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2008年11月 9日 (日)

胎中千鶴『葬儀の植民地社会史──帝国日本と台湾の〈近代〉』

胎中千鶴『葬儀の植民地社会史──帝国日本と台湾の〈近代〉』(風響社、2008年)

 “政治”レベルの問題というのは言説化しやすく、従って明快に整理しやすい。しかし、日常生活に根ざした変化というのは、当事者にとってごく当たり前の空気のようなものだが、それだけに、その社会にとって本質的なものをはらんでいる。本書は葬儀というテーマに着目し、抵抗・妥協・流用と様々な受容のあり方を通して日本の植民地支配が台湾にもたらした葛藤、“台湾でありながら日本化する”という方向性の抱えた困難を捉え返そうとしている。

 もともと台湾社会に火葬の風習はなかった。日本の台湾統治初期において衛生対策にも力を入れようとしたが、日本人=火葬=衛生的/台湾人=土葬=不潔、という図式が出来上がってしまった。当時、日本内地においても火葬が必ずしも一般的ではなかったこと、台湾社会において土葬は不潔とはみなされていなかったことを考え合わせると、こうした差異化が両者の文化的意味づけを作り上げてしまう一助となった可能性がある。1915年の西来庵事件で道教的民間信仰が核となっていたことに衝撃を受けた総督府は宗教政策にも力を入れ始めるが、日本仏教界が台湾在来の仏教寺院を取り込む形で乗り込んできた。1930年代以降の皇民化政策において火葬も含めた“葬儀改善”=内地化が進められたが、その際には仏式が主流となり、神道系は入り込めなかったというのも面白い。

 抗日民族運動指導者たちの直面した葛藤に私は関心を持った。彼らは高度な近代的教育を受けた知識人として、伝統的な“陋習”は台湾の近代化を阻む要因となっているという認識を持っていた。たとえば蒋渭水が亡くなったとき(1931年)、迷信打破という考え方から伝統色・宗教色を排して簡素な“大衆葬”が行なわれたが、これは当時の台湾社会の中でも先鋭的で、結局は根付かなかった。彼ら知識人にとって、近代化という軸において“陋習”は否定されねばならない。他方、民間信仰や伝統的習俗は民衆生活レベルでは大きな精神的支柱となっており、台湾人アイデンティティーの皮膚感覚的根拠になっていたとも言える。民族運動指導者としてそれを否定することができるのか。近代化が、統治者である “日本経由の近代”を意味してしまう植民地社会にあって、近代化志向の知識人たちは、近代をとるのか、民族的アイデンティティーの根拠としての伝統をとるのか、というアポリアにぶつからざるを得なかった。そうした“政治”という次元では抽象化されて見えづらくなってしまう葛藤が、葬儀という社会生活レベルで具体的に表面化したことを本書は明確に浮き彫りにしており、非常に興味深い研究である。

 また、“日本経由の近代”にどれほどの実体があったのかも分からない。植民地の統治階層としての在台湾日本人は、台湾人の視線にさらされながら“近代的”たるべく振舞わざるを得なかった。しかし、そうした日本人自身にも心情的揺らぎがあったのではないかという本書の指摘も示唆深いように思う。

 話を広げると、朝鮮近代文学の祖とされる李光洙にしても、“日本経由の近代”を軸として朝鮮社会の後進性を批判するというロジックをとっており、統治者への阿諛追従としての“親日派”とは言えない。本書でも台湾の“皇民作家”に触れられているように、皇民化政策を通して“近代”と“日本”とを分かちがたく内面化せざるを得なかった彼らは、抗日/親日という単純な図式では捉えきれないもっと複雑なアイデンティティーの葛藤を抱えていた。そうしたあたりを汲み取ろうとする研究動向が近年ようやく進んでいることに私は関心がそそられている。

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コメント

http://www.eonet.ne.jp/~kinyofc/report/01.html
によると、台湾では、

「遺体の安置期間は日本より長く、死後平均14〜21日というのが相場らしい。通常は3日〜60日間の間に日取りが決まるものだが、場合によっては半年、1年という場合もある。
 殯儀館などに遺体を搬送した場合は冷蔵保存室に入れられるが、自宅で保存する場合は暑い台湾のことだからなおさら話が大変になる。台北市内などでは少なくなってきてはいるが、台中などではまだまだ自宅葬が多く、このため自宅保管用冷蔵庫の貸し出しなども行っている、という話だった。」

 これは『最新事情』ださうだが、冷蔵技術の無い戦前は、土葬に至る前に、相当程度、遺体が腐敗してゐる可能性は高いのではないだらうか。

 清が台湾を手放す際、その理由の一つが、台湾に於ける風土病の猖獗である。日本の統治も、早晩、失敗するであらうと踏んでゐた。

 ともかくも、現在では、冷凍技術の手助けで、『伝統的習俗』なるものが護られてゐる事を考へるのなら、「葬儀の植民地社会史」なる本の題名は、あまりに左翼じみたバイアスの掛る見方ではないだらうかと、わたしなどは、眉に唾するのだが、如何であらうか。


 事實、台湾平定のために送り込まれた日本陸軍は、5000名の死者を出したが、其の内戦闘による死者は、150数名、その他4800名以上は、病死者であつたと言ふ。

 その中に、当時の『死病』である脚気の死者もあつたので、全員風土病といふ訳ではないが、台湾人自身も、当時の平均寿命は、30歳代であつたと記憶する。

 と、まあ、そんな事情もあつたのではないだらうか。

投稿: neverneverland | 2009年7月15日 (水) 13時39分

neverneverland様
お説拝聴いたしました。以上。

投稿: トゥルバドゥール | 2009年7月15日 (水) 13時51分

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