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2008年10月18日 (土)

「柳原白蓮展」

 今週は色々とてんてこ舞いだったので、書き込みをサボってました。とりあえず、「柳原白蓮展」(日本橋高島屋8階ホールで10月20日まで開催中)を水曜日に見に行ったこと。白蓮にそれほど興味があるわけじゃないけど、2週間弱という短い開催期間に何となく希少価値を感じて、昼にちょっと職場を抜け出した。

 柳原白蓮、本名・燁子(あきこ)。年の離れた筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門と見合い結婚。経済的には満ち足りていたものの、複雑な家庭環境に色々と悩む中、文学に自身の拠り所を求めるようになった。佐々木信綱に師事して歌人として立つ。黎明会と関わりの深い雑誌『解放』に戯曲を掲載したことが縁となり、当時同誌の編集業務に携わっていた8歳年下の宮崎龍介と駆け落ち。当時はまだ姦通罪のある時代だったし、龍介は龍介で「ブルジョワ女と駆け落ちとは何事か」と新人会(東大の社会主義系学生団体)を除名されたらしい。それだけ覚悟の上の大恋愛だったわけです。この時、龍介の親父である宮崎滔天は息子のために一肌脱いだという。さすが滔天、情の人! 白蓮の義兄・柳原義光は貴族院議員、叔母愛子(なるこ)は大正天皇の生母(つまり、白蓮は大正天皇といとこ同士)というお家柄。世間は一大スキャンダルに大騒ぎ。いわゆる白蓮事件です。

 そういえば、柳原義光が引責辞任を肯じず、宮中が大騒ぎしているシーンが佐野眞一『枢密院議長の日記』にあった。倉富勇三郎を究極のゴシップ記者と見立てるところが面白かったな。

 白蓮の夫への絶縁状は『大阪朝日新聞』にデカデカと掲載された。彼女の短い手紙をもとに、宮崎龍介と赤松克麿が手を加えて仰々しいものになっている。女性の地位向上とか一種の政治的デモンストレーションとしての意味を持たせようとしたんだろうが、夫の伊藤伝右衛門も律儀に反駁文を新聞に寄せているから面白い。展示されている紙面には「絶縁状を読みて燁子に与ふ(四)」とあるから、連載されたのでしょう。今だったらテレビのワイドショーでマイクを突きつけられたり、それこそ記者会見を開いたりという感じか。

 “ワイドショー”的ネタというのは大正時代から質的に現代まで通じているような気がする。ネタそのものはいつの時代でもあるでしょうが、それが世間的に消費されるあり方として。当時のいわゆる“新しい女”というのもその主役の一つ。

 平塚らいてうが作家の森田草平と心中未遂したり(その顛末は森田が『煤煙』という小説に書いているが、スキャンダルネタで当事者が手記を出版するようなもんだ)、有島武郎が女性新聞記者と心中したり。あるいは、大杉栄、伊藤野枝、神近市子の三角関係(正確には大杉には堀保子という妻がいたから四角関係か)がこじれた日蔭茶屋事件なんて最たるものでしょう。大杉を刺した神近は殺人未遂で実刑判決を受けて服役してます。彼女は戦後、社会党から出馬して当選しますが、ムショ帰りの代議士さんだったわけです(笑)。どうでもいいけど、当時の自我に目覚めた女性たちは年下男が好きなのか、平塚も5歳年下の画家志望青年とくっつく。夫唱婦随を否定しようという意識が働いているのでしょうか。年下の男の恋人を“ツバメ”と呼ぶのは平塚に由来。

 白蓮と姪の柳原徳子(歌人の吉井勇と結婚)、二人の並ぶ写真が目を引いた。白蓮は清楚に気品のある本当に穏やかな美人、この静かな微笑みの裏に駆け落ちしてしまうほどの激しさが潜んでいるのかと思うと結構グッときます。対して徳子は切れ長の目にいかにも意志の強そうなきつめの顔立ち。二様の美しさに見入ってしまいました。

 長谷川時雨『近代美人伝』に白蓮のことも載っていたように思うのだが、蔵書の整理がついておらず見つかりません。

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