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2008年11月26日 (水)

スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』

G・C・スピヴァク(上村忠男訳)『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房、1998年)

 サバルタン(従属的立場にある人々)は語ることができない。それでは、我々が透明な第三者として、彼らになり代わって語ることができるのか。ここで気をつけねばならないのは、本書は、“弱者”なるものを、声を上げることのできない具体的な社会階層として捉える議論とは異質であること。そうした大文字の“正しい”議論もまた、かえって“弱者”なるものの本質主義的固定化→それ自体が抑圧の機能を果たし得る。

 本書ではインドのサティの風習が取り上げられている。「白人の男性たちは、茶色い女性たちを茶色い男性たちから救い出そうとしているのだと言いながら、そのような言いかたのもとで、実は言説的実践の内部にあって、良き妻であることと夫の火葬用の薪の上で自己を犠牲に供することとを絶対的に同一視することによって、それらの女性たちにいっそう大きなイデオロギー的強制を課す結果となっているのである」(105ページ)。かと言って、名指し→対象把握ができなければ、考えるとっかかりすらつかめない。

 「思考とは…テクストの空白部分である」というデリダの言葉をスピヴァクは引く。透明な第三者という立場(それは必然的に偽りとならざるを得ない)からの言説化そのものが権力的ベクトルを帯びてしまうというもどかしさを抱えながら、語ってはこの言説構造を崩し、という繰り返しの中で、語られざる何かに接近していくしかないのだろう。デリダにしても、本書にしても、表現が回りくどくて読みづらいのは確か。ただし、それは頭の悪い学者の衒学趣味とは全く違う。明確な結論を引き出して分かったつもりになるよりも、こうしたもどかしさそのものを追体験していくところに本書を一読してみる価値がある。

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