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2008年10月 5日 (日)

『トゥイーの日記』

ダン・トゥイー・チャム(高橋和泉訳)『トゥイーの日記』(経済界、2008年)

 ヴェトナム戦争で志願して戦地に赴いた女性医師が遺した日記。

 彼女はまだ20代の半ば。しかし、医師として酷い死を毎日のように目の当たりにし、共産党員として現場の指揮もとらねばならない。気丈に振舞っていたのだと思う。同時に、少女としての繊細な感受性からつづられる日記には、アンバランスな戸惑いが垣間見える。忠誠を誓っているはずの党への違和感もある。男性への、同志としての友情、尊敬、愛情のないまぜになった複雑な気持ち。いつ死ぬか分からない中で自分はどうすべきなのか、という人生上の煩悶。身近な人々が次々と死んでいく中、彼女の問いかけは、それだけ端的に、純粋なものにならざるを得ない。読んでいてハッとする言葉もある。ただ、ここに引き写すと陳腐になってしまう、しかし、彼女の置かれた状況を考えると読みながら身につまされてしまう、そんな箇所にもたびたび出会う。恥ずかしながら、結構涙腺がゆるんでいた〔追記:酒を呑みながら読んで書き込んでいたので、だいぶ感傷的になってますな(苦笑)〕。

 アメリカ軍による爆撃が激しくなってきたため診療所は撤退するのだが、彼女は身動きの取れない重症患者と共に残った。日記の最後の日付から二日後、彼女は死ぬ。額を銃弾で撃ち抜かれていた。120人ものアメリカ兵を前にして、たった1人で立ち向かったのだという。

 ある情報部勤務のアメリカ兵がこの日記を読み、それこそ彼女に“恋”をして保管していたために日の目を見ることができた。私には戦場の過酷さなど想像も及ばないが、彼自身にも言葉を置き換えて読むと思い当たるところが感じられたのかもしれない。この日記には侵略者としてのアメリカに対する憎しみもつづられている。しかし、敵であるアメリカ兵もこの日記を読んで共感を示したという、この事実そのものにもまた心がうたれる。

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