« 大谷渡『台湾と日本──激動の時代を生きた人びと』 | トップページ | 『憤れる白い鳩 二〇世紀台湾を生きて──六人の女性のオーラルヒストリー』 »

2008年11月10日 (月)

喜田貞吉のこと

 私は高校生の頃、江上波夫に憧れを持っていた。大学に入って考古学の授業を受けたとき、テキストの鈴木公雄『考古学入門』(東京大学出版会、1988年)に、いわゆる騎馬民族説は戦前における喜田貞吉の日鮮同祖論の焼き直しとも言えるという趣旨の一文があって、それ以来喜田の名前が気にかかっていた。

 喜田はいわゆる法隆寺再建論争で一方の論陣を張ったほか、国定教科書の編纂にあたっていたとき南北朝並立の記述をしたため右翼から攻撃されて休職に追い込まれたことでも知られる(いわゆる南北朝正閏問題)。歴史記述は公正な立場から行なわねばならないという姿勢がうかがわれるし、もう一つ彼には、歴史学は社会問題の解決に役立たなければならないという熱意もあった。具体的には、被差別部落の問題に歴史学の立場から取り組んだ先駆者とされている。

 彼は、日本人は混合民族であるという見地に立っていた。大陸系、マレー系、様々な種族が日本列島に渡来する中、“天孫民族”がそうした異民族を融合しながら現在の日本人が形成された(この点で、単一民族という純血主義は否定されている)。何らかのきっかけで取りこぼされた人々が、たとえば山窩、アイヌ、被差別部落などとして残存した、とされる。現在では考えられないことだが、当時、被差別部落は異民族であって日本人ではない、という考えが割合と強く、それが差別の根拠ともされていたらしい。喜田は、被差別部落もまた本来は融合されていておかしくなかった人たち→同じ日本人である→だから差別に根拠はない、というロジックをとった。

 韓国併合が強行される時代状況の中、喜田は同様のロジックを朝鮮半島に対しても適用した。それが日鮮同祖論である。彼の場合、朝鮮半島出身者が日本人によって差別されてしまうことへの憤りが動機であって、膨張主義とは本来的に異なる。その点では彼なりの善意であった。しかしながら、被差別部落問題とは異なり、独立別個の民族意識を持つ朝鮮半島の人々にとって彼の善意は到底受け入れられないものであった(以上、小熊英二『単一民族神話の起源──〈日本人〉の自画像の系譜』新曜社、1995年、を参照)。

 第一に、民族的境界線の内側に取り込むことで同朋意識を強調するのか、それとも民族的プライドを維持するため境界線を強化すべきなのかという問題。第二に、たとえ動機が純粋な善意であっても、その善意の置かれたコンテクストによってはかえって相手への知的暴力となりかねない困難。こうした二重の困難が喜田の議論に見え隠れする。

|

« 大谷渡『台湾と日本──激動の時代を生きた人びと』 | トップページ | 『憤れる白い鳩 二〇世紀台湾を生きて──六人の女性のオーラルヒストリー』 »

人物」カテゴリの記事

近現代史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197828/43065399

この記事へのトラックバック一覧です: 喜田貞吉のこと:

« 大谷渡『台湾と日本──激動の時代を生きた人びと』 | トップページ | 『憤れる白い鳩 二〇世紀台湾を生きて──六人の女性のオーラルヒストリー』 »