石田一志『モダニズム変奏曲──東アジアの近現代音楽史』
ここしばらく、江文也という作曲家に興味を持って少しずつ調べている。侯孝賢監督「珈琲時光」が私は大好きで、この映画で彼の名前を知って以来ずっと気にかかっていた。戦前の台湾出身。日本で名を成し、戦中に北京に行ったまま日本の敗戦を迎え、文化漢奸の容疑をかけられたものの中華人民共和国に仕える、が、文革に巻き込まれたり、と彼の人生そのものが東アジア現代史の一側面を体現している。
今年、彼が戦争中に刊行した『上代支那正楽考──孔子の音楽論』(平凡社・東洋文庫、2008年)が復刊された。解説として付された片山杜秀「江文也とその新たな文脈──1945年までを中心に」という論文が秀逸だった。江は亡命ロシア人音楽家チェレプニンに引き立てられ、彼の影響で中国の伝統に目を開かされたこと、同様にチェレプニンに見出された伊福部昭と並べているあたりなど非常に興味深い。江文也のことはまた機会を改めて。
江文也について文献検索をしているうちに、石田一志『モダニズム変奏曲──東アジアの近現代音楽史』(朔北社、2005年)を知った。先日このブログでも取り上げた片山杜秀『音盤考現学』『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング、2008年)にしてもそうだけど、従来はマイナーだった日本や東アジアの近現代音楽史研究からまとまった成果が現われつつあるのが嬉しい。
私は高校生の頃から現代音楽には興味があって、CDのライナーノーツで石田一志という名前は見かけていた(確か、ショスタコーヴィチの交響曲だったと思う)。大学に入って石田先生が講師で来ているのを知り、迷わず受講した。ポール・グリフィス『現代音楽小史』(音楽之友社、1984年)をテキストに、楽曲を聴かせて適宜解説を加えるというオーソドックスな進め方だったけど、私にはとても面白くて休まずに出席していた。スティーヴ・ライヒやグレツキを好きになったり、ジョン・ケージの有名な「4分33秒」を初めて聴いた(?)のもこの授業だった。いつの間にか東アジア音楽史なんていう分野を切り開いていたとは知らなかった。
日本・中国(補章として香港・台湾を含む)・韓国の三部構成、それぞれ19世紀から現代に至る音楽史を時系列に従ってまとめている。作曲家を中心に事典的な項目を通史的に並べたという感じで、分析の切り口に特に斬新さがあるわけではない。しかし、旧満洲国が中国に残した音楽的影響、文革の問題、朝鮮半島なら親日派や南北対立など、東アジアには音楽だからと言って政治的にナイーブでは済まされない難しさがある。本書の一見無味乾燥な叙述は、そうした政治評価から距離を置く姿勢にもなっており、安心して読める。500ページを超す大著だが、眺めているだけでも色々なつながりが見えてくるのも面白い。たとえば、チェレプニンは日本で江文也や伊福部昭などを発掘する一方、中国でもその後の音楽界をリードする人材を育成していることなど初めて知った。知らない音楽家の名前が出てきたときにすぐ調べられるようレファレンス本として手もとに置いておきたい。
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