項目としても経済や社会問題に関わるものが上位を占め、当面の生活には直結しない両岸関係のプライオリティーは最も低い。それに、親族訪問で大陸に行っても、生活意識の違いからもはや故郷にはなじめないことに気づいてしまうケースも多いらしい。

 両岸関係が膠着状態にある現在、もはや台湾から離れて暮らすことはできない現実に外省人もうすうす感づいている。他方で、台湾本土化の政治的趨勢が不可避な中で疎外されていると感じ、また生活面でも挫折を味わっている彼らにとって、両岸統一というスローガンは一つの精神的拠り所となっている。たとえそこで言う祖国が観念的に想像されたものに過ぎないとしても。

 彼らの抱えている葛藤は統一か否かという単純な二項対立に収斂するものではない。現実としての土着化傾向と、それを自ら否定したい理念性というアンビヴァレンスは明確に割り切れる性質の問題ではないが、政治争点化されることで、この無理が外省人を苛んでいるという。言説化→実際の生活感覚を押し殺してしまうという矛盾。その点で、著者は個人的見解とことわりながら、外省人庶民を苦しめているのは他ならぬ外省人政治家たちだと指摘する。著者の結論に賛成するかどうかは別として、外省人の抱える感性面での相克に焦点を合わせた研究は少ないとのことで、現代台湾社会を理解する上で本書は必読の文献であろう。

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