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2008年10月27日 (月)

西川満という人

 先日、西川満『ちょぷらん島漂流記』(中公文庫、1986年)という本を古書店で見つけ、珍しく思って買った。“ちょぷらん”というのは、秀姑巒の訛音。秀姑巒渓という川が台湾の花蓮県南部を流れているが、江戸時代後期、その河口あたりに漂着した日本人船乗りを主人公とする冒険譚。旧台湾総督府図書館所蔵の「享和三年癸亥漂流台湾チョプラン島之記」写本に基づき、原住民アミ族の習俗を織り込みながら空想を広げている。面白いかと言われれば微妙で、まあ、物珍しさで読んだというところ。セオリー通りにエキゾティシズムぷんぷんという感じ。

 西川満という人は、日本統治期の台湾を考える上で逸することのできないキーパーソンの一人だろう。1908年生まれ、台北一中を経て、西條八十に憧れて早稲田大学仏文科に入学。卒業後、恩師の一人である吉江喬松から「地方主義文学に一生をささげろ」と言われて、台湾に戻る。彼の父親は昭和炭鉱という会社の社長で台北市会議員も務める裕福な名士。そうした金銭的には不自由しない立場をいかして、出版社を経営したり、『文芸台湾』を創刊したほか、自らも多くの作品を発表、台湾における文芸運動をリードした。

 彼の基本的な態度は、美しい作品、読んで面白い作品を書こうというところにあり、本土の文壇に負けないものを台湾から発信していこうという意気込みを持っていた。それは、台湾という植民地の異国情緒をことさらに強調する傾向につながった。だが、これを裏返すと、台湾自体が当面する問題を文学として取り上げる契機がなかったとも言える。こうした西川のスタンスに在台湾の日本人作家・台湾人作家から反発の声があがり(文学上の方針ばかりでなく、西川個人への反発も強かったらしい)、張文環らが『台湾文学』を創刊、こちらはリアリズムを標榜する。なお、西川の『文芸台湾』が川端康成・横光利一など文壇の名士を名誉会員にそろえる一方で、『台湾文学』もやはり中央のプロレタリア文学運動と結びつきを示したあたり、植民地体制下において中央─辺境という構図を脱することの難しさが見て取れる。

 戦後、西川はどのように評価されているか。たとえエキゾティシズムが目的であったとしても台湾の歴史や民話の掘り起こしに努めたこと、たとえ御用文学的な傾向があったとしても台湾在住の作家たちに執筆の場を広く提供したこと、こうした点は肯定的に受け止めることができる。さらにもう一つ、戦後台湾独特な微妙さをはらむ問題がある。西川の台湾への愛着について、台湾ナショナリズムの立場からは“台湾意識”形成に貢献したと肯定的に評価される(たとえば、西川は“美麗島”という表現を好んで使ったが、これは戦後台湾における民主化運動の担い手となった政治雑誌のタイトルと同じである)一方で、中国ナショナリズムの立場からは所詮植民地主義に過ぎないと否定的に捉えられる。戦後台湾における“省籍矛盾”が西川評価にも大きな振幅をもたらしている(以上、フェイ・阮・クリーマン『大日本帝国のクレオール──植民地期台湾の日本語文学』慶應義塾大学出版会、2007年を参照)。

 西川は、1946年に日本へ引き揚げた後も作家活動は続けたが、ほとんど注目を浴びていない。1999年に逝去。

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